市民のためのがん治療の会
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『看取りとその後…生前葬の勧め』


死生学研究会代表 内田 誠
内田さんは編集子の高校の同期の友人です。最近でこそ「死生学」というような研究が盛んになっているようですが、 内田さんはご自身の経験等からずいぶん前から「死」の問題に取り組んでこられ、「死生学研究会」を主宰して、東京・八王子市を中心に活動しておられます。
この研究会の活動の一環として年3回のセミナーを開催しておられます。
このセミナーについては「市民のためのがん治療の会」の皆さんにもお知らせしており、参加される方もおられます。
今回はこうした活動の中から、ご自身の奥様を亡くされた経験と「生前葬」についてのご自身の経験を踏まえた考え方をご寄稿いただきました。
確かに3・11のように一度にたくさんの方が亡くなることもあれば、交通事故であっという間に亡くなるかもしれません、こういう不条理をわたしたちは経験しています。
みなさんも色々なお考えをお持ちでしょう、それはそうとして、永年「死生学」に取組んで来られた方のいわば実験ともいえる考え方に触れていただければ幸いです。
(會田 昭一郎)

はじめに

筆者の妻が今から1年5か月前の2015年12月16日に、末期がんで死亡しました。 筆者は19~20歳の頃死に直面し、3年程で死の不安や恐怖を乗り越えて、その後ハイデガーの「存在と時間」に出会い、長い間死の問題を考え続けました。 たまたま病院嫌いの妻ががんに罹り、がんに気づいてから9か月後にあっという間にこの世を去りました。

人がこの世を去る大変さと共に、看取る人の悲しみや心の変化の体験をお話しします。筆者はたまたま、生前葬を済ませていましたので、生前葬の意味についても考えたいと思います。 妻は明るい性格で、先の事はあれこれ考えない人で、結婚当時、筆者が死の話をすると、そんなことは、その時に考えれば良いんじゃないの…等と余り関心を示しませんでした。 考え方はある面、正反対で「犬が西向きゃ、尾は東」でしたが、何かをする時の意見は奇妙に一致していて、色々な苦労や楽しい経験をしました。

先々月の3月25日に第25回セミナー(講演会)を行い、「死生を語ろう!…看取りとその後」で妻の死を皆様に初めてお話しました。 セミナーを始めて調度10年目に、妻の死を語るとは予想もしていませんでした。筆者は「生死(しょうじ)は今正にここにあり、怠らず努めよ」の心で毎日を生きています。 「生が終われば、死も終わるのだ(寺山修司)」にも共感し、その通りだと思っています。 筆者の葬送は、一般葬、家族葬、直葬(家族葬から宗教的儀礼を除く)の内、どちらかと言えば家族葬に当たると思います。

看取りとその後…心の変化

2011・3・11の東日本大震災の少し前の2月1日に、夫婦だけで生前葬を行い、同年10月7日、妻が小脳出血で倒れ入院→退院→リハビリを経て、 言語に多少不自由な状態ながら何とか普通の生活を維持していました。その後2015・3・17に、通院病院でのCT検査でがんが見つかり、その後大学病院での検査でがんの詳細が判明しました。

かねてより、妻と死の問題は話し合っていたので、がんの状態がすこぶる末期と知り、 迷わずがん治療はせず緩和ケアで残りの人生を過ごそうと決め、通院病院・大学病院の医師にもそれを伝え自宅療養を行いました。

最期まで自宅で過ごしたいとの妻の希望は、リンパ浮腫のために無理になり、82日間通院病院に入院しました。 入院後の状態は妻の希望通りには行かなったとは思いますが、最期は、痛みを感ずることもなく静かな死を迎えることができました。

葬送の後、「妻は、もういないんだ」との思いがありましたが、妻を看取り終えたことへの安堵感と、妻へのねぎらいの気持ちが強かったです。 正月過ぎになって数日間、誰とも一言も口をきくことがないという状態でした。実は、低音感音性難聴のためTVを見るのも、電話をするのも不快でできなかったのも原因の一つです。 妻の「お帰り」の声がないこと、何かし終わったとき「ご苦労様」の声がないことが寂しく感じました。 また妻はもう美味しいものも食べられない、TVも見られない、行きたい所に行けない…それが可哀そうだなぁとの思いがありました。

葬儀の日も、その後暫くの間も妻の遺影の写真は用意しませんでした。写真を見ると妻が死んだような気がすると言ったら、娘が「だって死んだんじゃないの」と言っていました。 1月中旬になって、49日法要で遺影の写真が必要と僧侶に言われ、結婚前に撮った笑顔の写真をアルバムの中で見つけ、それを遺影の写真として仏壇にも供えました。

近くの方々には妻の死を伝えていなかったので、以前と同じように毎日を過ごしました。 一人でゆっくり自分の心の移り変わりを見つめ、49日法要が済んでやっとほっとした頃には一人の生活にも大分慣れました。 「葬儀から半年間は誰にも知らせない」との妻との約束が終わり、6月16日に妻が生前色々お世話になった方に妻の死を伝え、その後何人かの友人にもメールで伝えました。 12月16日に、霊園で一周忌の法要を行い一段落しました。

12月16日の最期の別れの少し前の面会の時、妻に「死んでもアンビ(家族の呼び名)は、ここにいるよ」と自分の左胸の辺りを叩いたら妻が頷きました。 筆者は魂とか霊魂はあるとは思いませんが、何時も左胸に手を当てると、「あぁ、ここに居るなぁ」…との感じがします。 不思議な思いです。ですから一人ぼっちという思いは余り無く、人生の同士がここに居るなぁという感じです。多分一般にはこれが魂とか霊魂と言われるものかも知れません。

魂や霊魂はあると思う人には有り、ないと思う人には無くて良いと思います。自分の心がそれによって、苦しみが癒され安寧が得られればそれで十分です。 かけがいのない人を失ったとき、人は亡き人の魂の永続性を求めるのは自然です。魂の永続性を求めるとき、人は死後の世界を考え始めたのでしょう。 やがて人は死の恐怖を実感するようになり、そのことが宗教の生まれる素地となったのかも知れません。

命の有限性の自覚と、生前葬の勧め

筆者の体験として、生前葬をしておいて良かったと思います。生前コンサートをされた小椋佳さんの出演したTV番組も見ました。 私達夫婦は長い間、死生の話をしてきましたが、ある時生前葬の話が出て「じゃ、やろう」となり実施しました。

2011・2・1…二人だけで、お寿司を買ってきてビールで乾杯し、般若心経をテープで流しながら今迄の色々な思い出を語り合い、 色々大変なこともあったけれど面白い人生だったねと、二人で頷き合いました。同年8月に、家族で夫婦の生前葬を行いました。

筆者は生前葬を済ませてからは、家を出る時、これが「別れの時」と思って家を後にしました。 生前葬をするということは、人間の死が、事故・災害・病気等で突然やって来ることを自覚し、自分達がいつ死別するか分からないということを覚悟することです。

ご夫婦で急に生前葬をするのは無理かも知れませんが、生前葬を定年の頃(そろそろ認知症の心配がでる頃)の60~65歳位にすれば、 人生の転換期として今迄の人生を振り返り、これからの人生を見直す良い機会になると思います。

夫婦でお互いの死の可能性を自覚すれば、平穏な今の大切さを理解し、お互いを大事なパートナーと思えるでしょう。 二人が何時までも生きていると思うと、気に入らない事があったりすると、ついつい言い争い等をしてしまいがちです。 言い争いをして出かけた先で事故に遭って亡くなった…ということを聞いたことがあります。こういう死別では強い後悔が残るでしょう。死は本当に不意に訪れます。

この機会に生前葬はともかく、せめて生前葬のお話でもされたら如何でしょうか。 できたらご夫婦で生前葬を試して見てください。お一人の方は、友人やお知り合いの方々とする方法も考えられます。

どうか一度限りの人生を、愚痴や喧噪にエネルギーを費やさず、思いやりと尊敬の念でお互い生きられたら、より幸せになれると思います。平凡な今日という一日を大事になさって下さい。


内田 誠(うちだ まこと)

東京天文台(現国立天文台)に11年間勤務。在職中に東京理科大学理学部物理学科、日本大学文理学部哲学専攻(通信)卒。30歳で天文台を退職。 その後日本大学文理学部英文学専攻(通信)卒。私塾で教育に当たる傍ら死の問題を考察。2006年12月に「死に直面したあなたに」を自費出版。 2008年1月に死生学研究会を立ち上げ、死の不安の解消等を中心に死生学全般に関する年3回のセミナー(講演会)を開催。現在第25回セミナーを終了。 毎年3月・7月・11月に開催。八王子市出身・日本臨床死生学会会員。
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