市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
なに!放射線治療を受けても保険金がもらえないことがあるんだって?!

『患者会活動としての政策提言(2)』


市民のためのがん治療の会代表協力医
北海道地方がんセンター 院長  西尾 正道
* 平成22年7月21日に荒井聡内閣府特命担当大臣(国家戦略・経済財政政策・消費者及び食品安全)に『放射線治療に対する保険金給付の50グレイの線量規制の撤廃について』の要望書を提出した。


 以前から生命保険やがん保険の契約において放射線治療を行った場合の保険金の給付は総線量が50Gy (照射された吸収線量) 以上照射された場合にのみ給付されるという不可思議な契約条件となっている。しかし最近の放射線治療は多様な線量を用いて治療する時代になっており、また放射線治療を受ける患者数も多くなり、この50Gy規制が大きな問題となっている。

 このため、2008年9月18日付で日本放射線腫瘍学会より生命保険協会に対して文書にて50Gyの線量規定の撤廃をお願いした。

 しかし、生命保険協会からの回答は、平成2008年10月の各生命保険会社の管理職が参加する保険金部会において、学会からの要望を伝達したのみで、「この支払い基準について討論することは独禁法に違反になるためできない」、という回答であった。

 しかし放射線総量50Gy未満の場合は給付金の算定対象とならないことは、保険の趣旨から考えれば不当であり、不払い問題として取り上げたものである。


 放射線治療は、色々な部位の悪性腫瘍に対して行われているが、そもそも照射される線量は標的とする部位ばかりではなく照射の目的や腫瘍の放射線感受性や見込まれる予後によって大きく異なる。また放射線治療の効果は一回(1日)に照射する線量と照射期間、そして総線量との関係で決まる。したがって総線量だけでは効果の強弱は判断できないものである。しかし保険金給付の申請書類には放射線治療の総線量しか記載する項目がなく極めて不備である。保険の目的は悪性腫瘍に対して放射線治療を行った場合に給付するという趣旨である以上、50Gyで線引きすること自体がおかしな話である。


 乳癌の手術では乳房全摘術であろうが、乳房温存手術であろうが、手術侵襲の大小で区別することなく給付される。また抗癌剤治療においては抗癌剤の種類を区別して給付の有無を決めている訳ではない。なぜ放射線治療だけ区別しているのか全く根拠が無い話である。それだけ放射線治療に関しては保険会社も無知であることを示すものであるが、もし知っていて不払いを続けているとしたら、詐欺的行為であると言われても反論できないと思う。実際に保険契約をする時に50Gy以上の項目を説明することもないであろうし、小さな文字で書かれた裏書の約款に眼を通す人もいないと思う。通常の感覚ではがんになった時に、どんな治療を行ったとしても治療費を保証してくれるものと考え契約しているのである。そこで50Gy項目がいかに不当であるかを医学的な観点から説明する。


まず、放射線治療は副作用を抑えるために腫瘍周囲の正常組織の線量を極力抑えて、腫瘍制御線量を投与する工夫の歴史であった。そのため一度に大量の線量を照射せずに分割し、できるだけ照射範囲を小さくして照射する方法が行われている。このため経験的に通常の放射線治療は1回2Gyで週5回(月曜日~金曜日)に照射している。この照射法は通常分割照射法と称して現在でも標準的な照射法である。表1は通常分割照射法による一回線量・照射期間・総線量の関係を示すデータである。

 この表は1940年代の深部X線 (皮膚表面が100%照射される放射線) 時代に放射線治療を体系化したマンチェスターのパターソン医師が膨大な臨床データから作成したものである。


 この表で示されているように、7cm X 5cm の範囲の皮膚に1回で2000R(R:レントゲンは放射線の空中線量の単位で、人体への吸収線量はこの約95%と換算する)照射すれば、皮膚はびらん様の湿性皮膚炎となる。12cm X 10cmでは、1500Rで同様な反応が起こる。このことから有害反応を抑え、きるだけ多くの線量を投与するためには照射範囲を小さくすることが必要であることがわかる。また7cm X 5cm の範囲では4回に分割すれば、3500Rまで照射しなければ、湿性皮膚炎とはならない。同様に一回240Rで週5回のペースで5週間すれば、湿性皮膚炎が生じるまでには6000Rの照射ができるのである。現在の単位に換算すると湿性皮膚炎となる線量は6000R=5700rad(6000x0.95) =57Gyとなる。

 この線量と有害反応の発生の関係は人体の多くの臓器にも概ね当てはまるため、通常分割照射法での照射線量を基準として治療が行われている。

 次に通常分割照射法による腫瘍の放射線感受性と局所制御の関係を図1に示す。腫瘍のタイプによって放射線治療で治癒が期待できる線量が大きく異なる。感受性の良好な悪性リンパ腫などは24Gy~55Gy程度で制御でき、最近は抗癌剤も使用されるため、30Gy~40Gy程度の照射が標準的であり、50Gy以上照射されることは稀である。しかし、悪性腫瘍の70~80%を占める扁平上皮癌と腺癌では治癒を期待する場合は50Gy以上の照射が必要となる。




50Gy未満では給付対象から除外することは、以前から放射線感受性が高く治癒が期待できる人は給付対象としていなかったことになる。下記に46Gyの照射を行い治療を終了した多発生骨髄腫の症例を示す。こうした症例では50Gy未満の線量で照射の目的は達成できるのであり、50Gy規制を盾に給付金の不払いは許されない問題である。


  さらに最近では照射技術の高精度化により、腫瘍にだけ限局して照射し、周囲の正常組織の線量は少ないので、副作用が許容できるものとなっているため、一回線量を多くして少ない分割回数で治療が行われている。周囲正常組織の副作用に配慮して通常分割照射法にこだわる必要がなくなったためである。図2に照射技術の比較を示す。従来用いられていた前後対向二門照射では、腫瘍部位とほぼ同程度の線量が正常組織にも広範に照射されるが、定位放射線治療では多方向から照射することにより周囲の線量は激減できるのである。



このため照射効果の強さを比較する幾つかの換算式があるが、ほぼ同等の効果と判断できる3種類の『線量・分割・照射期間』の具体例を示す。

* 50Gy/25回/5週間 (一回2Gyで5週間の期間に25回に分割して照射) 
* 46Gy/20回/4週間 (一回2.3Gyで4週間の期間に20回照射)
* 30Gy/6回/8日    (一回5Gyで8日の期間で6回照射)

この3種類の照射方法の効果はほぼ同等であり、総線量だけの記載では放射線治療の内容を把握するには不十分なのである。現場ではこうした換算を参考に多彩な照射方法がおこなわれている。

 また各方向からの照射においても鉛の多分割絞り装置をコンピューターで制御することにより腫瘍の形状に即して形どおりに照射できるため、さらに周囲正常組織の線量は低減している。


ちなみにガンマナイフによる脳腫瘍の治療では一回20Gy~30Gyの一回照射で終了する。また肺癌や肝臓癌の定位放射線治療で、12Gyを4回照射した場合は総線量は48Gyとなるが、実際の効果は通常分割照射では90Gy以上の線量に該当する。


 また放射線治療では根治的な目的だけでなく術前照射、術後照射も行われる。さらに現実に最も多いのは緩和目的で照射される場合である。乳癌の治療では乳房温存療法が普及したが、乳房内の腫瘍切除後に45Gy~50Gyの術後照射が行われているが、医師や施設によって多少の線量の違いがあり、45Gyの治療では給付されず、50Gyでは給付されるというのは問題がある。
また緩和的照射では50Gy以上照射することは決して多くはない。例えば多発性の脳転移の治療では全脳照射の適応となるが、放射線による晩発性の脳障害を考慮すれば50Gy以下とすることが常識となっている。また骨転移に対して疼痛の除去を目的として照射する場合は、予後との関係で一回線量を増やして短期間に照射を終えることが一般的である。緩和照射では根治照射の約2/3程度の線量しか照射しないので、一回線量を増やしても放射線治療による急性期の副作用が問題となることはほとんどない。

 また1~2年後に発生する晩発性の障害は耐容線量近くまで照射しなければ発生しないため、耐容線量の約2/3程度の線量では晩発性の副作用の心配は不要である。さらに万が一副作用が出現するとしても存命中に生じることはないため、『効果はこの世で、副作用はあの世で』というわけである。そのため予後が短い患者さんの治療では治療期間を長くする必要はない。余命3カ月の患者さんにだらだらと5週間の通常分割照射法で照射する必要がなく、標準的には1~2週間程度の照射期間で骨転移の放射線治療は行なわれている。

 したがって治療施設によっては、1回8Gyを照射して骨転移の治療を終了する場合もある。骨転移に対して常用されている線量分割としては、以下のような分割照射が行われている。

* 8Gy/1回/1日
* 25Gy/5回/5日 (一回5Gy)
* 30Gy/10回/2週間 (一回3Gy)
* 40Gy/20回/4週間 (一回22Gy)

これらの治療では総線量は全て50Gy未満であり、算定対象とはならないこととなる。

 骨転移に対する種々の線量分割の除痛効果を比較した無作為比較試験のメタ分析では、完全除痛率も疼痛緩和率も差はないことが報告されている(Wu JS.Y, et al: Int J Radiat Oncol Biol Phys. 55:594-605, 2003.)。

 さらに転移性脊髄圧迫に対する5種類の放射線治療スケジュールと予後因子についての検討(1992年~2003年に治療した1300症例の分析)では、表2に示す如く治療効果に差がないことも報告されている。



 以上、解説したごとく現実の放射線治療では照射技術の進歩や照射目的により50Gy未満での治療例も多い。したがって保険給付金の算定対象を放射線総線量50Gy以上の場合にのみ適応することはおかしな規制である。保険会社には医学の進歩や現実に迅速に対応し、50Gyで線引きすることが根拠のないことを認識し、放射線治療を行った患者さんの50Gy規制を撤廃して頂きたい。また監督官庁には医療消費者の立場に立った行政指導が求められる。


そこが聞きたい
Q放射線治療を受けても保険金が支払われない場合があるという話は、先年、市民のためのがん治療の会の北海道講演会での西尾先生のご発言で初めて知りました。がん保険と言えば毎日テレビのプライムタイムを独占しているような状態ですし、DMはバンバン来る。
そこで早速消費者相談などに、がん保険についてどんな相談や苦情がきているのか調べてみたのですが、消費生活センターなどでは把握していないようでした。経済評論家などに、この問題を共同で取り上げないかと持ちかけましたが、どういうわけか体よく断られました。既に2年前に日本放射線腫瘍学会の会長名で、社団法人生命保険協会宛に是正措置を求めておられますが、ワーキンググループのようなレベルでの簡単な回答しか得られなかったようですね。組織の長が正式に要望書を提出しているのにひどい話ですね。


A 保険会社間で協議することは「独禁法」に抵触するというのは言い訳でしょう。放置するならば行政指導も考えて頂きたいと思います。また不払いが続くならば、線量規制を撤廃した保険会社名を公表し、撤廃していない保険会社には加入しないように市民の立場から注意を喚起することも考えなければなりません。

Q保険金が支払われるような事態を「保険事故」といいますが、保険事故が発生するということは、一般的に例えば火事とか交通事故とか、辛い事態が発生しているときです。そういうときに経済的な補償をすることによって少しでもその損失を補てんしようとするのが保険ですが、この場合でいえばがんの宣告を受けて放射線治療を受けたという辛い事態が発生しているのに、「契約で払えないことになっています」と言われるのは大変なショックですね。

A 給付を期待していた患者さんにとっては深刻な問題ですし、保険の趣旨から考えれば問題があります。保険加入時にこの件を説明することは殆んどありませんから、詐欺的行為だと言っても過言ではありません。

Q 放射線治療だって、ガンガン照射すれば良いってもんじゃない、それこそ薬だってさじ加減というものがあるわけで。先生の説明で50Gy未満でも十分治癒できるケースが沢山あることが良く分かりました。どこに50Gyで振り分ける理由があるのか分かりませんね。

A昔は1回2Gyで週5回照射のペースで60Gy程度が根治線量とされていたことが関係しているのかも知れませんが、治療機器の進歩で現在は全く総線量だけでは放射線治療の効果は表現できません。一言で言えば、保険会社が医学の進歩や時代の変化に対応していないということです。また以前も放射線感受性の良好な腫瘍では50Gy以下で治療が行われていましたので、基本的には放射線治療について保険会社が良く理解していないためだと思います。

Qもっと問題なのは回答の中で生命保険協会側は、「日本生命は10月からの契約について約款から50グレイの基準が削除されている。問題が発生した場合、各保険会社には医師が勤務しており、医師の判断により対応するとのことでした。したがって、支払いがなされない場合再度書面を提出すると解決される」などとしており、要は、「一度断られても、再度言ってもらえれば何とかします。」ということで、実体は消費者の不利益にならないようになっているから、良いじゃない、ということでしょうが、これではいわゆる声の大きい人は救われるが、最初にダメと言われて引き下がった人は救われないことになり、不公平です。

A ねばって申告を繰り返さなければ払わないということは基本的には不払い行為です。また約款から50Gy規制を撤廃した保険会社があるとしたら、その保険会社以外には加入しないように当会としては注意を喚起することも考えたいですね。

Qここは各省庁にまたがる問題ですので、消費者庁がイニシアティブをとって、早急に改善すべきですね。お忙しいところ丁寧な解説をしていただき、ありがとうございました。

A これからのがん医療においては高騰し続ける高額な治療費は大きな問題となります。少しでもがん治療を受けた時の経済的な支援が公平に期待どおりに給付されるようにしてほしいと思います。そのために保険に加入しているのですから。

略歴
西尾 正道(にしお まさみち)

独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター院長。函館市出身。1974年札幌医科大学卒業後、国立札幌病院・北海道地方がんセンター放射線科勤務。1988年同科医長。2004年4月、機構改革により国立病院機構北海道がんセンターと改名後も同院に勤務し現在に至る。がんの放射線治療を通じて日本のがん医療の問題点を指摘し、改善するための医療を推進。
著書に『がん医療と放射線治療』2000年4月刊 (エムイー振興協会)、『がんの放射線治療』2000年11月刊(日本評論社)、『放射線治療医の本音-がん患者2万人と向き合って-』2002年6月刊( NHK出版)、『今、本当に受けたいがん治療』2009年5月刊 (エムイー振興協会)の他に放射線治療領域の専門著書・論文多数
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