市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
多くの臨床経験と研究、医学教育を通じて得たもの、そして自らが患者となって得たものは。

『苦痛の少ない治療を信頼できる主治医のもとで』


札幌医科大学医学部放射線医学講座
晴山雅人
 1972年卒業間近まで専門分野が決まらず、進路を迷っていた時に、喫茶店で始めてお会いした医師に放射線科を勧誘され、放射線医学を勉強してみようと言う気持ちになった。CTやMRIがない時代で、当時の最先端の画像診断であった血管造影に興味を持ったのがきっかけで1年だけの研修と断言し放射線医学の道に入った。週に2回血管造影の勉強をさせて頂き、何人かの患者さんの受持ち医をさせていただいた。最初の患者さんは進行食道がんのお爺ちゃんで、お婆ちゃんがいつも付き添い、小生は孫にあたる世代であった。放射線治療によって飲み込みも改善し退院された。この患者さんの治療経験が、小生を放射線治療に引きずり込んでしまった。何とかして食道がんを治したいと考え、手術室に入ったり、摘出した食道組織の固定、標本の切り出し、さらには数多くの剖検に立ち会ったのが最初の臨床経験・研究であった。その後、数々の患者さんの治療を行い、小生は常に過去に治療をさせて頂いた患者さんの喜びと悲しみを背負っていると感じ、今日まで放射線治療を行ってきた。

 患者さんにも病気の状態の他に色々の特徴がある。紹介された食道がんの患者さんは、食べ物が通るとの理由で治療を拒否した。その2ヵ月後に物が通らないと再受診したが、バリウム検査で数分待ってもバリウムは病巣部から落ちていかず完全に狭窄した状態であった。化学放射線療法を行い順調に治療は終わった。生検時の食道内視鏡検査を一度行ったが、以降の食道内視鏡検査を頑なに拒否している。治療時には完治は無理と思ったが、治療後7年後の現在もお元気で数ヶ月に1回の割合で海外旅行をし、水中ダイビングをしていると言う。このように進行した場合でも完治することもあり、より小さな病変でも治らない時もある。残念ながら現在でも正確な予後の予測は難しい。

 小生のクラブの先輩に当たる元病院長の方で弓道教士の方である。肺小細胞がんで鎖骨に接したリンパ節転移もあった。化学療法を先行し、その後に放射線治療を行った。内科医はさらなる化学療法継続を提案したが、大きな弓道大会に出場することが決定していた事とこれ以上の化療を受けると寿命が短くなると言われ、化療継続を拒否された。原発巣が完全に消失したので、脳への予防照射をするためにMRI検査をしたところ、治療前には存在しなかった2cmの単発の脳転移を生じていた。全脳照射と転移巣への定位照射を行ったが、終了6ヵ月後にMRI検査でやや陰影は増大したので、 転移巣のみの摘出術を行った。手術の条件は術後に弓の懸(カケ:手袋)が使えること、つまり右指の運動機能が温存されることであった。病巣はそこの運動野の近傍に存在していた。術後麻酔から醒めて直ぐに指の確認をされたと言う。その後、2部位の大腸癌、皮膚癌、前立腺癌を併発するも化学放射線治療から13年を経過され健在である。

 早期の癌は一般的には治りやすいが、進行癌においても現代の治療によって治癒することも可能である。患者さんは医師と話し合い、納得のうえで治療を受けることをお勧めしたい。

 話は全く変わりますが、私の病気のことを述べます。一昨年6月に最新鋭の3テスラMRIが当院に導入された。耳栓をしてトントントンと言うトンネルの中に仰向けになっているだけで脳の細い血管を見ることができる装置です。脳の血管検査(MRA)をしてみようと思い、検査を行ったところの脳の比較的太い動脈である前交連動脈に5.5ミリの動脈瘤が見つかった。破裂した場合には死亡あるいは意識消失いわゆる植物人間状態になる可能性が高いとの事であった。カテーテル治療の適応にならず、色々考えましたが決断し昨年の3月に開頭してクリップ手術を受けた。病室において導入麻酔薬を投与され、エレベータに乗ったことをわずかに覚えておりましたが、意識を戻した時には手術は終り、病室におりました。術後1週間は頭部の創の痛みのため頭を枕に置くことも苦痛でした。2週間にわたる左頭部痛、3週間にわたる全身の冷感があり大変な状態でしたが、4週目から歩行時の脚に力が入るようになり、現在は頭の術創周囲のしびれ感もほぼ消失して、順調に経過しております。

 また、今年1月の朝9時ごろに左大胸筋、その直後に左肩に同様にツーンとした痛みが1分間に1回の割合で5回程度、さらに30分ぐらい後に同じく痛みを感じた。お昼の会議中の13時ごろにまた同じ症状が出現した。なにか気になり、その場にいた当科の心臓CT検査をしている医師に冠動脈CTをしてもらうことにした。CT検査の前に循環器科医による心電図検査は正常で、心臓超音波検査では心尖部の動きがやや悪いか、たまたまそう見えるのかとの所見であった。すでに16時からCT検査をすることになっていたので検査したところ、冠動脈の狭窄があることが判明した。即に入院し治療を強く勧められたが、その晩に予定があり、翌日の入院となった。翌日午後からカテーテル治療がなされ、右手首からカテーテルが挿入され、バルーンで拡張後にステントが留置され、17時ごろに終了した。仰向けに寝て治療されたため、腰のダルサを感じたが手首や胸の痛みは全くなかった。終了後に手首のカテーテル挿入部位の傷に対して止血を目的としてバンドが巻かれ、病室に戻り1時間の安静が指示された。退屈になり、ベットに座っていると寝ているように注意された。安静後に食事をとったがいつもと同様な食欲であった。翌日の退院を勧められましたが、翌々日の土曜日にある会で挨拶をしなければならなかったので3日間入院した。翌月曜日には東京の会議へ日帰りで出席し、火曜日は一週間で最も忙しい外来であった。現在、右手首には5mmぐらいの少し茶色の痕をみるが痛みも違和感も全くない状態である。

 たまたま2つの病気の経験をさせていただいたが、やはり手術よりも放射線治療の一種であるインターベンション治療(IVR)は苦痛も少なく回復が早い治療であることを自ら確認した。我々の年齢になるとどんな病気が発見されても驚くことはないが、やはり病気を早く発見することは、より苦痛が少ない治療で、より治りやすいと思う。しかし前記しましたようにある程度進行しても適切な治療を行えば完全に治りますので希望を持ちましょう。

 皆様に、信頼できる医師とめぐり合い、安心した治療を受けることが重要であると伝えたい。
略歴
晴山 雅人(はれやま まさと)

札幌医科大学医学部卒業後、国立札幌病院放射線科厚生技官、国立函館病院放射線科医長を経て1983年札幌医科大学医学部放射線医学講座助手。同講師、助教授を経て1998年教授、放射線部部長。札幌医科大学附属病院 腫瘍診療センター長。
日本放射線腫瘍学会理事、日本学術会議連帯会員、日本放射線腫瘍学会認定医、日本医学放射線学会専門医。日本放射線腫瘍学会会長、総務理事、日本医学放射線学会理事(2005~09年)を歴任。
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