市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
世界の潮流は「個人ごとのエビデンスに基づく医療」へ。
学術的な成果を社会に還元するために何ができるのかこそが学会の役割

『「 コンセンサスに基づく医療 」と「 エビデンスに基づく医療 」』


東京大学医科学研究所
ヒトゲノム解析センター長 教授 中村 祐輔
1月17-18日に米国がん学会のがん臨床試験・臨床研究に関する会合に招待され、参加してきました。この会合は、新規抗がん剤の開発に関して、どのような点に配慮すべきか、学会としてどんな取り組みを優先して支援していくかを議論する場でした。学会が、単に学術的な研究内容を議論する場ではなく、学術的な成果を社会に還元するために何ができるのかを考えていることが新鮮でもあり、日米の差の根源の一因を垣間見た気がしました。

 この2日間の会合で最も強く印象に残っているのが、「コンセンサスに基づく医療(Consensus-based medicine)」と「エビデンスに基づく医療(Evidence-based medicine)」の使い分けです。日本では、新しい治療法Aと旧来の治療法Bを多数の患者で比較検討した結果、治療法Aがより有効であると統計学的に十分な差が認められると、治療法Aこそ「エビデンスに基づいた治療法である」という言い方がされます。すなわち統計学的な観点が最重要視され、治療法の優劣が決められて、これこそエビデンスであると称されます。しかし、米国では、これは「エビデンスに基づく医療」ではなく、「コンセンサスに基づく医療」という概念に置き換わりつつあります。

 治療法Aを受けた1000人の集団と治療法Bを受けた1000人の集団を比較しても、結局、人間をひとまとめにしてコンセンサスを取っているだけという考えです。統計学的な解析を否定するわけではありませんが、統計学的な手法にいろいろな分子生物学的・遺伝学的な方法を組み合わせることが不可欠です。今は「それぞれの患者さんのがんの個性」を評価して薬剤をより有効に使うことが「エビデンスに基づく医療」なのです。

 わかりやすい例をあげると、ハーセプチンはHERという分子がたくさん作られている乳がんや胃がんに処方する、あるいは、イレッサをEGFRと呼ばれる遺伝子に異常がある肺がん患者さんに処方するといったケースです。グリベックが慢性骨髄性白血病に非常に有効であるのも、この病気に特別に起こっている染色体の異常が白血病の原因となっており、これを上手に標的として攻撃するからです。上記の3種類の薬剤を、乳がん、肺がん、白血病という大きな診断枠でくくって治療薬として用いても、有効な患者さんの割合は非常に低くなってしまいます。がんの原因となっているエビデンスをもとに薬剤を選択的に利用し、より確実に必要な患者さんに必要な薬を提供することこそ「エビデンスに基づく医療」ではないでしょうか?

 今後は、薬剤の有効性が検証される過程において、単にその治療法を受けた集団とそうでない集団を比較して、治療効果に統計学的な差があるかどうかを調べるだけでなく、それぞれの薬剤が働く仕組みを考えた患者さんの絞り込みが非常に大切になってくると思われます。新しい治療薬には、それらがどんなタイプ【性質】のがんに有効なのかを判定できる診断法も併せて求められるようになるでしょう。

 研究の進歩によって、少しでも確実性を増し、副作用を回避できるような医療が着実に進みつつあります。日本が世界の流れに取り残されないようにしたいものです。

そこが聞きたい
Q今年の1月17-18日に米国がん学会のがん臨床試験・臨床研究に関する会合が開催され、日本からは中村祐輔先生がただ一人招待されたとのことですが、そもそもこの会議はどのような会議でしょうか、少しご説明いただけないでしょうか。

A 米国のがん学会は会員数4万人を誇る大きな学会で、10年ほど前までは内容的には日本のがん学会と大きな違いはありませんでした。しかし、「基礎の成果を臨床に還元する」ことが学会の大きな目標として掲げられるようになり、そのための研究資金を自ら集めて提供したり、成果を早く還元するための提言などをしています。今回の会議は、学会としての臨床研究・臨床試験のための政策提言の会議でした。

Q毎年何かテーマを掲げておこなわれるのでしょうか。今年のテーマはどういうものでしたのでしょうか。

A 米国がん学会は国際的な活動も含め、複数の委員会を持っており、私が出席したこの委員会は新しい薬剤をいかに速やかに社会に還元するかを話し合い、提言するために特別に設置されたものであり、定期的に開催されています。

Q「市民のためのがん治療の会」の代表協力医で北海道がんセンターの西尾正道先生も、「医学は実学だ」と言っておられますが、「学会が、単に学術的な研究内容を議論する場ではなく、学術的な成果を社会に還元するために何ができるのかを考えている」というのは、私などは感動して本当にシビレテしまいますね。

Aがん学会というのはがんという病気を研究している研究者の集まりですが、ゴールはがんの克服にあるはずです。したがって、個人的には学会として当然の活動だと思います。逆に日本の学会の方が遅れているのではないでしょうか?生命科学を含め、科学は楽しいから研究をしようと呼びかけている研究者がたくさんいますが、私は医学研究は苦しくても辛くても、がん患者さんのために歯を食いしばってするものだと考えています。研究を始めて30年近くなりますが、楽しむ気持ちで研究に取り組んだことなどありません。日本の研究者は、研究を楽しもうなどというような甘やかした考えでいるから、社会から冷たい目で見られているのだと思います。これだけ国の経済が大変な時期に、自分が楽しむために税金を出してほしいといっても共感が得られないのは当然だと思います。社会が発展するために好奇心から出発する学問を大切にすることは否定しませんが、社会への還元を見据えた全体のかじ取りをするリーダーが存在しないと、その効果があがりません。このあたりを根本的に見直す必要があるのではと感じています。

Q「がんの原因となっているエビデンスをもとに薬剤を選択的に利用し、より確実に必要な患者さんに必要な薬を提供することこそ「エビデンスに基づく医療」ではないか」とのことですが、先生のご研究されておられるペプチドワクチンもそういう見地で評価しないと、ただやみくもに肺がんにはどうだ、乳がんにはどうだと言ってもあまり意味がないということになりましょうか。

A 「必要な患者さんに、必要な時に、必要な量の、必要な薬を」という当たり前のことがようやく科学の進歩によって実現されようとしています。国家戦略としてのがん対策が不可欠です。ワクチンだけでなく、分子標的療法、これまで利用されてきた化学療法剤すべてで、このような観点での取り組みを急ぐ必要があります。

Qところでわたくしは消費者問題が専門で、がん医療についてもそういう見方をしておりますが、がんがまだ原因が分からないために様々ないわゆる治療法などが盛んに宣伝されています。これらの中には悪質なものもありますが、それらを扱っている人たちが自分たちの科学的根拠の薄弱なことをごまかそうとしてよく言う言葉に「標準治療というのはあてにならない。EBM(エビデンスに基づく医療)と言ったって、あてにならない」などと言います。私が心配なのは、ここで先生がご指摘になられた本当の意味をすり替えて、「ほら、偉い先生も言ってるじゃないか、EBMなんて古いんですよ」などと「騙しのテクニック」に使われかねないことです。この考え方の上手な普及啓発が大切ですね。

A 医学には科学的な評価が不可欠です。その科学的な評価方法が、さまざまな研究分野の進展によって大きく変わってきています。「統計学=エビデンス=標準療法」のようなきめつけではなく、本当に個々の患者さんにあった治療法を突き詰めていく科学的な環境が急速に整備されています。その意味でも、患者さんと最先端の研究者や医師との知識格差を埋め、正しい知識を正確に、しかも、わかりやすく伝えていく努力をしていくことが肝要です。悪の根を断つには、正しい情報の共有が絶対に必要ですので、研究者・医師・患者がスクラムを組んでがんと闘う仕組みを是非作っていきたいものです。


略歴
中村 祐輔(なかむら ゆうすけ)
1977年大阪大学医学部卒業後、大阪大学医学部付属病院(第2外科)、同分子遺伝学教室、米国ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、同大人類遺伝学教室助教授、(財)がん研究会がん研究所生化学部部長を経て1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。 1995東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長ゲノムシークエンス解析分野 教授。2005年理化学研究所 ゲノム医科学研究センター長(併任)、現職。

高松宮妃がん研究基金学術賞、(財)がん研究会学術賞、日本人類遺伝学会賞、日本がん学会吉田富三賞、紫綬褒章等受章多数。ブルガリア科学アカデミー会員。
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