市民のためのがん治療の会
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創薬のタネを生む大学の疲弊

『目先の小ガネをケチって、公共財を売り渡す滅びの道
~オプジーボの光と影⑨』


『ロハス・メディカル』編集発行人 川口 恭
「創薬の最初に位置する大学を困窮させ、出てくるであろうタネを減らしておいて、最終製品だけに大金を払うというのは、飢饉で将来のタネまで食べてしまって滅びるのに似ていないでしょうか」とは、蓋し名言だろう。
なおこの文章は『ロハス・メディカル』2017年1月20日発行号に掲載されたもので、今回もロハスメディカルの川口先生のご厚意で、転載させていただいた。御礼申し上げます。
(會田 昭一郎)

薬を、費用対効果に見合う金額でしか買わないと早く決めよ、と主張してきました。それに対してドラッグ・ラグの発生を心配する意見もあるかもしれませんが、短期間で見直さざるを得ない薬価制度にする方が危険です。さらに、もっと深刻な薬剤費高騰とドラッグ・ラグを招きそうな事態も進行中で、その対策へお金を回すためにも、早くしないといけません。

オプジーボ(ニボルマブ)の薬価を巡る騒動の結果、既に少なくない薬が、その効果に対して費用が高過ぎて国民の許容限度を超え、若い健康な国民が「お互い様」と思えなくなりかけていることを書いてきました。

今のような国民皆保険制度は自分たちの時まで持続しないと見限った後も、若い人たちは大人しく保険料を払い続けるでしょうか? 健康な人の方が有権者の多数であり、もし一枚岩になったら政治は抵抗できません。国民皆保険制度は瓦解の瀬戸際なのです。健康な国民の納得感を取り戻すためにも、薬価や医療価格の全面的な見直しは待ったなしと言えるでしょう。

どういう説明なら健康な人が納得するか考えると、費用対効果に見合う価格だけ払う、これまでの薬や医療行為も高過ぎるなら、その水準まで引き下げる、という以外に選択肢はないはずです(安過ぎたものは値上げもあり得ます)。

12月20日には関係4閣僚が「薬価制度の抜本改革に向けた基本方針」を取りまとめました。ただ、そこには「年4回薬価を見直す」とか「市場実勢価格を適時に薬価に反映し」とか、現在の薬価の決め方を前提にしたことしか書かれていません。肝心の費用対効果評価に関しては「本格的に導入するため(中略)、実施のあり方を検討し、来年中に結論を得る」としか書かれておらず、これでは「抜本改革」の看板に偽りありです。

価格より予見性が大事

薬の開発は通常、病の原因となっている体内の分子を特定し、その分子に働きかけることのできる物質を見つけ、その物質を安定的に製造する方法の確立、動物で安全性と有効性を確認、そして最後に人で安全性と有効性を確かめる(臨床試験)というように段階を踏んで行われます。

この最後の臨床試験を担当するのは通常、製薬企業です。製薬業界の人たちが異口同音に言うのは、臨床試験にとてもお金がかかる上に、その成功確率がどんどん低くなっていることです。だからその分、薬の値段も高くならざるを得ないのだ、と。

それをウソと言うつもりは毛頭ありません。ただ、日本の公的保険が、費用対効果に見合わない価格で薬を買う義理もないはずです。ドラッグ・ラグの発生を心配して、高額な薬価を容認せよと主張する方は、問題の本質を見誤っていると思います。

開発失敗のリスクに耐えて新薬を生み出し続けるため、メガファーマは合併を繰り返して、巨大化・グローバル化しています。また新薬企業が、生み出した新薬から大きな販売利益を望めるのは、一般的に特許の保護期間のみ、つまり時間が限られます。なので、そうしたグローバル企業は、利益の得られる期間を最大化するため、臨床試験を短期間のうちに世界で一斉に行って、承認申請も世界ほぼ同時に行うという形態になりつつあります。

日本は、承認審査の際に、原則として日本での治験データを求めます。逆に言うと、日本で臨床試験まで終わって良好な結果が出ているなら申請できるわけです。よほどヒドイ価格になると予測されるのでもない限り、日本ほど大きな市場で、臨床試験が終わっているのに申請と販売開始を遅らせるのは得策でありません。つまり日本での臨床試験が世界と同時に行われている限り、ドラッグ・ラグを心配する必要は、それほどないのです。心配しなければならないのは、臨床試験をパスされることの方です。

この観点に立つと、数年のうちに薬価の決め方が激変するかもしれない国はリスクが高くなります。上場企業の存在原理は投下資金に対して株主にリターンを返すことで、何年間かを要する臨床試験の実施中に制度が激変すると、投資を回収する予定が狂うからです。高い価格で買ってくれるかもしれないけれど何が起きるか分からないという国より、大した金額では買ってくれないだろうけれど確実に予測が立つという国での開発を優先するのは当然です。

オプジーボ騒動で、既存ルールでも対応できたのにそうせず、場当たり的に対策を小出しした揚げ句、官邸から介入を受けて制度を全面的に見直さざるを得なくなった厚生労働省と中央社会保険医療協議会(中医協)が国益を大きく損ねたということは、お分かりいただけると思います。

ただ、過ぎてしまったことを今さらクドクド言ってみても仕方ありません。今後ドラッグ・ラグを招かないためにも、少なくとも10年単位で揺るがないような価格の決め方を早く示す必要があります。

今の議論の進め方では、すぐ見直しが必要になることは明らかですから、一見遠回りのようでも、費用対効果に見合う額しか払わない、と早く決めるべきです。

タネを生み育てるべし

ただし、薬価制度が安定したからと言って、ドラッグ・ラグを避けられるとは限りません。

2016年8月26日のがん対策推進協議会で、委員の大江裕一郎・国立がん研究センター中央病院副院長は、「ドラッグ・ラグを回避するには、グローバル企業の開発に我々が付いていかなければいけないということです。そのためには一番は、開発の時の最初の段階のフェーズ1試験(中略)から、我々が研究に関わっていく必要があるわけです」と述べ、檜山英三・広島大学教授も「とにかくフェーズ1が始まる辺りから我々が関与していないと、欧米と一緒に薬剤を開発してくるということをしない限りは、恐らくドラッグ・ラグは解消できないのかなと」と同意、他の委員から反論はありませんでした。

ヒトでの安全性を確かめるフェイズ1試験は小規模で、実施されるのは多くても数カ国です。そこに関与していれば、確かにその後の臨床試験もパスされないでしょう。ただし関与するとは具体的にどういうことかと考えてみると、確実なのはフェイズ1試験を日本で行うことしかありません。

臨床試験を行うには、当然のことながら薬のタネや苗が必要です。

近年は、製薬企業がタネ探しから手掛けて自前で創薬をやり抜くより、大学や公的研究機関から生まれたタネを、ベンチャーが苗に育て、仕上げや収穫だけ製薬企業、というように段階ごとに分業されることが増えています。フェイズ1をベンチャーが実施することも少なくありません。

で、フェイズ1試験は、タネを産んだ大学やベンチャーにとって最も都合の良い場所で行われるのが当然です。日本以外の国で育った苗が、日本でフェイズ1に進むなどということは、ちょっと考えられないことです。

こう考えてみると、何のことはない、日本から良い薬のタネや苗を産み出すことが、ドラッグ・ラグ回避の一番近道ということになります。そして、そのような日本発の新薬が世界中で売れれば、前回ご紹介した年2兆5千億円にも上る医薬品の輸入超過が少しは緩和され、国家財政を助け、国民皆保険の破綻回避に貢献することでしょう。

ちなみに本庶佑京都大学特任教授の研究室でタネが生まれたオプジーボは、小野薬品工業だけでは開発が難しかったため、日本・韓国・台湾の3国を除くと米国のブリストル・マイヤーズスクイブ(BMS)が販売権を持っています。惜しい話です。

また、間野博行東京大学教授(国立がん研究センター研究所長を兼務)は、2007年に肺がんの原因となる融合遺伝子EML4-ALK(『ロハス・メディカル』2012年4月号特集参照。http://lohasmedical.jp/e-backnumber/79/#target/page_no=9)を発見し特許も取りました。しかし、その遺伝子が作る原因タンパクに作用する物質クリゾチニブ(薬品名・ザーコリ)を既に持っていた米国のファイザーは、フェイズ1試験を日本ではなく韓国で行っていた一方、間野教授がライセンスを供与したアステラス製薬は開発に失敗したという残念な話もあります。

それまでにないコンセプトの薬で、タネから収穫まで一貫して日本が主導して一番乗りしたという例は、まだないのです。逆に、それを達成できたら、夢は広がります。

産学連携は叩き売り

前述した創薬の分業は、米国で1980年に通称バイ・ドール法が成立、連邦政府の資金提供を受けて行われた研究開発の成果物でも大学や個人が特許権を持てることになり、そのタネを育てるベンチャー企業が次々に誕生して、大きく進みました。

今後しばらく新薬の主流を占めると考えられているバイオ医薬品で、米国が世界のトップを走っているのは、この時の政策転換で産学連携が大きく進んだためと言えます。

一方で、開発の早期から、タネを持っている会社ごと売買されるのが普通になったことによって、その投資にリターンを返すコストが開発成功品に全部乗せられて、最終製品の価格がケタ違いに高くなるという副作用も招いています。

この薬剤高騰にはすべての先進国が苦慮しており、多かれ少なかれ費用対効果で評価して制限をかけるという流れになってきています。

ただ、その結果、回収可能な民間投資総額も限られることになり、流れが停滞する可能性はあります。停滞を防ぐためには、開発のできるだけ後ろまでリターンを必要としない公的資金で進めることも必要になってくるでしょう。

ところが実際に日本で行われていることは、20年遅れの産学連携で米国を追いかけ、しかも公的資金を減らすという時代錯誤です。

国立大学(法人)に対して国から支給される運営費交付金が2004年度から2015年度まで、ほぼ毎年約1%ずつ減らされ続け、総額で年約1500億円も減っていることをご存じでしょうか。授業料は45年前の45倍になりましたが、それでも減収分を補いきれず、各大学は、本体とも言える教員人件費や研究費に手を着けるようになりました。退職した教員の後任を補充しない、研究費を支給しないという大学が増えているようです。ついに2016年10月末、理学部長34人が交付金や教員の削減に反対する声明を発表する事態に至りました。

国立大学から消えた1500億円はバカにならない金額ですが、一方で国民医療費年40兆円から見れば微々たるものです。薬価引き下げ前のオプジーボ1剤だけで、ほぼ同じ年間売上が見込まれていました。創薬の最初に位置する大学を困窮させ、出てくるであろうタネを減らしておいて、最終製品だけに大金を払うというのは、飢饉で将来のタネまで食べてしまって滅びるのに似ていないでしょうか。

そんなことをする一方で、国は産学連携を推進しています。

間野教授は言います。「(他の企業の利用を妨げる)排他的な契約を結ばなければよいのですけれど、知財管理のノウハウを持っている大学は限られますから、不慣れな先生が、分からないまま契約しちゃう危険性はあります」

投資に対するリターンを大きくしたい民間企業は排他的契約を結びたいに決まっています。でも排他的契約を結ぶと、競争相手が現れず薬剤費引き下げの力が働きにくくなりますし、契約相手が最後まで開発をやり遂げなかったら、薬そのものが生まれなくなります。

EML4-ALKの例で言えば、間野教授がファイザーの薬に対して特許権侵害を主張しなかったため、アステラス製薬が開発に失敗しても、特効薬はスンナリ日の目を見られました。

国民全員の財産とも言うべき、国立大学の研究成果が出にくくされ、出ても早くから民間資本に囲い込まれ、薬剤費高騰の原因になる。こんな状況を放置してよいはずがありません。

費用対効果評価で医療費を浮かせて、その分を大学や研究機関に分配、その条件として成果物の特許を排他的に企業へ渡さないこと、臨床試験は日本で行うことを義務づけたら、この辺の問題がすべて解決すると考えているのですが、いかがでしょう?

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