市民のためのがん治療の会
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『社会経済的な価値の共有を』


大阪大学医学系研究科 医療経済産業政策学
田倉智之
【医療分野の疲弊の根源にあるものは】
 医療に限らず多くの分野に共通して言えることですが、ある制度や事業が立ちゆかなくなる本質的な理由として、いわゆる需要と供給の関係がアンバランスになり、肝心なところに必要な投資がされなくなるというシステム不全が挙げられます。つまり、現在の臨床現場で顕在化している諸問題も、その根源を突き詰めていくと資源配分のバランスに係わる話題にたどり着くことになります。もちろん、この他にも技術的な面や文化・国民性などに関わる様々な要因が挙げられますが、医療にまつわる課題の中で医療資源の規模や配分の問題が占める割合は年々高まっていると推察されます。

 さて、この資源配分を適正に論じるには、どのような点に留意をしなければならないでしょうか。最も重要なことは、診療サービスの「価値(Value)」を定量化し関係者が共有することにあります。この医療の価値(Value of Medicine)を明らかにし政策などに反映しようという試みは、世界でも一つの潮流になっているようです。また、それと併せて「受益と負担」のバランスを社会的な公平性の観点から整理をすることも重要であり、治療によって得られた価値に見合う対価を適正に負担する仕組みも必用になります。“適正”と“負担”には多様な意見があり慎重な検討が求められるものの、制度を持続的に育んでいくためには、関係者の間でそのあり方について一定の合意を得ることが望まれます。

 我が国の医療制度は、今まで漠然としながらも医療の価値を国民が理解し、それに伴う受益と負担のバランスを担保してきたと考えられます。しかし、最近の医療制度の疲弊状況を目の当たりにすると、それらを改めて見直す時期に来ていると感じざるを得ません。

 近年、特にこの視点による議論が求められるのは、我が国の経済規模の成長が鈍化するなか、少子高齢化の進展と医療技術の進歩に伴い医療保険財源が逼迫していることが挙げられます。例えば、過去10年間の国内総生産(GDP)の成長が12(%)となっているのに対して、国民医療費は22(%)と約2倍の伸びとなり、さらに顕著な傾向がみられる腎不全領域では48(%)となります(図1)。このような状況に対して、需要が増えた分だけ資源配分は広く薄くなる傾向にあるようです 1)




図1.我が国の経済基調と医療費の動向(腎不全領域は参考)



【医療費の最終負担者とは誰なのか】
 前述のような議論を進めていくには、最初に医療分野における資源配分の実態を整理する必用があります。そこで、現在の医療費の内訳を少し眺めてみましょう。医療分野の支出を財源種別と診療特性で整理することは、医療制度の複雑さや受療者の社会特性などから一律に論じられない面もありますが、財源の性質と診療のステージで大まかに分類を行ったのが表1です。ここで注目されるのは、例えばがん治療を含む「急性期」の医療費の財源は、公的保険の48(%)に対して公費の占める割合が36(%)となっている点です(その他;自己負担にあたる私費が14(%)、一般の民間保険が2(%))。

表1.財源の性質と診療のステージによるヘルスケア支出の分類
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 つまり、国民皆保険の我が国の医療制度は、医療費の負担という面から整理を行うと受益者負担が明確な国民健康保険料(税)で多くが完結するではなく、公費にあたる間接的な負担者(いわゆる一般国民)の関与が4割弱を占める状況にあるということです。以上から、国民皆保険制度を持続的に運営するには、患者・家族のみならず現時点では医療と直接関わらない一般国民の理解がさらに不可欠であると言える訳です。そのため、我々が将来の医療の歩む道を考える時は、「負担者」の立場から「価値」を論じることが求められ、実際、医療を取り巻く社会経済的な環境を眺めてみると、その議論を避けることは出来ない状況にあることが理解できます。

 なお、社会保障については「中負担・中福祉」などの議論が華やかであり、その中で医療費の負担についても保険方式のみならず税方式の検討も散見していますが、どの議論にも始終一貫して出てくるのが「国民負担」というキーワードになります。これは、“自分”“家族”“他世代”“地域”“国”が求める医療をどのように負担し適正に享受すべきか、一人一人が真摯に考えなければいけないというメッセージでもあります。すなわち、患者の目線や国民の立場から医療の価値を論じた上で、貴重な医療資源の配分をより公平に行う時代が到来しつつあると言えます。



【医療価値をどのように説明すべきか】
 さて、価値を論じることは医療システムの根幹に関わるテーマと考えられますが、それをどのように表現し説明を行っていくべきでしょうか。一般に価値は、「もの(有形、無形)」の「意義、意味」を説明する概念であると説明され、経済や経営の分野におけるそれは、投資と回収の比率(パフォーマンス)で表す指標により議論が行われます。これは、ある機能に基づく経済活動について、かけたコストの増加よりも機能による働きが大きくなると、パフォーマンスが向上することになり、経済的な価値が増加するという概念です。そのため、パフォーマンスは1予算の変化に対する成果が大きいほど良く、または1成果を得るのに必要な予算が小さいほど優れていると解釈されます。

 同様に、臨床経済的な価値も投資と回収の比率による説明が理想であり、パフォーマンスで表現することが肝心となります。医療サービスの場合、診療は健康を回復するという目的に対する意義と位置づけるべきであり、例えば、「健康回復(Outcome)÷消費資源(Cost)=診療パフォーマンス(Performance):価値(Value)」と整理されます 2)。 なお、全ての価値をこのように議論できる訳ではありませんが、これらの物差しを用いることで医療が生み出す幸せや負担を定量的に取扱うことが可能になり、関係者全体にとって最も望ましいシステムの検討へつながると推察される訳です。

 参考までに、臨床経済学の検討において利用される健康回復の概念の一つである効用(Utility)を解説します。これは、患者の期待や満足を定量化するもので、従来の臨床指標にがん治療で有用な痛みの軽減や不安の解消など、患者目線の新たな指標(選好指標)を追加することにより、介入手技などの効果を包括的に扱えるようにしています(図2)。この効用を応用した代表的な指標に、質調整生存年(Qaly)があります。質調整生存年の算出方法は、単純に延命期間の延長を論じるのではなく、生活の質(QOL)をも含む効用の改善で重み付けをするという特徴があります。これを評価の効果指標とすれば、生存期間(量的利益)と生活の質(質的利益)の両方を同時に評価できることになります。我が国でも、このような考えに基づく転移性脳腫瘍の治療の臨床経済評価などの報告が散見されます 3)

 つまり、負担者の目線による指標や価値(パフォーマンス)の概念を用いることで、パフォーマンスが高いほど国民の幸福(Well-Being)も増大することを定量的に論じられ、財源を確保する一助になります。



図2.患者の期待や満足を定量化する効用(Utility)の概念



【がん治療の価値と負担の議論(海外)】
 最後に、前述のパフォーマンスや質調整生存年をがん治療の技術評価に応用している海外の事例を紹介します。英国では臨床経済評価を医療政策に反映しており、1994年よりNICE(National Institute for Health and Clinical Excellence)という評価機関が活動を行っています。このNICEは、新しい診療技術の費用対効果分析などを行い、NHS(National Health Service)における公的給付の医療経済的な判断材料を提供しております。例えば、診療に必要な医療費と得られた質調整生存年からパフォーマンスを整理する(診療にいくら医療費をかけると完全な健康を1年間維持することができるのかを示す単位(£/Qaly)を用いる)ことで、疾病領域や医療技術に拘らず、相互にその医療経済的な価値の比較を行うことを可能にしています。

 さて、NICEでは公的給付の判断基準(閾値)として概ね2万~3万(£/Qaly)が一つの目安 4) とされているようです(閾値よりもパフォーマンスが良ければ社会的に公的給付を推奨)。このNICEの実際の活動として、抗ガン剤などの評価例を少し見てみましょう。癌療法については、やや古い情報ですが2009年時点で、設立から49の療法を議論し最終的に35の療法を受入(推奨、一部条件付き)ています(図3)。一方、最終的に推奨を拒否されたものの多くは経済的な理由があったようです(11療法)。




図3.英国NICEにおける癌療法の臨床経済的な検討の状況(設立以来の49療法が対象)

 これだけを眺めると、臨床経済評価はただ単に新しい技術の臨床応用を妨げる機能のように写りますが、政策的には、適正な価格設定を議論したり対象集団の特性を確認する“サポート・ツール”として利用することに重きが置かれているようです。また、このツールを有効活用するには、医療のために国民はいくら負担すべきなのか(財源規模をどうするか)という閾値の設定に関わる論点に答えを出すことが必須となります。すなわち、臨床経済評価の方法や結果に対して、その解釈である公的給付の基準は次元の異なる話であり、この閾値は医療の価値について国民が吟味し決定すべきものと考えられる訳です。また、健康や延命の意義についても、疾患特性や社会特性を考慮して幅広く検討することの重要性が指摘されており、臨床経済評価の手法や指標をさらに合理的なものにする動きもあるようです。

 以上から、診療技術のイノベーションを促し国民の健康を守っていくには、医療の価値を定量化する努力を続けると同時に、定量化できない他のエッセンスなどについても幅広く考慮することが重要であると理解できます。また、その価値に見合った負担を受け入れる努力も必用であり、「価値の評価」と「適正な負担」が両輪として整合性を持って働くことが“がん治療のシステム”を頑強にするために不可欠であると考えられます。

「文献」
1) 田倉智之, 神経内科領域の臨床経済学的な価値説明について, 臨床神経学, Vol.50 No.50, pp.1055-1057. 2011.

2)田倉智之, 医療技術の経済評価の制度上の意義と活用の方向性 医療機器の社会経済ガイドラインが目指すもの, 日本医科機械, 2007, 77(12), p.836-846.

3)田倉智之, 上塚芳郎, 他. 転移性脳腫瘍の治療における臨床経済評価手法の検討. 脳神経外科. Vol.38 No.7, pp.629-637. 2010.

4)Guidelines Manual-Appraising Orphan Drugs, NICE, http://www.nice.org.uk, 2006.


略歴
田倉智之(たくら ともゆき)
1992年に北海道大学工学研究科を、2006年に東京女子医科大学医学研究科を修了し、東京大学医学部、外資系経営戦略ファーム、大阪大学医学部などを経て、2010年より大阪大学医学系研究科の医療経済産業政策学教授、現在に至る。医療価値などの研究の傍ら、厚生労働省の保険医療専門審査員、経済産業省の国際医療交流事業や内閣府の医療イノベーション推進室などの委員、また日本人工臓器学会や日本心臓リハビリテーション学会の評議員を歴任している。
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