市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
IT技術革新によって長足の進歩を遂げつつある放射線治療。私たちがこれらの恩恵を受けるには。

『放射線治療と先進医療』


日本大学客員教授
田中 良明
 現在のわが国の医療は、原則として国民皆保険制度の下で行われている。国民のほとんどすべての人が何らかの医療保険に加入し、それぞれ一定額の保険料を納め、怪我や病気になった際には保険医療機関を受診し、その際の診療行為に要した費用については診療報酬表で定められた医療費のうち、ある割合を本人が支払い、残りの分は保険組合などが支払うことになっている。

 ところが最近の医療技術の急速な進歩や新しい医療材料、機器類の導入に伴い、保険適用で認められていないさまざまな医療技術が行われるようになった。従来このような場合は、それにもっとも近似した医療技術に準拠して診療報酬点数を算定するなどの方法をとってきた。しかしながらまったく新しい医療技術が出現してきた場合には、保険診療の枠内で処理することが困難となり、医療現場の窓口で混乱をきたすようになったというのが現実である。その上、これらの多くの医療技術は新しいやり方の技術であり、その有効性、安全性について十分な検証がなされていない場合が多く、保険診療でこれらをカバーするにはさまざまな問題があった。そこで新たに登場したのが先進医療制度であり、厚労省で「先進医療」として認定された医療技術については、従来の保険診療以外に要する医療費分は患者負担とするいわゆる混合診療に類する制度が導入されるようになった。

 その具体的な例が、放射線治療の分野では強度変調放射線治療(IMRT)である。IMRTとは、コンピュータによる複雑な線量計算と、より精緻な多分割絞り(MLC)を駆動させて照射野内の線量強度を変化させることにより、癌病巣部には効果的な治療線量を的確に照射し、周囲の正常組織や臓器にはできる限り照射を避けようとする方法であり、ある意味では外部照射の放射線治療としては理想に近い技術であるといえよう。しかしながら本法は複雑な一連の治療装置システムを駆使するので、実施するに当たっては周到な準備と線量の検証などを要し、医学物理士らの放射線治療専門技術者による品質管理が不可欠であり、実際の治療の際にも従来の照射法に比べて煩雑で時間がかかるなど、人的要因や医療経済的にみて負担の大きい治療であった。そこで厚労省では当初IMRTを「先進医療」として認め、実施に当たってさまざまな施設基準などを制定して、この要綱を満たした施設からの届出、認可のもとで臨床実施できるようにした。

 国民の側からすれば、先進的な医療技術については、本制度を導入することにより、健康福祉における安全性の確保と、患者負担の増大を防止するとともに、医療を受ける側の選択肢を拡げることができるという利点があった。このことは例えていえば、料理のうちで定まった定食メニューの他に、オプション的なものが増え、この中から自分の好みで選定できることを意味し、今までの一律的な枠の中で扱っていた医療から一歩踏み出したといえよう。そしてこれらの「先進医療」の技術のうち、有効性、安全性のほか、技術的成熟度や社会的妥当性、普及性などを勘案して、いくつかのものについては保険導入が妥当であると判断され、保険適用に移行された。IMRTも、最初は先進医療として取り上げられ、次いで頭頸部腫瘍や前立腺癌などの悪性腫瘍が保険収載され、そして本年4月からは限局性の固形癌のすべてが保険適用として認められた。こうなった背景には、IMRTの技術的評価が明らかにされた他、実施件数が増え、社会的な妥当性からも必要性が高かったことがあげられるが、本法の積極的応用を支えてきた放射線腫瘍学会の保険診療制度に対するたゆまぬ取り組み方も見逃せないといってよいであろう。

 ところで実際の保険医療制度の中での「先進医療」としての採択や保険導入への適用などは、厚労省の先進医療専門家会議での議論を経て、最終的には中央社会保険医療協議会(中医協)で最終的な断が下されている。国民の側からすれば、より低侵襲的な医療技術で、診断、治療効果が従来のものよりも上回るものであれば、早期に保険に導入して欲しいと願うのは当然であろう。こういった中で現時点での最大の話題は、粒子線治療といえよう。数ある「先進医療」の項目の中でもその治療効果は際立ったものがあり、実績件数も多いのですが、実施可能な医療施設が限られることや、長期の経過観察におけるデータ不足、1件あたりの医療費がかなりの高額であるなどの理由により、今回は保険導入からは見送られました。

 しかしながら、骨・軟部腫瘍などの放射線抵抗性の腫瘍に対しては、切り札的な治療戦略であるといえるだけに、次期の改訂の際には、当然問題になるといっていいでしょう。欧米諸国を含めて、粒子線治療を保険診療の枠内で扱っている国はなく、それだけに第三者的に見ても納得させられるだけの質の高いレベルのデータが提示できれば、その可能性は高いといえるのではないでしょうか。今後のがん放射線治療の方向性を左右するといってよい粒子線治療がわが国の保険診療制度の中でどのように取り扱われるかについて、国民の側からも注目していて欲しいと思っています。
略歴
田中 良明 (たなか よしあき)

三重県出身。昭和41年名古屋大学医学部卒業後、名古屋大学医学部助手(放射線医学)、同講師、浜松医科大学助教授(放射線医学)、東京都立駒込病院放射線科部長等を経て、平成6年日本大学医学部教授(放射線医学講座)。平成19年同総合科学研究所教授、財団法人愛知診断治療技術振興財団理事長を経て平成21年メディカルスキャニング大宮院長、日本大学客員教授。
主な学会主催;第2回アジアハイパーサーミア学会・第15回日本ハイパーサーミア学会(東京国際フォーラム)、日本放射線腫瘍学会第15回大会(日本都市センター)、第32回断層映像研究会(日大会館)、日本定位放射線治療学会・第16回日本高精度放射線外部照射研究会(シェーンバッハ・サボー)。 専門分野:癌の放射線治療、原体照射、定位放射線治療、温熱療法、粒子線治療。
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