市民のためのがん治療の会
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『がんに効く薬』


近畿大学医学部外科学教授
奥野清隆
 筆者の専門である大腸癌を例に挙げよう。大腸癌は基本的には治りやすい癌であり、第III期(ステージIII)までであれば手術によって70%以上が治る(5年生存が得られる)。しかし手術不能であったり、遠隔転移(肝転移や肺転移、脳転移、あるいはこれら複合)を有する第IV期(ステージIV)となると途端に成績が悪くなる。この状態で特に治療を行わなければ平均8か月程度の余命である。筆者が医師になった30年前は5-FU程度の抗がん剤しかなく、臨床効果のある抗がん剤はほとんどなかった。それが最近になって5-FU+ロイコボリン、これを基礎にさらにオキザリプラチンやイリノテカンを加える三者併用化学療法(頭文字をとってFOLFOX(フォルフォックス)やFOLFIRI(フォルフィリ)療法と呼ばれる)が主流となり、奏効する(腫瘍が縮小する、要するに薬が効く)割合は40~60%、平均生存期間も20か月から24か月。さらに分子標的薬(アバスチンやアービタックス)の併用で平均2年以上に改善されている。あくまでも平均であるが、かつてはせいぜい8か月程度の余命であったものが2年近くも延長したのである。これは確かに大きな進歩である。

 ところが筆者らが東大、中村祐輔教授らとともに精力的に行っているがんペプチドワクチン(+経口抗がん剤療法)は少し変わった経過をとることが多い。画像診断上、縮小することが少ないのである(もちろん強力な抗がん剤療法のように退縮がみられることもあるが頻度は少ない)。「余り効いていないなあ。がんは小さくなりませんねえ。」と患者さんとともにため息をつきながら、それでも他の療法もないのでがんペプチドワクチンを打ち続けていて、ふと気が付けば「え、もう2年たつねえ」とか「3年経過したねえ」ということが多いのである。FOLFOX, FOLFIRIやそれに分子標的治療薬を加えて平均生存期間が2年以上になったと大騒ぎすることを難無くクリアすることが多いのである。しかも生活の質(quality of life: QOL)が損なわれることが少なく、「無事、定年まで勤められました」とか「やりかけていた仕事をまとめることが出来ました」と感謝されることが多い。しかしこれは現在の抗がん剤の基準(RECIST)に従えば不変(No Change)であり、効果はないということになる。果たしてこれは適切だろうか。

 もっとも抗がん剤治療を行っている化学療法の専門家にいわせればこれらの結果は「もともとゆっくり大きくなる(slow-growing)大腸癌だったのだろう」とか「化学療法は全世界で何万人の患者の治療データだけれどペプチドワクチンなんてせいぜい数十例じゃないか。たまたま長生きした例があるかもしれないけれど科学的証拠(evidence)に欠けるよ。」確かにこの指摘を排除できるほどのエビデンスをわれわれは現状では持ち合わせていない。もどかしいが着実に症例を重ねて、ランダム化比較試験を行って科学的根拠を得るしか方法がない。ただ、興味深いのは、「がんワクチンはこれまでの抗がん剤とは異なった作用機序をもつので新しい判定基準を策定すべきである」というガイダンスをFDA(米国食品医薬品局)が発信したことである。その中にはがんワクチンは効果と投与量が直線的に増加するわけではないので抗がん剤のような投与曲線(dose-response curve)は得られない、臨床効果は免疫が誘導されてから発揮されるので一定時間が経過してから遅れて臨床効果がみられる、したがって評価法も従来の抗がん剤とは異なる統計手法を取り入れるべきだろう、とかワクチン療法は本来、微小癌の治療(がん手術後の再発予防)に適する、抗がん剤や放射線療法との併用療法もよい、とかこれまでの抗がん剤評価法とは異なった斬新な提言がみられる。2010年には進行前立腺がんに対する治療用ワクチンが初めてFDAの承認を受けるという画期的な出来事もあった。

 わが国は前述の中村祐輔教授を中心とした全国的なネットワークで様々な癌腫に対するがんペプチドワクチン治療が大幅に進歩した。もちろんこれらの研究が科学的な評価を得て市販化に辿りつくにはまだまだ年月を要するが、着実に進んでいることは事実である。がんワクチン治療はこれまでのところ強烈な副作用もなく、大きな苦しみを伴わないことが多い。癌治療の経過において苦しみながら生存期間が延長しても意味がない、生活の質(QOL)が重要であるという見地から最近ではQOLを加味した生存期間であるQALY (quality adjusted life year)という考え方が欧米を中心に提唱されている。さらには治療費に見合った臨床効果が得られているか、を判定するため、費用対効果を加えた医療経済効果(CER: cost effectiveness ratio)を利用する考え方も次第に定着しつつある。がん治療に対する考え方が大きな転換期を迎えていることは事実である。


略歴
奥野 清隆 (おくの きよたか)

和歌山県立医科大学卒業後、近畿大学医学部第1外科、大阪大学医学部附属癌研究施設基礎系医員、近畿大学医学部第1外科助手、講師、助教授を経て平成15年近畿大学医学部外科学教授。平成20年近畿大学医学部附属病院 副院長、現在に至る。
この間昭和61年米国ワシントン州立大学、フレッドハッチンソン癌研究センター(シアトル)シニア・フェロー。
日本外科学会(代議員)、日本臨床外科学会(評議員)、日本外科系連合学会(評議員)、日本バイオセラピィ学会(理事、評議員)、日本癌治療学会(代議員)など、学会, 評議員活動等多数
社会活動として、がん集学的治療研究財団・評議員、大阪地裁、大阪高裁所属専門委員独立行政法人科学技術振興機構研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)専門委員等多数。
医学博士(大阪大学)


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