市民のためのがん治療の会はがん患者さん個人にとって、
  最適ながん治療を考えようという団体です。セカンドオピニオンを受け付けております。
   放射線治療などの切らずに治すがん治療の情報も含め、
  個人にとって最適ながん治療を考えようという気持ちの現れです。
市民のためのがん治療の会
がんは最初が肝心、最初がすべて
『北海道がんセンター院長 西尾正道 先生 ありがとうございました』
市民のためのがん治療の会
代表 會田 昭一郎
 去る3月8日、私の舌がんの治療から12年目、今もこうして普通の生活をしている自分を顧み、深い感慨に耽りました。本稿はその時、思いつくままを書き、12年前にセカンドオピニオンを受け、そのまま治療していただいた主治医であり、その後、全面的なご協力を得て「市民のためのがん治療の会」を共に立ち上げ、共に育んできた北海道がんセンターの西尾正道院長先生にお礼としてお送りしたものです。
何かのご参考にもなるかと思い、「ほんわか通信」という「市民のためのがん治療の会」の会員の中で希望する方に配信しているMLにも3月8日に配信したところ、思いがけなくあたたかいご返信をたくさんいただきました。そこで、より多くの皆様にも多少のご参考になることもあるかと思い、ここに配信させていただきます。
3月8日と言えば平成12年、雪深い札幌の北海道がんセンターで、西尾先生に舌がんの治療をしていただいた日です。小生にとっては命日のようなものでもあり、新たに生まれ変わった誕生日のようなものでもあります。胃がんで父を失った経験から、半年ぐらいの命かな、と覚悟をしていましたが、何とそれから12年も生きながらえることができました。

表面は鱗片状になり、4センチい以上にも広がり、正常の二倍ぐらいに膨隆した舌がんと、口腔底にまで這い出している3期の舌がんで、日本中、いや、世界中の専門家でも、おそらく100人が100人、「治療法の第一選択は切除」のケースだったでしょう。





舌がんの小線源治療は一般に最大でも3cm以下ぐらいの小さいものに適用され、施術も歯医者さんの治療台のようなところで局所麻酔で行われることが一般的のようです。が、西尾先生の場合は必要であれば全身麻酔で行われるようです。私の場合は大きく膨隆し、口腔底にまで這い出した部分をそぎ落としての小線源の刺入でしたので、もちろん全身麻酔でした。
そこにセシウム針を刺入するのですから、西尾先生は自身も被ばく覚悟の治療をしてくださったわけです。ありがとうございました。




麻酔から覚めてみると分厚い鉛入りの壁で囲まれた隔離室に一人で寝かされていました。舌などは切りっぱなしで、血液と体液、唾液などが垂れ流しで、自分で吸引を続けなければなりませんでした。舌は固定されており、もちろん喋れないので筆談でしたね。西尾先生が最初に診に来てくださった時に、「参った」と書いたのを思いだします。先生は「うんうん」とうなずいて、そうだろうな、と思っておられるようでした。
今でも感謝しているのは手術当日の当直の看護師さんが被ばくも気にせず、親身に世話をしてくださったことです。未婚の女性のようでしたので、近づいて来られると、「離れて」と書いた紙を示して注意を促しました。手術当日の一番辛い時だっただけに、本当にその心が嬉しく、御恩は今でも忘れません。
5日で線源を抜いていただくと、一応、話もできましたが、何しろ舌をそぎ落としてあるので、歯が傷に当たると飛び上がるように痛く、犬歯の当たるところが潰瘍化して痛みのコントロールには苦労をしました。歯磨きもできず口の中に真っ黒にカビが生えてしまいました。濃いイソジンで何度も口を漱ぐことを繰り返し、比較的早くカビ退治はできました。もう小線源を抜いた後は痛みのコントロールと体力の回復しかないので、痛みについては薬剤担当の方に、栄養面は管理栄養課の方々に大変お世話になりました。
ということで痛みのコントロール以外には何もすることがなかったのですが、西尾先生が病室にご著書や舌がんの論文のコピーなどをいろいろ持ってきてくださったので、暇に任せてそれらを読みふけりました。全く目から鱗とはこのことで、特に放射線治療というものが日本では本当に過小評価され、日本人のがん患者は大変割を食っていることを知り、愕然としました。ちょうどその頃前立腺がんの小線源治療が脚光を浴び始めてきたのですが、日本ではまだ当時は厚労省の認可が得られていなかったので、余裕のある方々は海外で治療を受けていた時代でした。西尾先生はすでに前立腺がんの小線源治療について知っており、そのメッカとも言えるシアトルにも見学に出かけたりしておられました。
たまに病室に来られる先生に、「それじゃあシアトルに行って治療を受けて、イチロウの野球でも見てきても安いもんじゃないですか」などと言ったものでした。こういうことが、放射線治療を正しく理解し、評価し、患者=消費者にがん治療の正しい情報を公開することを考え始めたきっかけでしたね。

わたしは当時まだ現役で、役所のようなところに勤務していたので今頃は年度末で一番忙しい時です。月末に職場に戻って、忙しい時に留守にしたので、お詫びを兼ねて挨拶をしたら、皆さんは私が舌を切断されて喋れないと思っていたようで、非常に驚かれました。 
しばらくの間は痛みも残り、術後3カ月ぐらいから体力にも自信が出てきて、体力の回復にも時間はかかりましたが、半年ぐらいで、完全に元の生活に戻ることができました。




その後、西尾先生の全面的なご協力で「市民のためのがん治療の会」を設立し、ちょうどその頃行われていたNHKの「がんサポートキャンペーン」で会の活動が紹介されて一挙に全国的な広がりを持つメジャーな会に成長しました。
「がん医療を変えるのは患者」という理念のもとに、正しいがん医療情報公開を柱として、私が苦労したような正しい情報が、いつでも、どこでもだれでも、早く、安く、簡単に得られるようなビジネスモデルを構築し、政策提言も行うまでに成長してきました。下記は平成16年に、当時の河村文科相に、医学部の放射線関連講座を国際的なスタンダードである「放射線腫瘍学」と「放射線診断学」に分け、放射線治療を専門とする「放射線腫瘍学」講座を増設するように要請した時の写真です。手前、横向きが私です。当時、80の大学医学部に12しかなかった「放射線腫瘍学」講座は、現在は20に増えましたが、まだまだ足りません。





情報提供したセカンドオピニオンはすでに1400件近くになります。365日、盆も正月もなく、GWも土日もなく情報提供しています。それは私だけでできることではありません。セカンドオピニオンのほとんどを休日でもほとんど即座に対応してくださる西尾先生のご努力があればこそです。多くの会員はあまりの回答の速さに驚くやら感激するやらです、会員の皆さんと共に改めてお礼を申し上げます。

会員の中のいろいろな方々にも支えられ、HPの「がん医療の今」など新しい試みも継続しています。 ニュースレターの巻頭言、「がん医療の今」の執筆者を見てください。綺羅星のごとき一流の先生方ばかりです。
これらの先生方にご執筆をお願いする際にも、つくづく西尾先生のお力に感謝するばかりです。名もない普通の市民のがん患者団体がお願いしても門前払いの先生方が多いでしょうが、西尾先生がこまめにフォローしてくださるので書いていただけるわけです。しかも、原稿料は無し、無料ですよ!

さて、がんは最初が肝心、最初がすべて、を絵にかいたような私のケースですが、西尾先生がよく、「會田さんはほんとに最初の選択として私を探し出して東京から札幌までやってきた珍しい事例ですね」と言われます。いろいろな治療をして、どうしようもなくなって、先生なんとかしてと言われても、それは無理な話でしょう。私はよく、がん治療は「人生最大の危機管理」といいます。色々な組織で立派な仕事をしておられる方々でも、自分のがんとなると、対応がtoo little, too late になっている方が多いのはどうしたことでしょうか。最初にもっと努力しておけばよかった、といっても後の祭りです。

命の恩人であるばかりでなく、「市民のためのがん治療の会」の活動を通して全国の会員に大きな恩恵を与えていただき、この記念日に改めて御礼申し上げる次第です。

最後に西尾先生から頂いた返信を付します。Thank you again, Dr. Nishio!!

『なんとか大きな障害も無く治癒して、何よりです。この会が始まり今まで全国から20人前後の患者さんがいらしていますが、局所制御は全勝です。会田さんのおかげで多くの治療例も集まりました。
お礼はこちらから述べたいくらいですし、会の活動を通じて多くの人達との出会いもありも、人生の広がりをもつことができました。今後とも体に留意してご活躍下さい』 西尾 正道 拝

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