市民のためのがん治療の会
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碩学の諭

『女性放射線腫瘍医と老医のこれから
―「餅は餅屋」と「良い按排で」―』


都島放射線科クリニック名誉院長
大阪大学名誉教授 井上俊彦
井上先生には平成24年7月に『患者が分かるカルテを書く』と題した心に沁みるご寄稿をいただいた。「碩学の語る医療の神髄」というタイトルを付けさせていただいた。 しばらく時間も経ったので、ご寄稿をお願いしたところ、本当に含蓄あるご寄稿をいただいた。蘊奥を究めた大学者の深い洞察と滋味にあふれたご寄稿は、一般市民のみならず多くの医療関係者にとっても大いに参考になるものと思う。
【十人十色】
 時計の針は一定のリズムで時を刻む。しかし、自分にとっては決して一定には感じられない。齢とともにその刻む速さは増していく。一時間が、一日が、一週間が、一ヶ月が、一年が速く過ぎ去る。自分自身が前向きよりも後ろ向きになっているからであろう。20年ばかりも前のことである。教授会の席で学生時代に内科診断学のイロハを教わった先輩から「経験した時間軸の長さに反比例して、時間は短縮する」と云われて、成る程と思った。確かに子供の時は一日がとてつもなく長かった。遊ぶことが次々とあったように思った。それが50歳を過ぎる頃から、一日が短くなり、追われるようになった。仕事に追われることのなくなった今は、時間を取り戻したかと云うとそうでもない。何もしなくても、一週間があっという間に終わってしまう。どうも世の中というものは、それぞれの人がそれぞれの目線で、あるいはそれぞれの物差しで判断した上に成り立っているようである。十人十色と云われる。10人集まれば、10通りの見方が生じるであろうし、ならば10万人では10万通りの見方があって良い。曲がりなりに多数の意見が通ることによって、世の中は少しギクシャクしながら、ともかく進んでゆく。

【病院で垣間見たイスラーム女性社会】
 2007年1月エジプト旅行の途中、カイロ大学国立がんセンター放射線治療科のE博士を訪問した。彼女は大阪大学の私の教室に留学し、1999年に子宮頚癌の高線量率と中間線量率腔内照射の放射線物理学的前向き臨床研究で大阪大学医学博士号を授与され、併せてカイロ大学に136ページにも及ぶ博士論文を提出し、学位を取得した。その博士論文の扉にはクラーン第20ター・ハー章の一節「主よ、わたしの知識を深めて下さい」と記されている。
 ところで、病院の部屋に案内される廊下で何かが変だなと感じた。着いた先の教授室・講師室・医員室は女性だけである。よく考えると廊下で待っている人たちも皆黒いベールの女性たちであったことに気がついた。そんな中に私だけが迷いこんだ状況である。彼女は敬虔なイスラーム教徒である。院生として私の教室に来られると早速、お祈りのスペースを要求した。食事における決まりごとの制約は勿論厳しい。日本の最先端技術を紹介しようと思って関東の施設見学を企画したが、夫以外の男性と一緒の旅行は許されないからと断られた。イスラームの厳しい戒律の下での生活では、病院においても女性患者にとって異性による診察は許されない。彼女にとっては「郷に入っては郷に従う」と云う日本的発想が通じないで、頑なに自己を守り通した背景の一部をそのときやっと理解できた。
 後に都島放射線科クリニックでドバイ(UAE)からの女性患者を受け入れた際に、この理解は大変役に立った。前もって、各職種のスタッフに宗教的制約を説明し、皆の理解を求めた。勿論、私どものクリニックが日本での初体験ではなかったので、患者自身がある程度の妥協をしてくれた。しかし、男性技師が治療途中に確認のため治療室に入ったことには、譬えは悪いが「患者はまさに閉じ込められた部屋に赤鬼が乱入してきた程度の恐怖感に捉われたであろう」と当事者に注意した。以後この患者の治療時のみ、その役目を女性看護師に担当してもらった。その後、女性放射線治療技師を採用した。

【餅は餅屋】
 「餅は餅屋」と云われる。女性患者の心の奥には男性医師に分からないことが多々あるのであろう。幸い、国内の放射線治療の世界に女性医師が増えてきた。30年ほど前に日米の研究会で米国側から出てくる若手の女医さんたちが猛烈にまくしたてる発表を聞いて、うらやましいなと思った。しかし今や国内でも、「女性の放射線腫瘍医に期待するもの」、あるいは「女性の放射線腫瘍医に求められる役割は何か」と云った話題が取り上げられる。また、女性の放射線腫瘍医が働きやすいように職場環境の整備にも眼がむけられるようになった。先日届いた「第125回関西Cancer Therapistの会」の案内にも、「女性放射線腫瘍医を活用して放射線治療の未来を明るくするために」と云うテーマが記されていた。何と前向きのとらえ方であることか。女性放射線腫瘍医の今後の発展は間違いなしである。

【老医のつぶやき】
 自分自身が齢をとって、相変わらず毎日のように放射線治療患者の診察をしていると、高齢癌患者にこれまで見えなかったことが見え始めていることに気づく。半世紀前、「老人の放射線治療患者では、癌を治すことばかり考えては駄目だ。ともかく無理な治療で体に心に負担をかけないようにすることだ」と恩師に云われた。しかも、「60歳代の患者が来れば、まず負担を掛けないことを主に考えなさい」と指導された。
 今の私はとっくにその齢を過ぎている。そして、80歳に手の届くゴルフのインストラクタ、70歳後半にもかかわらず朝4時起きで自ら朝ご飯を用意し年間180日のラウンドを目指すゴルフ狂、キャプテン理事として名門カントリークラブの仕事に奔走する70歳前半の人、90歳を過ぎても医師を続ける先輩、ともかく皆さんお元気です。放射線治療で完治していただいて、元通りの日常に戻っていただく。その治療の間に毎日のように、あるいは治療を終わっても定期的にお話をすることによって、私は皆さんから力をいただいている。お話の内容の多くは日中あるいは夜間の体調であり、食事であり、子供時代の思い出であり、戦争体験であったりする。

【良い按排で】
 こうして微調節をしながら、良い按排にしてあげる。あるいはほどほどに生活のリズムを調整できれば云うことなしである。自分が若い時には、とてもそのようにはいかなかった。決められたパターンの中に無理矢理合わせこんで、治療が完了したと手を打って喜んだ。かなりの無理強いがあっても、患者の心の叫びが私の耳には届かなかった。
 「良い按排で」と云われることがある。「うまくやって(処置して)や」と云った程度であろうか。あるいは「今日の体調は良い具合のようや」と云って使ってきた。お料理で、「あんばい」は「塩梅」に通じると云われるのを聞いた。塩と梅酢の加減で、味加減を決めるからだと云う。それならば、「ほどほどに」、あるいは「それなりに」と云う中間体は味のある振る舞いと云うことになる。
 年寄りの患者の心の奥が若い私には分からなかった。今後、高齢癌患者の放射線治療にますます比重が増すのであれば、「勤務医として定年を迎えた、あるいはこれから迎える医師たちよ、あなたたちには重要な仕事が残されています。診察にこれまでの2倍、あるいは3倍、いや5倍の時間がかかってもよろしい。是非とも、放射線治療を受ける高齢癌患者に向き合う時間を作ってください」、「この仕事に力を貸してください」、「若手の仕事を邪魔しない程度に、しかし、心から放射線治療を受ける高齢癌患者と向き合ってください」と声をかけたい。要は、ほどほどに受け入れることと、新しいことに取り組むことの、二つをはっきりと区別して向き合える英知を与えていただけるように。それには、あなたの豊富な経験が、そして治療を受ける患者と同世代のあなたの知恵が必要なのです。翻って、私は改めて健康で過ごせることに感謝します。


略歴
井上 俊彦(いのうえ としひこ)

愛媛県生まれ。昭和39年大阪大学医学部卒業後、松山赤十字病院、大阪大学医学部講師、大阪府立成人病センター部長を経て平成 2年大阪大学大学院教授。平成15年大阪大学名誉教授、蘇生会総合病院名誉院長、NPO法人大阪粒子線癌治療研究会理事長を経て平成19年都島放射線科クリニック院長、平成23年同名誉院長、現職。この間国際放射線腫瘍学会理事、日本放射線腫瘍学会会長などを歴任。日本放射線腫瘍学会認定医、日本がん治療暫定教育医。医学博士。
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