『当院における腫瘍循環器診療の連携活動の歩みと課題』
一色 高明
腫瘍循環器診療の現状については以前の当項にて国際医療福祉大学副学長の小室一成先生が総説としておまとめになられましたのでご理解いただけたものと思います。 本稿では私どもが取り組んでおります“がん専門医と循環器専門医の連携”の取り組みについてその概略を紹介させていただきます。
【当院の活動について】
まず初めに私が勤務している上尾中央総合病院についてご紹介しておきます。 当院は埼玉県上尾市の高崎線の上尾駅から徒歩5分の場所にある病床数733床、医師数300名を有する急性期総合病院です。 精神科を除くほぼすべての診療科を有し、年間約7000台の救急車を受け入れるなど24時間体制で救急診療を行っています。 がん診療についてはがん診療連携拠点病院(国指定)として幅広い分野でのがん診療を推進しており、特にロボット手術については早期から導入を進め、現在は手術支援ロボットのダビンチを3台保有して多くの領域の手術を行っています。 私ども循環器内科は、狭心症や心筋梗塞、不整脈、大動脈や末梢動脈疾患などの病気の診療を中心に多くの血管内治療の実績があります。 循環器疾患の中でも急性心筋梗塞や大動脈解離など一刻一秒を争う疾患に対しては重点的に地元の救急隊や近隣の医療施設との連携を強化する体制の整備を進めてきました。 まず初めに2015年の11月に“循環器ホットライン”を導入して24時間体制で循環器内科のスタッフに直接治療の依頼ができる体制を作りました。 次いで2018年には心臓病専用高機能救急車である“モービルCCU”を導入して近隣の医療機関からの依頼を受けて出動し当院へ直接搬送するシステムを確立しました。 最近では救急隊が現場で記録した心電図を直ちに当院のスタッフが確認して診断できる“プレホスピタル心電図”のシステムを近隣の消防本部と連携して運用して、疾患によっては病院到着前に診断ができるようになり治療成績が向上しています。 近年高齢者を中心に増加している心不全に対しては医師だけでなく、 看護師、理学療法士、検査技師、放射線技師、臨床工学技士、管理栄養士、薬剤師、社労士などの多職種による心不全チーム医療で治療から予防まで力を結集して治療に当たっています。 2023年度からは当院を中心とした心不全地域診療パスを導入して、近隣の医療施設との連携を強化しているところです。
【当院の腫瘍循環器診療の歩み】
さて、私は40年以上にわたり循環器診療に携わって来ましたが、その大半は“がん”とはほとんどかかわりがなく過ごしてきました。 私の研修医時代に受け持ちしたがん患者さんは一部の例外を除いて皆闘病むなしく鬼籍に入られました。 私が循環器内科医を選択したのは、生命の危機にある患者さんを救うことができるという診療に魅力を感じたからでした。 しかし、私が循環器診療に没頭している間にがんの治療は進歩し成績は格段に良くなっていました。 そして、それとともにがんの治療歴を有する患者さんを私どもが診察する機会が増えてきました。 私が腫瘍循環器診療にかかわるようになったのは、当院に赴任して1年ほど経過した2016年の春に、 友人の医師から“これからカルディオオンコロジー(腫瘍循環器学)が循環器医にとって大切な時代になるかもしれない”と進言されたことがきっかけでした。 院内外の状況を見ると、院内には複数の診療科ががん診療に携わっており、外科手術の周術期や、化学療法施行中、施行後の循環器合併症は稀ではなく、 また近隣の埼玉県立がんセンターから循環器救急患者が搬送されてくることも少なくありませんでした。 改めて循環器内科医のがん診療に対する知識の状況を評価したところ、がんの病態や治療、抗がん薬の種類や副作用、そしてがん治療に伴う合併症対策や予防方法、などに対する多くの知識が不足していることが明らかになりました。 そこで、がん患者に対応する専門窓口を作ることが必要と判断し、体制づくりに着手しました。 その年の秋に順天堂大学の佐瀬一洋教授に腫瘍循環器診療の重要性に関する教育講演を院内で開催して、病院執行部への根回しを行いました。 そして、スタッフの中から専任医1名を選任して翌2017年の4月から”カルディオオンコロジー外来“の運用を開始しました。 当外来では、がん治療中に発症した合併症に対応するだけでなく、個々の患者さんの状態によって治療の継続が可能かどうかの評価や、薬物療法終了後のフォローを行うこととして現在も続けています。 カルディオオンコロジー外来の導入に引き続いて、院内連携の一環として、”腫瘍循環器カンファレンス“を始めました。 症例検討や各種の抗がん薬の特性など、テーマを絞って定期的に開催することとし、多職種にも働きかけて、循環器内科と腫瘍内科の医師のほか、 緩和ケア担当医や化学療法室の看護師や薬剤師、社労士なども参加して相互の理解ができる環境を整えました。 驚いたことに、これらの活動を続けているうちに、専任医だけでなく循環器内科スタッフ全体のがん診療に対する知識レベルが向上してきたことを実感するようになりました。 原因不明の血栓症に対してはがんが潜んでいる可能性を自然に評価するようになり、心不全に対してはがんの治療歴を確認するようになりました。 このように腫瘍循環器診療はその組織全体の循環器内科医のがん診療に対する壁を取り払う力があるものと感じています。
【さいたまがんセンターとの連携のあゆみと現状】
さいたま県立がんセンターは上尾市に隣接する伊奈町にあり、当院からは3.6㎞、車で10分程度の距離にあります。 私が上尾中央総合病院に赴任した2015年当時、同センターには常勤の循環器内科医が不在であったことから、循環器合併症の患者さんは他院に転院搬送せざるを得ず、その対応に困っておられる状況でした。 そこで、当時の同センターの坂本裕彦院長と相談して、2017年の春から当院から循環器内科医を外来派遣させていただくこととしました。 同センターには腫瘍循環器専門医の岡亨先生(現副院長)が着任されて循環器内科医不在の問題は解決していますが、現在も当院からの外来派遣は継続中です。 このような連携体制のもとで、2018年に導入したモービルCCUは大きな力となりました。 これまでにモービルCCUを利用してがんセンターから当院に搬送された症例数は2024年6月末日の時点で、計43例で、 その内訳は心不全10例、肺塞栓10例、不整脈7例、心嚢液貯留5例、急性心筋梗塞3例、大動脈疾患3例、急性心筋炎/心膜炎2例、下肢虚血2例、その他1例となっています。 転院後の治療により死亡例は1名のみで、大半の患者さんはがん治療を再開することができています。 このように当院の腫瘍循環器診療は院内・院外を問わずがん治療時の循環器合併症に対応してがん診療科をサポートしています。
【埼玉オンコカルディオロジー研究会の設立と現在】
2017年にカルディオオンコロジー外来を開始した時から、私はこの腫瘍循環器診療をさらに広めていく必要があると感じていました。 そこで腫瘍循環器診療を導入しておられた埼玉医科大学国際医療センター循環器内科の中埜信太郎先生(現教授)と相談して、 埼玉県内のがん診療施設と循環器内科を標榜する施設が一堂に会して腫瘍循環器領域の情報交換ができるような研究会を設立してはどうかと提案したところ全面的な賛同が得られました。 これを受けて、県立がんセンター院長の坂本裕彦先生(当時)と埼玉医科大学国際医療センター包括的がんセンター長(現病院長)の佐伯俊昭先生にお願いして県内の各がん診療施設に声掛けをしていただき、 私からは県内の日本循環器学会専門研修施設に同様の提案を行い、企業の協力を得て、2018年の春に埼玉Onco-Cardiology研究会を設立し、2018年10月10日に第1回の会合を開催しました。 この会の目的は“がん診療および循環器領域の医療関係者との相互理解と連携の場を提供することにより、腫瘍循環器領域の診療レベルの向上と地域医療への貢献を図る”となっています。 本研究会は循環器内科とがん診療科が交互に当番世話人となることによって、相互理解を図る貴重な機会となっており、この秋に第8回の研究会を開催する予定です。 また、本研究会の設立と前後して小室一成先生(前東京大学医学部教授)を中心として日本腫瘍循環器学会が設立されました。 我が国の腫瘍循環器診療の向上と進歩のために日本全国からの英知を集束して積極的な活動が展開されていますので、更なる発展を期待しているところです。
【腫瘍循環器診療の課題】
さて、世界的に広がりつつある腫瘍循環器診療ですが、まだまだ多くの課題が残されています。 循環器内科の立場からみると、腫瘍循環器診療の業務に興味が持てない・必要性を感じないなどの考えがまだまだ少なくなく、 また必要性を感じても他の業務で余裕がない・マンパワーが足りないという実務的な問題も大きな壁となっている現状があります。 また、がん診療科の立場からは、心血管合併症は頻度的にそれほど多いものではないため、合併症が起こってから対応する体制に留まりやすく、 治療前や治療中のモニタリングを徹底する体制を十分にとることができない、などの問題が提起されています。 私たちは院内・院外との連携を通してこれらの課題を解決するために努力していきたいと思っています。 腫瘍循環器診療は循環器内科医の立場からがん治療を継続するためのサポートをすることだと考えているからです。
1975年東北大学医学部卒。三井記念病院にて初期研修、同病院内科に勤務した後、 1981年東京大学医学部第一内科助手、 1986年より米国留学、 1989年帰国し三井記念病院循環器センター科長を経て、 1994年帝京大学医学部第二内科助教授に就任。 1999年同内科教授。 2015年より上尾中央総合病院副院長、 2024年同心臓血管センター長、現在に至る。 冠動脈のカテーテル治療や関連領域の薬物治療に関する診療や研究に多くの実績がある。 帝京大学医学部名誉教授。医学博士。