
ついにアメリカで認可された前立腺がんワクチン療法。わが国でも臨床研究や治験等が進み、成果も認められはじめてきた。ここで思い切った投資をして一定の成果を上げることが、国家戦略としての柱ではないか。
『がんワクチン療法の現状と課題』
東京大学医科学研究所・ヒトゲノム解析センター 教授
中村祐輔
中村祐輔
米国FDA(医薬食品局)は2009年9月17日に製薬企業向けの「Clinical Considerations for Therapeutic Cancer Vaccines(がん治療用ワクチンのための臨床学的考察)」と称するガイダンス案を公表しました。これはがんワクチンを治療薬として承認する際に満たすべき要件などに関して、企業から意見を求めるためのたたき台となります。がんの治療法には、外科療法、化学療法、放射線療法がエビデンスに基づく治療法 として確立されていますが、免疫療法は期待されつつも、そのエビデンスが必ずしも十分でない状況が長く続いていました。しかし、2010年4月末に米国FDAは、Dendreon社の前立腺癌治療ワクチン薬「Provenge」を承認しました。この治療法は、われわれのようにペプチドワクチンを患者さんの皮下に注射するのではなく、「患者本人から樹状細胞とよばれる免疫を高める細胞を採取し、体外で培養して、PAP(prostatic acid phosphatase)で刺激した後に体内に戻し、このPAPを攻撃目標とするリンパ球を患者さんの体内で増やそうとする治療法です。ようやく、これまでの3大治療法に続く第4の治療法として、免疫療法のひとつであるワクチン療法が科学的に実証可能な治療法として認識されたことを示すものです。問題は、その治療費が93000米ドル($1=85円として約800万円)と非常に高額な点にあります。

このProvengeに限らず、図に示したように、最近承認を受けたがんの分子標的治療薬と分類される薬剤は非常に高額であり、それが日本の医薬品輸入超過につながっています。平成20年度の医薬品の輸入額から輸出額を差し引いた金額は約8000億円となっており、本年度には1兆円前後に達するのではと推測されています。
ある治療法の評価が確立するまでには、膨大なエネルギーと時間・予算をかけて、科学的に検証していくことが必要です。どんな治療法であっても、科学的な裏付けがなければ、まっとうな医療として保険診療として認められることはありません。しかし、たとえ新薬の開発が大変だとしても、どうしてわが国でのがん分子標的治療薬の開発はここまで遅れてしまったのでしょうか?私が思いつく理由を列記します。
1. 特定の分子を標的とした薬剤を開発するという概念自体の導入が非常に遅れた。
2. がんの基礎研究の成果を薬剤の開発につなげていくシステムがなかった(多くの研究者にとってのゴールは論文を発表することであり、時間もかかり、成功確率の低い創薬に関心が低かった)。乳がんの治療薬ハーセプチンの対象分子であるHER(日本ではERBB2と呼ぶ)は、日本人の豊島久真男先生が最初に発見した分子である。最近でも、自治医科大学の真野博行先生が見つけた遺伝子に対する治療薬をファイザーが開発し、日本人の患者さんが韓国で行われていた治験に参加するため、韓国に行ったことが報告されている。
3. 大学が知的財産などに対する十分な対応をしてこなかったため、企業サイドが大学などとの共同研究にあまり積極的でなかった。
4. 新薬の臨床開発を進める医師に対する評価が低かった。多大な時間と労力がかかる臨床試験(臨床研究)はネガティブな結果に終わると、それを実施した医師は全く評価されなかった。いい論文(評価の高い雑誌への発表)が臨床現場でも個人の評価として優先されるため、薬を開発する人材が育ってこなかった。
5. 臨床研究や臨床試験に対する国費の投入がほとんどない。
6. 産学連携が不可欠な分野でありながら、いろいろな場面で産学癒着が指摘され(インフルエンザ治療薬タミフルの副作用の場合など、メディアが副作用を感情的に取り上げ、インフルエンザ専門家を糾弾した)、臨床医の気持ちを萎縮させた。
7. 研究者が発見した分子をもとに薬剤をスクリーニングしようと思っても、公的にそれをバックアップする仕組みがない(アメリカのNIHでは、大量高速にスクリーニングするシステムが研究者に提供されている。台湾の中央科学院にも100万種類の化合物をスクリーニングするシステムが国費によって運営されている)。日本でもようやく公的な機関(東京大学や理化学研究所)において多くの化合物が収集されるようになったが、そのスクリーニングは手作業レベルである。
以上のような日本の悲惨な状況に比して、アメリカでは産学官の仕切りがなく、まさに国をあげて創薬に取り組んでいる状況です。もっとも重要なことは、がんを克服するために何が必要かを考え、それらに対して戦略的に取り組むことだと思います。オバマ大統領は選挙公約として”Obama-Biden Plan to Combat Cancer”(がんと闘うためのオバマーバイデン計画)を掲げましたが、それには次の11項目に関する目標が明記されています。
1. がん研究助成を二倍にする(対象機関:NIH、NCI、CDC、FDA)
2. すべての国民に質の高いヘルスケアを提供する
3. すべての国民のためにがん予防策を確立する。
4. 保険に関する差別をなくす。
5. 多くの国民が新薬にアクセスできる機会を国の支援で増やす。
6. エビデンスに基づいたがん治療の普及に努める。
7.がん研究,治療、啓蒙活動への連邦政府関連機関の連帯を強化する。
8.医療分野における人材の強化に努める。
9.個別化医療の発展を支援する。
10.がん生還者(Cancer Survivor)とその家族への新たな支援を提供する。
11.環境要因の同定につとめる。
これらの明確なビジョンに加え、日本と米国のがん研究費の差を図にまとめましたが、すでに一桁以上の差があります。その上、国のトップが宣言しているのですから、もっと差が大きくなることは間違いありません。また、アメリカの国立がん研究所(NCI)にはすでに300億円程度の臨床試験支援費が計上されているが、この内容をみると現在臨床試験を受けているがん患者の割合は約5%(20人に一人が新薬にアクセスできている)であり、これを倍の10人に一人にする目標が掲げられています。画期的な新薬を生み出すことを国として支援することは、患者さんの救いになるうえ、国家の医療経済の観点からも重要な投資分野だと思うのだが、どうもこの国ではこんな単純な論理も成り立たないようです。
しかし、希望の光はわずかですがあります。平成23年度の成長戦略枠のひとつとして、文部科学省と厚生労働省から大型の概算要求が提出され、この中には創薬に向けた取り組みやがんペプチドワクチンの臨床試験支援が盛り込まれています。図からわかるように、患者さんの団体の取り組みが日米では格段に違います。ぜひ患者さんに大きな声をあげていただいて日本の行政にそれが反映されるようになることを切望します。
ある治療法の評価が確立するまでには、膨大なエネルギーと時間・予算をかけて、科学的に検証していくことが必要です。どんな治療法であっても、科学的な裏付けがなければ、まっとうな医療として保険診療として認められることはありません。しかし、たとえ新薬の開発が大変だとしても、どうしてわが国でのがん分子標的治療薬の開発はここまで遅れてしまったのでしょうか?私が思いつく理由を列記します。
1. 特定の分子を標的とした薬剤を開発するという概念自体の導入が非常に遅れた。
2. がんの基礎研究の成果を薬剤の開発につなげていくシステムがなかった(多くの研究者にとってのゴールは論文を発表することであり、時間もかかり、成功確率の低い創薬に関心が低かった)。乳がんの治療薬ハーセプチンの対象分子であるHER(日本ではERBB2と呼ぶ)は、日本人の豊島久真男先生が最初に発見した分子である。最近でも、自治医科大学の真野博行先生が見つけた遺伝子に対する治療薬をファイザーが開発し、日本人の患者さんが韓国で行われていた治験に参加するため、韓国に行ったことが報告されている。
3. 大学が知的財産などに対する十分な対応をしてこなかったため、企業サイドが大学などとの共同研究にあまり積極的でなかった。
4. 新薬の臨床開発を進める医師に対する評価が低かった。多大な時間と労力がかかる臨床試験(臨床研究)はネガティブな結果に終わると、それを実施した医師は全く評価されなかった。いい論文(評価の高い雑誌への発表)が臨床現場でも個人の評価として優先されるため、薬を開発する人材が育ってこなかった。
5. 臨床研究や臨床試験に対する国費の投入がほとんどない。
6. 産学連携が不可欠な分野でありながら、いろいろな場面で産学癒着が指摘され(インフルエンザ治療薬タミフルの副作用の場合など、メディアが副作用を感情的に取り上げ、インフルエンザ専門家を糾弾した)、臨床医の気持ちを萎縮させた。
7. 研究者が発見した分子をもとに薬剤をスクリーニングしようと思っても、公的にそれをバックアップする仕組みがない(アメリカのNIHでは、大量高速にスクリーニングするシステムが研究者に提供されている。台湾の中央科学院にも100万種類の化合物をスクリーニングするシステムが国費によって運営されている)。日本でもようやく公的な機関(東京大学や理化学研究所)において多くの化合物が収集されるようになったが、そのスクリーニングは手作業レベルである。
以上のような日本の悲惨な状況に比して、アメリカでは産学官の仕切りがなく、まさに国をあげて創薬に取り組んでいる状況です。もっとも重要なことは、がんを克服するために何が必要かを考え、それらに対して戦略的に取り組むことだと思います。オバマ大統領は選挙公約として”Obama-Biden Plan to Combat Cancer”(がんと闘うためのオバマーバイデン計画)を掲げましたが、それには次の11項目に関する目標が明記されています。
1. がん研究助成を二倍にする(対象機関:NIH、NCI、CDC、FDA)
2. すべての国民に質の高いヘルスケアを提供する
3. すべての国民のためにがん予防策を確立する。
4. 保険に関する差別をなくす。
5. 多くの国民が新薬にアクセスできる機会を国の支援で増やす。
6. エビデンスに基づいたがん治療の普及に努める。
7.がん研究,治療、啓蒙活動への連邦政府関連機関の連帯を強化する。
8.医療分野における人材の強化に努める。
9.個別化医療の発展を支援する。
10.がん生還者(Cancer Survivor)とその家族への新たな支援を提供する。
11.環境要因の同定につとめる。
これらの明確なビジョンに加え、日本と米国のがん研究費の差を図にまとめましたが、すでに一桁以上の差があります。その上、国のトップが宣言しているのですから、もっと差が大きくなることは間違いありません。また、アメリカの国立がん研究所(NCI)にはすでに300億円程度の臨床試験支援費が計上されているが、この内容をみると現在臨床試験を受けているがん患者の割合は約5%(20人に一人が新薬にアクセスできている)であり、これを倍の10人に一人にする目標が掲げられています。画期的な新薬を生み出すことを国として支援することは、患者さんの救いになるうえ、国家の医療経済の観点からも重要な投資分野だと思うのだが、どうもこの国ではこんな単純な論理も成り立たないようです。

しかし、希望の光はわずかですがあります。平成23年度の成長戦略枠のひとつとして、文部科学省と厚生労働省から大型の概算要求が提出され、この中には創薬に向けた取り組みやがんペプチドワクチンの臨床試験支援が盛り込まれています。図からわかるように、患者さんの団体の取り組みが日米では格段に違います。ぜひ患者さんに大きな声をあげていただいて日本の行政にそれが反映されるようになることを切望します。



















略歴
中村祐輔(なかむら ゆうすけ)
1977年大阪大学医学部卒業後、大阪大学医学部付属病院(第2外科)、同分子遺伝学教室、米国ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、同大人類遺伝学教室助教授、(財)癌研究会癌研究所生化学部部長を経て1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。 1995東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長ゲノムシークエンス解析分野 教授。2005年理化学研究所 ゲノム医科学研究センター長(併任)、現職。 2010年4月より国立がん研究センター研究所長(併任)。
高松宮妃癌研究基金学術賞、(財)癌研究会学術賞、日本人類遺伝学会賞、日本癌学会吉田富三賞、紫綬褒章等受章多数。ブルガリア科学アカデミー会員。
1977年大阪大学医学部卒業後、大阪大学医学部付属病院(第2外科)、同分子遺伝学教室、米国ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、同大人類遺伝学教室助教授、(財)癌研究会癌研究所生化学部部長を経て1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。 1995東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長ゲノムシークエンス解析分野 教授。2005年理化学研究所 ゲノム医科学研究センター長(併任)、現職。 2010年4月より国立がん研究センター研究所長(併任)。
高松宮妃癌研究基金学術賞、(財)癌研究会学術賞、日本人類遺伝学会賞、日本癌学会吉田富三賞、紫綬褒章等受章多数。ブルガリア科学アカデミー会員。