
EBMレベルで標準治療の範囲では「残された時間をご家族と有効に」としかアドバイスできない患者に何か情報提供できないか
『がんワクチン療法は第4のがん治療法となりうるか?(1)』
東京大学医科学研究所
ヒトゲノム解析センター長
教授 中村 祐輔
ヒトゲノム解析センター長
教授 中村 祐輔
米国FDA(医薬食品局)が2009年9月17日に製薬企業向けの「Clinical Considerations for Therapeutic Cancer Vaccines(がん治療用ワクチンのための臨床学的考察)」と称するガイダンス案を公表しました。これはがんワクチンを治療薬として承認する際に満たすべき要件などに関して、企業から意見を求めるためのたたき台となります。がんの治療法には、外科療法、化学療法、放射線療法がエビデンスに基づく治療法として確立されています。免疫療法は期待されつつも、そのエビデンスが必ずしも十分でない状況が長く続いていましたが、ようやく、これら3つの治療法に続く第4の治療法として免疫療法のひとつであるワクチン療法が科学的に実証可能な治療法として認識されつつあることを示すものです。
がんの治療法のうち、外科療法や放射線療法は、がんが局所に限局される場合には有効な治療法ですが、全身病(転移・再発して全身にがんの病巣が確認されるがん、あるいは、手術やその他の治療法によって治療を受けたが目には見えないレベルで全身に広がり残っているがん)としてがんという病気をとらえた場合には、限界がある治療法です。
このような全身病としてのがんに対しては、現在では、化学療法が唯一の科学的にその効果が実証された治療法として認められています。「がんの免疫療法」は50年以上にわたって大きな期待を受けながらも、今ではその言葉を聞くだけで多くの医療関係者が顔をしかめてしまいます。私自身も最近まで、免疫療法に不信感を募らせる一人でしたので、嫌な顔をする理由も気持ちもよく理解できます。また、その効果が科学的に十分実証がされないままに、がん患者さん、特に非常に進行したがんの患者さんにとって、生きる望みをつなぐ副作用の少ない優しい方法として細胞療法などの免疫療法が広がり、高額な医療費で患者さんやその家族の生活を圧迫していることが医療関係者の間に大きな反感が広がっている理由でもあります。
ある治療法の評価が確立するまでには、膨大なエネルギーと時間・予算をかけて、科学的に検証していくことが必要です。どんな治療法であっても、科学的な裏付けがなければ、まっとうな医療として保険診療として認められることはありません(過去には必ずしもそうでないこともありましたが)。しかし、限られた命と宣告された患者さんにとっては、科学的な検証が完全に終わるまで待てないという現実的な問題が存在します。医学研究は科学として冷徹にエビデンスを評価する姿勢で臨まねばなりませんが、医療はそれに加え、患者さんの心までケアする温かい血の通った対応が極めて重要です。臨床研究や臨床試験(治験)は科学としての価値観が高く求められる一方、医療現場でそれが実施される以上、現場の医師は目の前の患者さんに対する「情」と「科学」の狭間で苦悩することが少なからずあります。しかし、情に流されたり、患者さんの弱みに付け込むような無責任な姿勢は、長期的に見れば「百害あって一利なし」となってしまいます。
がんワクチン療法は、がん細胞で特異的に作られているタンパク質を利用して、患者さん自身の持つ免疫力のうち、がん細胞を特異的に攻撃する免疫力を高める治療法として1990年代から試行錯誤が繰り返されてきたものです。丸山ワクチンや蓮見ワクチン、あるいは、養子免疫細胞療法などの免疫療法と混同される方が多いのですが、これらの治療法が非特異的免疫療法であるのに対して、がんワクチン療法は特異的免疫療法として区別されます。たとえば、われわれはリンパ球という名前をよく耳にします。研究が進むにつれ、リンパ球も多くの種類に分類されてきましたが、ワクチン療法で重要なもののひとつが細胞障害性リンパ球(CTL)という種類のリンパ球です。このリンパ球はウイルスに感染した細胞などをやっつけて排除する働きを持っています。しかし、CTLといってもいろいろなウイルスや外敵に対応できるように、体の中には膨大な種類のものが存在しています。このうち、主にがん細胞だけに反応するCTLを増やすことを目的としてがんワクチンが利用されるようになってきています。図に示すように、いろいろな種類のリンパ球を選別せずに増やして免疫を高める方法を非特異的免疫療法、がん細胞の目印となるような分子を認識してがん細胞をやっつけるリンパ球だけを増やす方法を特異的免疫療法と呼びます。
われわれはワクチン療法の中でも、ペプチドワクチン療法という人工的に合成したがん細胞の目印=ペプチド(9個か10個のアミノ酸をつなげたもの)を利用しています。このようなペプチドを用いると、(1)ペプチドワクチンに反応して患者さんの血液中で特異的CTLが増えていること、(2)CTLががんの組織に浸潤していること、また、(3)ペプチドワクチン治療を受けた患者さんの体の中で増えたペプチド特異的CTLが本当にがん細胞を死滅させることができるかどうかを科学的に検証することができます。これまでの免疫療法の課題は、たとえ有効であった症例があったとしても、免疫力が活性化されてがんをやっつけたのであろうという漠然とした印象だけで、科学的な裏付け(何がどのように働いて、がん細胞をやっつけたのか)が取られていませんでした。現在、われわれだけでなく、世界的に展開しているがん(ペプチド)ワクチン療法では、限られた症例数ですが、ワクチンに反応するリンパ球の増えている患者さんは、そうでない患者さんに比して生存期間が延長していることが確認されつつあります。ペプチドワクチン療法ががん治療の一翼を担う治療法としての評価を受けるには、まだまだ不十分ですが、多くの患者さんと医療関係者・医学研究者の共同作業・連携によって、がん医療が日進月歩で変わりつつあります。次回は、ペプチドワクチン療法の働く仕組みと、これまでのデータを紹介します。
がんの治療法のうち、外科療法や放射線療法は、がんが局所に限局される場合には有効な治療法ですが、全身病(転移・再発して全身にがんの病巣が確認されるがん、あるいは、手術やその他の治療法によって治療を受けたが目には見えないレベルで全身に広がり残っているがん)としてがんという病気をとらえた場合には、限界がある治療法です。
このような全身病としてのがんに対しては、現在では、化学療法が唯一の科学的にその効果が実証された治療法として認められています。「がんの免疫療法」は50年以上にわたって大きな期待を受けながらも、今ではその言葉を聞くだけで多くの医療関係者が顔をしかめてしまいます。私自身も最近まで、免疫療法に不信感を募らせる一人でしたので、嫌な顔をする理由も気持ちもよく理解できます。また、その効果が科学的に十分実証がされないままに、がん患者さん、特に非常に進行したがんの患者さんにとって、生きる望みをつなぐ副作用の少ない優しい方法として細胞療法などの免疫療法が広がり、高額な医療費で患者さんやその家族の生活を圧迫していることが医療関係者の間に大きな反感が広がっている理由でもあります。
ある治療法の評価が確立するまでには、膨大なエネルギーと時間・予算をかけて、科学的に検証していくことが必要です。どんな治療法であっても、科学的な裏付けがなければ、まっとうな医療として保険診療として認められることはありません(過去には必ずしもそうでないこともありましたが)。しかし、限られた命と宣告された患者さんにとっては、科学的な検証が完全に終わるまで待てないという現実的な問題が存在します。医学研究は科学として冷徹にエビデンスを評価する姿勢で臨まねばなりませんが、医療はそれに加え、患者さんの心までケアする温かい血の通った対応が極めて重要です。臨床研究や臨床試験(治験)は科学としての価値観が高く求められる一方、医療現場でそれが実施される以上、現場の医師は目の前の患者さんに対する「情」と「科学」の狭間で苦悩することが少なからずあります。しかし、情に流されたり、患者さんの弱みに付け込むような無責任な姿勢は、長期的に見れば「百害あって一利なし」となってしまいます。
がんワクチン療法は、がん細胞で特異的に作られているタンパク質を利用して、患者さん自身の持つ免疫力のうち、がん細胞を特異的に攻撃する免疫力を高める治療法として1990年代から試行錯誤が繰り返されてきたものです。丸山ワクチンや蓮見ワクチン、あるいは、養子免疫細胞療法などの免疫療法と混同される方が多いのですが、これらの治療法が非特異的免疫療法であるのに対して、がんワクチン療法は特異的免疫療法として区別されます。たとえば、われわれはリンパ球という名前をよく耳にします。研究が進むにつれ、リンパ球も多くの種類に分類されてきましたが、ワクチン療法で重要なもののひとつが細胞障害性リンパ球(CTL)という種類のリンパ球です。このリンパ球はウイルスに感染した細胞などをやっつけて排除する働きを持っています。しかし、CTLといってもいろいろなウイルスや外敵に対応できるように、体の中には膨大な種類のものが存在しています。このうち、主にがん細胞だけに反応するCTLを増やすことを目的としてがんワクチンが利用されるようになってきています。図に示すように、いろいろな種類のリンパ球を選別せずに増やして免疫を高める方法を非特異的免疫療法、がん細胞の目印となるような分子を認識してがん細胞をやっつけるリンパ球だけを増やす方法を特異的免疫療法と呼びます。
われわれはワクチン療法の中でも、ペプチドワクチン療法という人工的に合成したがん細胞の目印=ペプチド(9個か10個のアミノ酸をつなげたもの)を利用しています。このようなペプチドを用いると、(1)ペプチドワクチンに反応して患者さんの血液中で特異的CTLが増えていること、(2)CTLががんの組織に浸潤していること、また、(3)ペプチドワクチン治療を受けた患者さんの体の中で増えたペプチド特異的CTLが本当にがん細胞を死滅させることができるかどうかを科学的に検証することができます。これまでの免疫療法の課題は、たとえ有効であった症例があったとしても、免疫力が活性化されてがんをやっつけたのであろうという漠然とした印象だけで、科学的な裏付け(何がどのように働いて、がん細胞をやっつけたのか)が取られていませんでした。現在、われわれだけでなく、世界的に展開しているがん(ペプチド)ワクチン療法では、限られた症例数ですが、ワクチンに反応するリンパ球の増えている患者さんは、そうでない患者さんに比して生存期間が延長していることが確認されつつあります。ペプチドワクチン療法ががん治療の一翼を担う治療法としての評価を受けるには、まだまだ不十分ですが、多くの患者さんと医療関係者・医学研究者の共同作業・連携によって、がん医療が日進月歩で変わりつつあります。次回は、ペプチドワクチン療法の働く仕組みと、これまでのデータを紹介します。












略歴
中村 祐輔 (なかむら ゆうすけ)
1977年大阪大学医学部卒業後、大阪大学医学部付属病院(第2外科)、同分子遺伝学教室、米国ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、同大人類遺伝学教室助教授、(財)癌研究会癌研究所生化学部部長を経て1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。 1995東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長ゲノムシークエンス解析分野 教授。2005年理化学研究所 ゲノム医科学研究センター長(併任)、現職。
高松宮妃癌研究基金学術賞、(財)癌研究会学術賞、日本人類遺伝学会賞、日本癌学会吉田富三賞、紫綬褒章等受章多数。ブルガリア科学アカデミー会員。
1977年大阪大学医学部卒業後、大阪大学医学部付属病院(第2外科)、同分子遺伝学教室、米国ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、同大人類遺伝学教室助教授、(財)癌研究会癌研究所生化学部部長を経て1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。 1995東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長ゲノムシークエンス解析分野 教授。2005年理化学研究所 ゲノム医科学研究センター長(併任)、現職。
高松宮妃癌研究基金学術賞、(財)癌研究会学術賞、日本人類遺伝学会賞、日本癌学会吉田富三賞、紫綬褒章等受章多数。ブルガリア科学アカデミー会員。