市民のためのがん治療の会
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日本でPSA検診が普及しないわけ

『前立腺がんPSA検診:誤解と真実2』


群馬大学大学院 医学系研究科 泌尿器科学
伊藤一人
たしかに前立腺生検を行った場合、結果的に、がんではなかったのに、不必要な前立腺生検を受ける人がでてくる。しかし、生検を行った場合のがん発見率は、PSA値に応じて高くなることがわかっており、PSA値に他の検査(直腸診・超音波検査所見など)を組み合わせることで、より正確にがんの可能性が予測できる。
PSA検診の他のがん検診にはない特徴としては、PSA検査値によって、現時点で前立腺がんが発見されるリスク、あるいは将来発症する可能性を、かなり正確に予測することができるということだ。
前立腺がんはPSA検査という極めて簡単な検査で、高精度でがんの状態を把握できる珍しいがんだ。この特徴を活用しない手はないのでは。
PSA検診に反対する勧告の問題点について、日本と米国での動向、そして、ひとりの前立腺がんを専門とする泌尿器科臨床医としての、前立腺がん検診に関する考えを、引き続き伊藤先生にお聞きした。
PSA検診に反対する勧告の問題点と真実:精密検査と治療について
 これまでに出されている反対する勧告の多くが、精密検査(前立腺生検)の精度と合併症について、頻度が高く無視できない不利益がある、と指摘しています。たしかに前立腺生検を行った場合、結果的に、がんではなかったのに、不必要な前立腺生検を受ける人がでてきます。しかし、生検を行った場合のがん発見率は、PSA値に応じて高くなることがわかっており、PSA値に他の検査(直腸診・超音波検査所見など)を組み合わせることで、より正確にがんの可能性が予測できます。実臨床では、前立腺生検を行う際に、PSA値と他の検査の結果を合わせ、がんの危険性をより正確に情報を提供し、また生検の対象となる人の年齢・全身状態や合併症などについて考えに入れた上で、専門医が生検の必要性を説明します。そして、最終的には医師と患者間の合意の上で生検の実施について判断をしています。医師と患者のどちらかが、生検を行うことの不利益が大きいと考えれば、前立腺生検は見送り、PSA値の変動で経過を見ることもあります。このように、医師と患者間におこる通常の医療行為である前立腺生検については、検診実施に当っての大きな問題点とはいえません。
 また、前立腺生検の合併症に関する最新のデータとしては、日本泌尿器科学会が全国の基幹教育施設に対して 2004 年から2006年の3年間におこなった前立腺生検に関する実態調査があります。治療を要するような合併症は決して多くなく、最も重篤な合併症である、精密検査による死亡の危険については0.0005%とまれで、他のがん検診の精密検査(上部消化管(内視鏡治療・生検を含む):0.0076%、大腸内視鏡検査: 0.0009%、気管支鏡検査:0.0065%)と比較しても、決して高いものではありません。
 また、反対する勧告が問題点として指摘している、前立腺がん治療の不利益については、2012年5月の米国予防医学作業部会(USPSTF)の勧告では、1989年から2002年(10年から23年前)に前立腺がんが診断・治療された症例の古いデータを基にしていることが問題です。手術手技の改善や放射線照射技術の進歩とともに、治療に伴う不利益やQOL障害を回避できる可能性は年々高くなってきています。例えば、手術後の性機能障害対策としては、勃起神経の温存が有効とされており、また最近の手術手技の進歩は著しく、腹腔鏡やロボット支援手術などの拡大視野での手術も可能で、より正確に出血の少ない手術が行われる様になっています。重篤な合併症としての手術関連の死亡についても、現在の泌尿器科手術の医療水準と隔たりがあります。また、放射線照射療法は、近年のコンピュータ技術の長足の進歩とあいまって、革新的変遷をとげており、最も問題になる有害事象としての直腸障害、尿路障害と勃起機能不全の危険については、頻度を低く抑えることができます。
 検診や診療というのは、決して、“0”か“100”かで話ができるものではありません。反対派の意見(多くは非臨床医や非専門医)は、「検診中止」、「精密検査や治療による合併症が多く、推奨できない」など、あまりにも偏りすぎています。また、前立腺がんの治療はテーラーメイド医療の時代に入りつつあるにもかかわらず、「おおざっぱ」な発言が多く、またその科学的な信憑性についても、正確とはいえず、気をつけなければいけません。
 前立腺がんの治療は、早期がんであるほど治療オプションが多彩です。病状や価値観によって、また有効性や合併症のバランスを考えて、いくつかの治療方針が、泌尿器科医や放射治療の専門医から提案があります。もし、ご自身が前立腺がんの治療を行うことになった場合には、よく主治医と相談をした上で、納得して治療を受けていただきたいと思います。


専門医のPSA検診の不利益にたいする取り組み:PSA監視療法
 もちろん、PSA検診の導入により前立腺がん死亡率低下が得られる過程で、小さくて悪性度が低く、無治療であっても死亡に至らない可能性があるがんが発見され、それらに対し治療が行われることがあります。これらは過剰診断、過剰治療といわれPSA検診の主な不利益といわれています。我が国では、むしろ検診の遅れから、過少診断(がんの見逃し)のほうが大きな問題ですが、過剰診断の頻度も、検診で発見されるがんの10%程度あるといわれています。
 これに対し、世界中で、不利益を少なくするためのPSA監視療法(小さな、悪性度の高くないと予測される、前立腺がんが見つかった場合に、当面、無治療でPSA検査と前立腺生検の定期的な実施で、慎重に経過を見る治療戦略のこと)の臨床研究が、現在進められています。日本もこの研究に積極的に参加していますが、近い将来には、より良い適応・経過観察の方法が提案され、過剰治療の危険は減ることが期待されています。


PSA検診に反対する勧告に対する私見と動向
 PSA検診は、適切な受診により確実に前立腺がん死亡リスクが低下することが、最も大きい利益であることは間違いありません。一方で、どのようながん検診でも同様ですが、PSA検診の受診により、不利益を被る危険があることも事実です。しかし、今回のUSPSTFの勧告のように、死亡率低下効果を過小に評価し、またいくつかの検診受診による不利益があることを根拠に、一律に、「検診を行わないことを推奨(D recommendation)」することは、個々人の意思を尊重する現代医療の進むべき方向性に逆行しており、私は、適切な見解とは思いません。
 米国では、2012年の始めには、USPSTFの「PSA検診中止」の勧告案に対し、ニュージャージー州で反対する法案が議会で可決されました。またUSPSTFの「PSA検診は中止すべき」との勧告が正式に出された2012年5月21日の直後に、「The Obama administration」が出され、アメリカの国の保険であるMedicare は、簡単な血液検査であるPSAスクリーニングに対する補助を、引き続き継続することを決定しています。他の保険も、この決定に追随するといわれております。また、日本泌尿器科学会の、USPSTFの勧告に対する見解は、学会のホームページにも公開されていますので、是非一度ご覧ください。


前立腺がん検診の実際と方向性:ガイドラインでの推奨と臨床医としての考え
 日本泌尿器科学会の関連するガイドラインでは、検診の受診年齢は、住民検診では50歳以上が推奨されています。また、何らかの排尿障害がある場合で、医療機関を受診した場合や、人間ドックでのご自身や企業が費用を負担する検診では40歳以上での受診が推奨されています。また、PSA値の基準値は、全年齢で一律に0-4.0ng/ml、あるいは、年齢階層別のPSA基準値(64歳以下:0-3.0ng/ml、65-69歳:0-3.5ng/ml、70歳以上:0-4.0ng/ml)が推奨されていますので、基準値の範囲を超えた方は、泌尿器科専門医の精密検査の受診が必要です。また、PSA検査で基準値以内の方の次回の検診間隔は、0.-1.0ng/mlであれば3年後、1.1ng/ml-基準値の上限であれば1年後の受診が推奨されています。
 PSA検診の他のがん検診にはない特徴としては、PSA検査値によって、現時点で前立腺がんが発見されるリスク、あるいは将来発症する可能性を、かなり正確に予測することができるということです。もし、PSA値が特に1.0ng/ml以下という低い値であった場合 、「少なくとも5年間は、前立腺がんの発症のリスクが少ないという安心」を得る、というメリットがあます。日本人の約50%は、この低い範囲のPSA値に入ることがわかっていますので、多くの人が、「自分は前立腺がんのリスク低い」、という安心を手に入れることができます。また、基準値の範囲内であっても、基準値の上限である4.0ng/mlに近い場合、将来、異常域に入ってしまう危険はありますが、きちんと定期的にPSA検診を受けていれば、「知らないうちに前立腺がんが進行してしまう」、という危険を避けることができます。PSA値が10ng/ml以上であった場合は、すぐに治療は必要ながんが見つかる可能性は高くなりますが、専門医に相談して適切な治療を行えば、PSA検診をまったく受けずにがんが進行した場合と比べ、余命は明らかによくなります。前立腺がんは、「日本人であるから安心」ということは決してありません。PSA検診を受けずに、ある日突然に、転移がんで見つかった場合、効果のある治療法はありますが、限界もあります。転移がんを持ったまま過ごす、5-10年の長い闘病生活は、決して身体的にも、精神的にも楽なものではありません。
 もちろん、がん検診は、情報提供なしに、強制的に受けるものであってはいけません。また、PSA検診に限らず、きちんとした医療に対し、“0”あるいは“100”かで、「一刀両断するような発言」は、疑ってかかった方が良いものが多いと感じています。少なくとも、PSA検診について、誤った情報を基に、大切な自分自身、ご家族の健康管理について、判断する様なことだけは、避けてほしいと願っています。現場で多くの患者さんに接して、またいろいろな病状の患者さんの治療に携わっているひとりの臨床医として、私自身は、自分の身体のことは、「全く知らないで過ごす」より、「潜んでいる危険も含めて、より良く知る」方がよりよいと考えています。
 PSA検診については、正確でわかりやすい情報提供を目指して、公益財団法人前立腺研究財団より、日本泌尿器科学会の「前立腺がん検診ガイドライン」に完全準拠している、受診者向けのパンフレットが提供されています。また、ブルークローバーキャンペーン(http://www.asahi.com/blueclover/)などの啓発活動も、我が国でようやく広がりつつあります。是非とも、ご自身やご家族の健康管理の一貫として、前立腺がん検診や前立腺がんに関する正しい情報に、触れていただきたいと思います。



そこが聞きたい
Q統計的な見方には色々あるのでしょうが、患者にとってみれば、とにかくちょっと採血するだけでいいのですから、肉体的にもまた経済的にも負担が軽いので、やってみた方がいいにきまっているとおもいますが、本当のところは、実は検診の数をこれ以上増やすと財政的な負担が増えるのを防ごうというのが、こうしたいろいろな反対理由のような感じもしますが。

A PSA検診の反対は、医療資源の取り合いによる、という見方も確かにあります。しかし、やはり、国民皆が、生涯にわたり快適に、健康に過ごせるような予防医療に関する環境作りについて、積極的に財政支援をおこなうような大方針を、国は示してほしいと、常に願っています。

Qよく言われることですが、たとえばがん登録などについても、検討しておられる先生方は統計の専門家で、臨床はご存じない、それでがん登録の案などを見ると臨床医の先生方は、必要なものが抜けていて、必要でないものが入っているなどというご意見をよく聞きます。
PSAの場合も同様に、臨床医と医療統計の専門家との意見の相違なども見逃せないのではないでしょうか。


A 確かに、臨床の経験がない専門家の中には、「前立腺がんは、75歳以上の高齢の方の死亡が多いので、検診などの対策は積極的に行う必要がない」、などの主旨の発言をする方もいます。前立腺がんは、転移をおこして、お亡くなりになるまで、平均で5年から10年の、長い闘病期間があります。死亡の年齢だけ見て、「検診などの対策の価値がない」などの発言は、患者さんの立場になって物事を考えるという視点が、欠落していると感じます。
これから積極的に取り組もうという動きのある地域がん登録なども、画一化・簡略化しすぎて、登録しても医療の進歩への寄与が少ないと考えている臨床家が多いと感じます。是非とも、各臓器を専門とする臨床医の意見を取り入れ、国民皆にとって、本当に価値のあるものにしてほしいと思います。

Q医療経済の専門家の試算などはないのでしょうか、1期のうちに見つけて簡単に治療してしまった方が、結局は総医療費は安くなるのではないでしょうか。

A前立腺がんに対するPSA検診は、行った方が医療経済的にも効率が良いとの簡単な試算はされていますが、また公表はされていません。医療経済の指標は、検診や医療の優先順位を決める際に、重要な指標と思います。しかし、あくまでも一つの指標に過ぎませんので、多くの検診や医療行為を、横並びに、「ひとりの命を救うための費用」などを公表した場合には、医療システム自体が混乱する可能性があります。PSA検診の効率について、参考になるであろう信頼性の高いデータとしては、前回の掲載でご紹介した、スウェーデン・イエテボリの長期間のPSA検診研究の中で検証されており、293人がPSA検診を受診すれば、ひとりの前立腺がん死亡が減らせるとの試算が示されております。これは、一般的な医療行為と比べて、非常に効率が良い数字です。

Q 結局先生、患者の立場から考えますと、やはり医療は誰のために行われているのか、と疑問が湧いてきます。財政的な理由でこれ以上検診を増やしたくないなどというのは、全く論外ですね。

A そうですね。国民のためになることが多いPSA検診について、真剣に、その有効性について向き合うことなく、「財政的に無理」、あるいは先ほどご紹介したように、75歳以上のご高齢になってから、お亡くなりになることが多い前立腺がんの対策は後回しにする、などの、「ご高齢の方を大切にしないような姿勢」は、私も論外と思います。

Qそれに最近特に思うのですが、やはり初めに申し上げたことですが、結核予防法のように、法律で検診を義務付けないと、日本人は検診に行かないです。川上でできるだけ発見し、1期ぐらいで簡単に治るようにすれば本人も家族も、財政もハッピーですね。今はそれをしないで、川下で本人も苦しんで大金を使い、挙句の果てに結局残念な結果になるのでは、みんな不幸せですね。

A前立腺がんの転移がんは、ホルモン療法という有効な治療はありますが、平均5~10年の長い闘病期間は、身体的、あるいは精神的な負担が徐々に重くなり、生活の質は低下していきます。是非とも、前立腺がんについては、PSA検診のことを正しくご理解いただけるように、さまざまな啓発活動を続きけていきたいと思います。

Qやはり、総医療費抑制のためにも、がんの総合検診の法制化が必要ではないでしょうか。

A有効ながん検診は、最も有効かつ負担の少ない方法で、多くの国民に、受診機会を均等にすべきと思います。医療者や専門家の中には、PSA検診は、任意型検診(人間ドックなど)で行えば良い、などの考えがあります。しかし、これでは、大企業に勤めている方や、お金に余裕のある人などに,受診機会が偏ることになります。是非とも、国が主導して、全ての住民検診において、安価に、あるいは無料でPSA検診も、多のがん検診と同様に、受診できる環境作りに取り組んでほしいと願っています。その実現に向けて、私自身も努力は惜しみません。

Q今回はお忙しい中、大変ありがとうございました。



略歴
伊藤 一人(いとう かずと)

1990年群馬大学医学部卒業後、群馬大学泌尿器科学教室に入局。群馬大学医学部附属病院研修医、立川相互病院医長、群馬大学医学部泌尿器科助手、講師を経て、2005年より、群馬大学大学院医学系研究科泌尿器科学助教授(現:准教授)、現職

その間、2002-2003年オランダ・エラスムスメディカルセンター泌尿器科研究員、2010年米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校泌尿器科・Clinical observer(日本泌尿器科学会/米国泌尿器科学会アカデミック交換留学プログラム)として留学

日本泌尿器科学会専門医・指導医、日本透析医学会専門医、日本がん検診・診断学会がん検診認定医、日本がん治療認定機構暫定教育医、日本泌尿器科学会・日本泌尿器内視鏡学会泌尿器腹腔鏡技術認定医

所属学会:日本泌尿器科学会、米国泌尿器科学会(AUA)、欧州泌尿器科学会(EAU)、Societe Internationale d'Urologie(国際泌尿器科学会)、日本泌尿器内視鏡学会、日本がん検診・診断学会、日本アンドロロジー、日本内分泌学会、日本透析医学会、日本癌治療学会、など

前立腺研究財団・前立腺がん撲滅推進委員会委員、ヨウ素125シード密封小線源治療研究会世話人、日本がん検診・診断学会・幹事・学術企画委員、The KITAKANTO Medical Journal編集委員、泌尿器科紀要編集委員、European Urology編集委員、International Journal of Clinical Oncology編集委員

専門:泌尿器腫瘍全般、低侵襲・機能温存手術、泌尿器腫瘍放射線治療、泌尿器腫瘍化学療法、がん検診、がん予防医学

医学博士

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