市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
「絶滅危惧医療」。良い治療法と分かっているのに一般化しないどころか消滅寸前の治療法。一体、医療は「市民のため」に行われているのか。

『味覚と声を保つ舌癌小線源治療』


東京医科歯科大学医歯学総合研究科
腫瘍放射線医学
教授 渋谷 均
【はじめに】
  昨今のがん治療の場では治癒のみでなく治療後に社会復帰したときにより高い生活の質(QOL=Quality of Life)をはっきりと言葉で望まれることが多くなってきています。そのような風潮も受けて、ようやく日本でも欧米に遅れること半世紀、半数近いがん患者に何らかの放射線治療が行われるようになってきました。筆者は30年以上に亘って舌癌の小線源治療をひたすらやってきておりますが治療の現場では会話や味覚、咀嚼や嚥下、そして美容など治療後QOLへの改善欲求が年々強くなってきていることをひしひしと感じています。しかし外科手術や遺伝子治療、IMRT(強度変調放射線治療=intensity-modulated radiation therapy)など新しい治療法が注目を浴びることはあっても治療後のQOLという点では決して劣ることのない小線源治療が大きく取り上げられることはこれまで殆どありませんでした。

 舌癌の治療ではIMRTや重粒子治療などのいわゆる最先端放射線治療でも治療後の口腔乾燥、下顎骨や粘膜、嚥下機能などの障害を完全には避けられず、治癒率も決してよくありません。それに比べて小線源治療は古い治療法でありながら、同治療法にとって大きな欠陥であった下顎骨骨髄炎は放射線防護のスペーサで克服され、局所制御やQOL維持についてもコンピュータによる線量分布図作成から至適線量が求められるようになって大きく向上し、他の最新治療法に劣らない結果が得られるようになってきています。さらに加齢や心身合併症などでPS(活動指標=performance state)が悪く全身麻酔下根治手術などができない舌癌患者でも小線源治療は唯一無二の根治治療法ともなってきています。しかし発生頻度も低いことから多くの患者が集めることが難しく病院経営に資することの少ない治療に病院幹部や放射線腫瘍医が魅了されることは少なく、日本では我々の施設に全国からの患者が集中しているのが現状です。


【舌癌の小線源治療】
 日本では口腔癌が年に約6,000例発生し、そのうちの半数の3,000例が舌癌とされています。舌は血管豊富な筋肉を中心とした軟組織からなっている上に、舌粘膜も口腔粘膜の中では放射線に対して丈夫なので舌癌は最も小線源治療が適した部位となっています。日本で診断される舌癌の半数は頸部リンパ節転移が無い最大径4cm以下のI・II期なのですが、この時期の舌癌は小線源単独治療でほぼ障害もなく90%以上の確率で治癒できています。

私どもでは3種類の低線量率(放射性金粒子、イリジウム-192、セシウム-137)線源の中から最適の線源を選んで小線源治療を行っています。患者には歯科診察用の椅子に掛けてもらい、局所麻酔を行い術前診察で予め計算した通りに線源を挿入します。局所麻酔ですので患者さんとお話をしながらの線源刺入です。刺入後は予め作ってもらっている下顎を防護する義歯(スペーサ)を嵌めてもらい、隔離病室に4~7日間入院してもらいます。イリジウムピンやセシウム針治療では刺入後に線源位置をレントゲンで撮影し、実際の線量分布図を作成、70Gy(グレイ)の予定線量に達したとき線源を抜去して退院となります。半減期が2.4日の放射性金粒子は2mm大の小さな永久刺入線源ですので抜去することなく4~6日後に放射能が減衰するのを待ち、退院となります。イリジウムやセシウム線源での治療では刺入中は経管栄養となりますが、放射性金粒子治療では会話も口からの食事もできます。一時刺入治療でも永久刺入治療でも刺入局所のみに、刺入10日目位から放射線口内炎が始まり3週位でピークとなりますが、局所のみの口内炎ですので食事が出来なくなることはありません。

舌癌でも年齢によって治療成績が異なり、高齢者では小線源治療での成績が悪いとする報告もありましたが、世界で最も経験の多い施設である我々の治療の分析では高齢者と若年者間に差は認められませんでした。また口腔癌には白板症、紅斑症、扁平苔癬などいくつかの前がん病変と考えられる病態があります。前がん病変として一番知られている白板症では口腔の粘膜が白く厚くなっています。白板症を母地とする舌癌では最初は表在性となりやすく、粘膜下へ深く浸潤することが少なく、頸部転移も少ないため治療成績も良くなっています。舌癌では腫瘍長径や腫瘍厚さ、浸潤傾向などが小線源治療での局所制御と関連が大きいとされています。ただ、同じ腫瘍厚さといっても外向性舌癌は治療成績が良くなっています。浸潤型舌癌では小線源治療後の続発性頸部リンパ節転移の頻度が多くなるためどうしても最終的な治療成績は下がります。


【小線源治療で舌癌の治療成績を上げるために】
 舌癌小線源治療では症例と長期生存例が増えるとともにこの治療で成績を下げていた要因がいくつか明らかになってきました。その要因の大きなものとして続発頸部リンパ節転移と上部消化管/気道の重複がんの二つ、小さな要因として放射線誘発がんがありました。リンパ節転移がX線外部照射で消える割合は手術の半分以下の30%前後となりますので頸部リンパ節転移の治療成績は出来得る限り手術を選択するようになってきました。舌癌頸部リンパ節転移にたいする予防的頸部廓清手術や予防的頸部照射へのはっきりとしたエビデンスの報告はこれまでのところありません。頸部リンパ節は転移のバリヤーとなっていることから頸部リンパ節転移前にいきなり肺転移はないことも判明いたしました。

また舌癌小線源治療での放射線誘発がんについても治療経験が増えるとともに詳細が判って参りました。舌癌治療後での放射線誘発がんの頻度は10年後に1.6%、その後も少しずつ増えております。そして、放射線治療誘発がんの組織型はその80%が扁平上皮癌で、その他の肉腫は20%となっていました。放射線誘発がんへの治療では放射線治療では障害の頻度は高くなることもあり、可能な限り手術が施行されますが、手術による治療成績=生存率は病期が同じなら新鮮な舌癌の治療成績と変わらないことがわかってきています。


【舌癌治療での治療後の生活】
 頭頸部癌の大きな手術の後には美容/機能上のみならず精神的にも生活の質の悪化/抑圧があり、社会生活面での意欲低下も著しいとする報告が少なくありません。また最近の過激なまでの化学放射線治療でも治療成績が向上してきた反面、手術と術後照射との併用治療に劣らず治療後に長く機能や心理面での質低下が継続するとされています。

 小線源治療での治療後QOLの推移はこれら手術や化学放射線治療とは大分異なっています。治療中の肉体的/精神的な問題は軽度であり、治療後も高めの生活の質が維持されることが殆どです。放射線粘膜炎も病変治療部位のみに限られるため治療終了後はずっと食事の経口摂取が維持され、味覚低下も数カ月で回復してゆきます。


【全身状態の悪い患者への小線源治療】
 小線源治療の最大の特徴に局所麻酔での線源挿入が可能な点があります。高齢(75才以上)、全身麻酔不能な重度の臓器(心、肺、脳)疾患、制御困難な糖尿病、活動性の重複癌、PS:3以下、精神疾患のいずれかを有する患者を手術がしにくい条件の悪い(プアリスク)患者という風にまとめてゆくと我々の施設では小線源治療患者のほぼ1/3(36%)をプアリスク患者が占めるようになってきています。これまでのところ、これらのプアリスク患者での小線源治療後の生存率はそれ以外の人に比べて有意に低くなっていますが、予後が悪くなる主な原因は頸部リンパ節転移と局所再発の救済治療へ手術ができなかったことによるものであり、原発巣自体の局所制御率はプアリスク患者以外と差は認められませんでした。今後はこれらの患者にも局所麻酔での縮小手術と術後放射線治療などの併用による予後向上への方策がいろいろ検討されています。


そこが聞きたい
Q当会では、もちろん命を救うことが第一ですが、同じように「治り方」も大事だと主張しています。誰でもがんと聞けば死の影が過ります。何とか助かりたい。そこで「先生助けてください」ということになり、ほとんどが手術ということになって、「宜しくお願いします」ということになってしまいます。
前立腺がんなどでも、術後の性機能障害や排尿障害などについてもそんなに重大に考えず、とにかく命が助かることを考えますが、治療後、長期生存が可能になってくれば来るほど、QOLの維持は重要ですね。


A 私もその通りに思っております。毎日の様に外来に出ておりますといろいろな患者様に出会います。最近時々経験する事は放射線治療の患者様でも照射範囲の広かった人ではいろいろな晩期障害を起こしている人を診察いたします。前立腺がんなどでは高齢者が多いので10年前後まで障害が起きなければ問題ないのでしょうが頭頸部がんなどでは時々若い患者がおります。そのような患者ではなるべく、予後を考えつつも障害のことも念頭に入れた治療が必要と考えます。

Q 確かに小線源治療はIMRTとか粒子線治療などの超ハイテク治療機器による治療に比べれば手技がすべての古臭い術式のように見えますが、癌腫そのものに直接放射線を発する線源を刺入して、低レベルでじっくり治療するという、非常に分かりやすい、また、確実な治療法だと思います。
私もセカンドオピニオンで小線源治療について説明を受けた時、これは非常に確実な治療法だと思いました。
また、技術というものには成熟期間が必要です。自動車でもパソコンのプログラムでも実際に使いながら徐々に微調整を繰り返し、色々な経験を蓄積して完成するものです。また、技術にはトラブルがつきものです。そういう意味で、治療法もトラブルが生じたときが大事で、小線源治療は長い歴史の中でそういうノウハウも蓄積されているのではないかということも、大事なことではないでしょうか。


A 治療についてはいろいろな変遷があります。小線源、特に低線量小線源治療は歴史が古いのですが我々はその中でも障害防止のスペーサや三次元線量分布図を作成する事でなんとか乗り切ってきて現在に至っていります。ただ、治療法としては地味でハイテク機器治療のように企業からの援助や協力が得られる事もなく、若者の賛同や注目を得る事も少ないです。放射能を扱うこともすぐに多くの一般の人の納得も得にくい事も確かです。ただ、低線量小線源治療の利点についての知識が普及しないままに、高齢者や心身の合併症がある患者に根治性の少ない他の治療法を勧められていることが多いのは本当に残念です。

Q しかし低線量でじっくり治療するため、私の場合も5日ぐらい厚い鉛の入った壁に囲まれた遮蔽室に隔離されていましたが、こういう施設を維持してゆくのは費用がかかる。となるとそんなに多くはない患者のためにそういう施設を維持するのは経営的には負担になり、撤退する施設が多く、渋谷先生のところなどに集中することになりますね。
私はこういう良いと分かっているのにソロバン勘定で失われてゆく治療技術を「絶滅危惧医療」と言ってますが、誰のために医療があるのかと暗澹たる気持ちになります。


A 小線源治療病室の設計には普通病室の数倍のコストが掛かります。維持費については変わりないのですが。ただ、頭頸部癌は患者さんが少なく、前立腺がんの様に患者さんがどこの病院にでもコンスタントにおられる訳ではありません。現在私どもの施設で全国の舌癌小線源治療の半分以上を引き受けており、経営的にも採算ベースには乗っていりますが通常の放射線治療よりも治療や病室維持には神経を使うため、若手が喜んで後継してくれるかはわかりません。技術は教える事ができますが、マインドの継承はどうなのでしょうか。

Q同時に治療をされる先生方の被ばくの問題もありますね。火の玉のようになって「患者を何としても治すんだ」というタイプの先生はだんだん少なくなってくると、RALS(腔内遠隔照射装置=Remote After loading System)のようなことも考えなければならないのでしょうが。

A 医師の被ばくは心配されるほどではありません。現在では心臓カテーテルやPET検査の医師の被ばくがもっと多いです。私どもでは現在6人の医師で交代してやっておりませので、年間の被ばくもそれぞれ、被ばく限度の1/10以下になっております。またRALSの治療法も行われておりますが、子宮と異なり、口腔は粘膜が微妙であまりお薦めできません。私は口腔癌の小線源治療が廃れてしまった大きな要因に晩期の障害に考慮せず、RALS治療が導入され、頭頸部外科医の信頼を失ったことがあるとおもっております。

Q世の中にはこういう治療のことについて全く知らない人がほとんどですが、どのようにしたらこういう治療法を存続させることができるでしょうか。

A 私はこの治療法を存続させるためには、小線源治療センターなどのように治療を集約かすることが必要だと思っております。大学の様に主任教授がかわるとそれまでの治療法が簡単に廃棄されるような施設ではだめと考えております。ただ、その考えを提案しても採算は取れるかもしれませんが、大型機器の様に設備投資も多いはでな事業となりにくいこともあり、企業の上部まで案件化された事はこれまで無かったというのが現状です。屈源のように理解者のないままに汨羅の淵辺に立つ心境でしょうか。

Q渋谷先生は日本放射線腫瘍学会第23回学術大会の大会長として11月の学会大会の指揮をとられますが、とかくハイテクの機器などに注目されがちな昨今の風潮に対し、患者のためになるこうした重要な技術の維持・発展に是非適切なご指示をいただきたいと存じます。

A ありがとうございます。出来うる限り、努力させていただきます。

略歴
渋谷 均(しぶや ひとし)

11973年東京医科歯科大学医学部卒業後、東京医科歯科大学医学部助教授を経て1996年東京医科歯科大学医学部教授。

所属学会: 日本放射線腫瘍学会、日本医学放射線学会、日本頭頸部癌学会、
日本癌治療学会、アメリカ放射線腫瘍学会

専門分野: 頭頸部癌治療、小線源治療

医学博士
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