市民のためのがん治療の会
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『伝記を書いて世に問いたかった二つのこと』


今野 博信

このほど、西尾正道先生の評伝『医師奮迅 西尾正道の「手技」主張』(一声社,2025)を上梓した者です。 本書の冒頭に先生が書いてくださった前書きがあるので、詳しい経緯はそちらをご覧頂けると幸いです。 要点を述べれば、私が無理を承知で先生に伝記本執筆のお許しを願い出た、ということから全ては始まりました。 今、手元に本を置いてページをめくって思い返すのは、自分が何故この伝記を書かなければならない、とまるで使命感に急かされるように書き始めたのか、というそもそもの動機についてです。 西尾先生のようなお医者さんが社会には必要だ、という願いがまず一つ。 もう一つは、丸ごと西尾先生を真似できなくても、一部分を見習うなら自分も受け持てる部分があるのではないか、という自分なりに責任を果たそうとする思いです。 少し、説明させてください。

「筋を通す」ことの大事さ

先生と私とで十年の出生時期の差があります。 先生が体験されたいろんな出来事の幾つかは、私も知ってはいました。 例えば学生運動が盛んな時代を、十歳下の小学生として体験していました。 近所の子どもが集まって遊ぶのに、デモ隊ごっこ(機動隊ごっこ)は人気メニューの一つでした。 意味不明のまま「アンポハンターイ」と大声で叫びデモ隊が行き過ぎると、道を塞いでいたキドー隊が「ケンキョー!」の命令一下、デモ隊を蹴散らすという遊びを繰り返していました。 当時の私は、そういう(若者達が自己の主張を行動で表すという)時代が今後も続くものだと、何となく思っていました。 でも、実際はそうなりませんでした。自分が学生になりたての頃にはありふれた存在だった立て看は、卒業時には目にすることもなくなっていました。 その代わりに目を引いたのは、スーツ姿の新入生達が整然と列をなしている姿で、それが日常の景色になっていたのです。 どの大学のキャンパスにも、「まだ高校生」の集団と「もう会社員」の集団が闊歩していました。 子どもの頃にデモの練習をしたり、警棒で殴りかかる練習を繰り返していたのに、その技量を発揮できる場はどこにもありませんでした。

時代というものは、そのようにしてあっさりと掃き清められ、次々と新しい顔つきで変わっていくのかと諭されたような気分でいたある日、 西尾先生が講演された原発温排水の影響や放射能による内部被曝について、刮目させられる機会がありました。 本書の後書きで少しだけ触れましたが、岩内で長く温排水の計測を続けてこられた市民学者の斉藤武一さんを偲ぶ集会があった時の出来事でした。 そこで西尾先生は、ご自身の佐世保のデモ体験を語り、小線源放射線治療から得た内部被曝の危険性を語られたのです。 そこには、シンプルで力強い人間存在の迫力がありました。筋を通すことが力をもっていました。

話が溯りますが、関係する話なのでご容赦ください。 アジア太平洋戦争に敗れた後の日本では、自身の従軍体験を語ろうとしない人たちが多かったといいます。 同じように、学生運動を体験しながら、自身のことを語らない人たちも多くいました。 二つの時代で体験内容に違いはあるのでしょうが、「語らないという不作為」には共通性があります。 一人一人の理由は重いものだと思っています。 でも、語らないことで実際にあったことが忘れ去られたり、後に都合よく利用されたりする危険性があるのは、どちらにも共通します(例えば、特攻作戦の美化やデモの過剰な忌避感など)。 なので、西尾先生がデモ体験を語ってくれたことは、私にとって「そうでしたよね、そういうことが実際にありましたよね」と過去の隙間を埋めてくれるように有り難かったのでした。 でその後になって、その有り難さは、私以外の人にも伝わるべきだと思うようになりました。 つまり、若者達(に限らず人は誰でも)は、自分の主張を行動で表すことは大事なんだぞ、と世に問うべきだと思い至ったのです。 西尾先生の人生が、医学はもちろん政治でも経済でも科学でもあらゆる面で筋を通すために積み上げられて来たのだと、世に問うことを決心しました。 ここまでが、一つ目の思いの説明でした。

「自分はこれができる」と行動すること

さてその後、実際に先生にインタビューをお頼みして、たくさんの資料を提供してもらい、ご著書や新聞雑誌の記事を読み込んでいくと、そのご活躍ぶりに圧倒されました。 インターネット上には各種の動画も保存されています。 先生ご自身が関わるアーカイブサイトもあります。 参議院議事録には参考人発言が記録されています。 原発裁判での意見書も読むことができます。 まさに八面六臂の活躍ぶりを見せつけられたわけです。

社会にとって、西尾先生のようなお医者さんが居てくださることが必要だ、と思って本を書こうとしましたが、これだけ多方面で活躍できる次の人を見つけ出すのはどれほど難しいかに考えが至りました。 人の病気を治すお医者さんは居ても、社会の病理に舌鋒鋭くメスを入れられるお医者さんは希有の存在です。 八面六臂とは、八つの顔をもち六つの腕(肘)をもつ仏さまのことですが、先生のイメージはそれと重なりました(本書の中では、西尾先生の右手が放射線の影響で繊維化していて、その身を削るようなイメージから、アンパンマンに重ねられていますが)。

一人の人間が西尾先生の八面六臂を引き継ぐのは難しいけれど、顔ひとつ分なら受け持てる、という人は出て来そうです。 腕一本分をぜひ引き継いでください、と頼むのなら受け入れてくれる人もいそうです。 かくいう私も、西尾先生がなかなか口になさらないある時点でのご自身のお気持ちなどを、何とか聞き出すことで先生の人となりを記述するという指一本分ぐらいの役割を果たすことにしたわけです。 八面六臂の活躍を一人に託すのではなく、何人かで分担していくなら、そうした力を集めて全体として社会に「筋を通す」という気風を巻き起こせるだろうと考えたわけです。 なので、本書の読者には、こんなエネルギッシュなお医者さんがいるんだ、と感心するだけでなく、「自分なら西尾先生が関心を寄せた除草剤問題を誰かと一緒に考えてみよう」と行動してほしいのです。

最後のまとめ

今回の編集作業では5回6回に及ぶ校正を繰り返しました。 取り上げた問題が多岐にわたり、しかもデリケートな内容だったので、一つ一つの出典を確認して、表記方法や構文の工夫などにも細心の注意を払いました。 編集者とのやり取りでは、著者だからといっても、印象だけで書いた文章はことごとく書き直しを求められました。 編集という作業の重さを実体験しました。感謝の思いで振り返っています。

現代に至る医療界や経済界、政治や行政、司法などに厳しい目を向けている内容のせいでしょうか、本書を扱ってくれる本屋さん(とくにネット上の本屋さんなど)が少ないように感じます。 出版社からは、宣伝広告を打とうにも引き受けてくれる媒体が見つけにくいなどと聞かされました。 なので、皆さんが読者になってくださって、身近な本屋さんなどに取り寄せを頼んでもらえると助かります。 これも、八面六臂の役割の一つだと考えますがいかがでしょうか。 ぜひ、よろしくお願い申し上げます。

今回、このような貴重な執筆の機会を与えてくださった會田昭一郎さんに、満腔の感謝を申し上げます。




今野 博信(こんの ひろのぶ)

高校まで北海道。 関西に出て、奈良で大学を終え大阪で新劇団の制作(文芸)部に所属。 奈良で私塾を始め、30代で北海道に戻り、公立小学校教諭。大学院修学休業で再び奈良に(教育学修士)。 復職後に室蘭工業大学で非常勤講師(教職授業)を始めた。 小学校教員を早期退職後に親元(伊達市)で私塾を始めて、現在は東京理科大学長万部キャンパスの非常勤カウンセラーも担当(学校心理士スーパーバイザー)。
一般財団法人テコス教育振興会の代表理事でもある。1957年生まれ。
著書:コトニスム・カタルシカ(2017)、コトニスム・ノベルシカ(2022)、医師奮迅(2025)、全て出版は一声社。
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