市民のためのがん治療の会
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上手に選んで、上手に治療

『がん粒子線治療の現状』


放射線医学総合研究所 重粒子医科学センター病院
唐澤久美子
優れた物理学者・工学者と技術力のお陰で、日本はがんの粒子線治療の先進国です。このように多くの粒子線治療施設がある国は世界で日本だけです。しかし、粒子線治療は副作用なくどんな難しい病状でも治る夢の治療法ではありません。エックス線治療が格段に進歩した今、粒子線治療のメリットは何でしょうか。粒子線治療を正しく理解して、有効に使っていただきたいと思い、現状をご報告致します。
粒子線治療とは?
 放射線には、電磁波と粒子線があります。放射線治療で用いる電磁波の代表は、エックス線とガンマ線です。粒子線のなかでは、陽子線、重粒子線、中性子線などが治療に使われています。このうち重粒子線は、ヘリウム原子より重いものと定義されています。
 「放射線治療は副作用があるから粒子線治療が良い。」と仰る患者さんが時々にいらっしゃいますが、粒子線治療は「エックス線治療より作用が強い放射線治療」なのです。
 現在、日本で行われている粒子線治療には、陽子線治療、重粒子(炭素イオン)線治療、ホウ素中性子捕捉療法があります。

 放射線医学総合研究所(放医研)では、1961年(昭和36年)に病院を開設した時から、エックス線やガンマ線などによるがん治療を行ってきました。例えば、子宮頸癌の治療では、外部照射と腔内照射を組み合わせ、早期では手術と同等の治療成績をおさめ、この領域での日本の標準的治療法を確立することに貢献してきました。現在も放医研ではこの治療を行っています。外部照射と腔内照射を組み合わせは、手術ができない進行癌でも、半数以上の方が治るという成績を治めています。




 放医研では、エックス線やガンマ線に抵抗性の腫瘍の撲滅を目標に、1975年(昭和50年)から速中性子線、1979年(昭和54年)から陽子線による粒子線治療を行いました。しかし、速中性子線はがんを殺す作用は強かったのですが、エックス線やガンマ線と同様に体表面に近い部分の線量が多く深さとともに減っていく特性から、腫瘍に線量を集中させるのが困難でした。陽子線は、体表面近くの線量は少なく、粒子が停止する付近で線量が最も多くなるという特徴があり腫瘍に線量を集中させることには優れていますが、がんを殺す作用はエックス線の1.1倍程度でした。そのため、速中性子線や陽子線でも治療困難な種類のがんがあり、強い治療効果とシャープな患部線量集中性を併せもった新たな粒子線による治療法を開発することが重要な課題になっていました。
 そこで放医研では、それまでの研究成果を生かして、重粒子線をがん治療に導入することを目的に1993年(平成5年)に重粒子加速器「HIMAC」を建設し、幾つかの重粒子線を使っての基礎実験の結果、炭素から電子をはぎ取った炭素イオン線が、物理的な線量分布と生物効果の分布とのバランス取れていて最も使いやすいとわかりました。1994年(平成6年)から炭素イオン線治療の臨床研究を開始し、従来の方法では治療が困難であった腫瘍で良好な治療結果を得ました。その結果、骨・軟部腫瘍、悪性黒色腫、膵癌、頭頸部癌、前立腺癌、肺癌、肝癌、直腸癌再発、頭蓋底腫瘍など幾つかの腫瘍に対しては、2003年(平成15年)に高度先進医療の承認を得て、現在は先進医療制度にて治療を行っています。


日本は粒子線治療先進国
 2012年(平成24年)現在、日本で稼動している重粒子(炭素イオン)線治療施設は3か所(放医研重粒子医科学センター、兵庫県立粒子線医療センター、群馬大学重粒子線医学研究センター)で、その他は世界を見渡しても、ドイツハイデルベルク大学と中国科学院近代物理研究所にしかありません。さらに日本では、九州国際重粒子線がん治療センター(佐賀県鳥栖市)が建設中で、神奈川県立がんセンター(i-ROCK)が建設準備中です。
 日本には陽子線治療施設も多く、筑波大陽子線医学利用研究センター、国立がん研究センター東病院、静岡がんセンター、兵庫県立粒子線医療センター、福井県立中央病院陽子線がん治療センター、南東北がん陽子線治療センター、メディポリス医学財団がん粒子線治療研究センターの7カ所が稼働中です。さらに、名古屋陽子線治療センターが建設中で、その他多くの陽子線治療施設の建設が決まっています。
 ホウ素中性子捕捉療法は、腫瘍内投与されたホウ素と、原子炉から発生する中性子との核反応によって発生するα線とリチウム原子核とを利用する治療方法で、腫瘍集積性の高いホウ素化合物を用いれば、重粒子線より強力ながん細胞を殺す効果と線量集中性が同時に得られることになります。今まで、悪性脳腫瘍、悪性黒色腫、頭頸部癌、肝臓癌などで臨床試験が行われ、日本では京都大学原子炉実験施設、日本原子力研究開発機構で研究治療が行われています。


粒子線治療は万能か?
 粒子線治療により、従来の治療法では治ることが難しかった幾つかの病気や病状が治るようになっています。これは大変素晴らしいことです。さらに、重粒子線治療はエックス線治療部位の再発にも施行でき、良好な結果が得られています。しかし、どんな病状にでも有効な夢の治療ではありません。
 粒子線を含めた放射線治療は、手術と同様の局所の治療です。治療した部分は治っても、治療しなかった部分には効果は及びません。がんがあちこちに広がっている場合、あるいはミクロのレベルで広がっている可能性がある場合は、薬剤などによる全身治療を行うことが肝心です。放射線で、画像上明らかな腫瘍を一つ一つ治療したとしても、画像で見えないがんが広がっていて、治癒には結びつかないのです。放射線治療を行って有意義なのは、腫瘍が限局していてその部分を治療すれば病気がなくなる、あるいは症状が改善して生活の質が上がる場合です。特に粒子線は線量を病巣に集中させて治療するのが通例ですので、広がりがある病状で治療して、腫瘍が部分的になくなっても、がんが治って長生きできるのに結びつかないことが多いのです。
 日本の放射線治療施設は約770か所、そのほとんどがエックス線治療施設です。放医研で粒子線治療の研究が始まった1970年代当時のエックス線治療では、腫瘍への線量集中性が問題でした。しかし現在は、強度変調放射線療法(IMRT:リニアックで行う治療技法、トモセラピーなどはその専用治療装置の商品名)や定位放射線療法(SBRT,SRS:ガンマーナイフやサイバーナイフはその治療装置の商品名)などが行えるようになり、旧来は手術が最も良い治療であった前立腺癌でも放射線治療が広く用いられるようになったように、エックス線も副作用が少なく効果が良くなっているのです。さらに、重粒子線治療も副作用がないのではなく、エックス線治療と同様の副作用は起こります。通常は軽度ですが、強い放射線ですので、場所によってはエックス線治療より副作用が多いこともあります。例えば、腫瘍が正常の腸管に接している場合には、腸管穿孔などの危険があり治療が行えないこともあります。
 ではそれでも、粒子線治療は必要でしょうか?
 その答えはイエスです。第一に高い生物学的効果(がんを殺す効果)により、手術やエックス線治療、化学療法では治すことが困難だった腫瘍を治すことができるからです。更に高精度のエックス線治療よりも線量集中性が良く、エックス線治療が困難な部位にも行えます。あるいは例えば肺癌に対する1回照射のように、少ない回数、少ない負担で治すことも可能です。有用な手段ですが、どんな場合でも有効なのではなく、治療に適した病態の見極めが大切なのです。


粒子線治療の課題
 多くのがん治療法は日々進歩しているでしょうが、歴史の長いエックス線治療に比べれば粒子線治療はまだまだ進歩の余地があります。エックス線や陽子線治療では用いられているガントリー(どの方向からでも放射線を照射できる設備)の重粒子線治療への導入は、これから予定されています。当初に比べ格段に良くはなっていますが、治療装置もまだ大きく、建設には数十億から数百億の費用がかかり、維持費も高額です。より小型で低価格な装置の研究開発、今よりさらに優れた線量集中性や抗腫瘍効果を持つ照射方法の開発が進められています。保険診療の対象になっておらず、先進医療では治療を受ける側の300万円程度(施設により異なります)の自費が必要で、経済的負担も問題です(但し、研究治療は無料)。
 せっかく日本が世界をリードするがん治療法ですので、日本中の必要とする患者さんみんなが、適切な粒子線治療を受けられるような体制作りをする必要があると思っています。

そこが聞きたい
Q第二次大戦後、占領軍は日本の軍事力に非常に神経質で、原爆製造に関連する原子力関係の研究や航空機研究等を徹底的に破壊したようです。放射線医療関係施設も、全く大量殺りく兵器とは開発のアーキテクトも違うのに、治療機器が東京湾に沈められたというような話も聞いています。とんだとばっちりを食わされたものですね。ここで日本の放射線医療は一時期暗黒の時代に入り、当時の先生方は大変ご苦労されたと思います。
にもかかわらず近年、特に粒子線分野では日本は世界の最先端を走っているまでに進歩したのは、本当に驚異的なことですね。


A 戦争中の被爆体験から、国民全体が放射線の害に対してとても敏感になっていたと思います。第二次大戦前の日本の放射線治療は決して諸外国に遅れを取っていませんでしたが、戦後空白の時期があり欧米先進諸国に20年近い遅れをとってしまいました。
しかし、日本は基礎物理学や工学、科学技術では世界のトップクラスですので、粒子線治療の研究を地道に続け、この分野では世界をリードする立場に立てたのだと思います。

Q放射線治療の歴史は、結局、腫瘍周囲の正常細胞には照射せずに、いかに複雑に異常繁殖しているがんだけに放射線を照射できるかの制御と、放射線抵抗性のある(あまり放射線が効かない)がんへの対応の歴史だったようですね。

A 仰る通りです。更に、通常、がんは正常組織と明確に境されていませんので、物理的な線量分布だけでなく、生物学的にがんを殺して正常組織を痛めないような線量分割や照射法を考える必要があった訳です。

Q要するにがんにちゃんと放射線を照射できれば、がんは退治できるわけですから、いかにちゃんとがんだけに照射できるかということが。

Aがんは周囲に浸潤して、正常組織と明確な境を持っていないのが通例ですから、手術でも周囲を含めて大きく切除しますし、放射線治療でも、周囲に安全域を加えて照射しますので事は複雑です。

Q そこに登場したのがコンピュータで、コンピュータと組み合わされた放射線治療機器の登場によって、どんな複雑な形状のがんにでも、また、呼吸同期などによって、動いている標的にもがんだけに絞り込んで照射することができるようになったのは、驚異的なことですね。

A 仰る通りで、科学技術の進歩で大きな改善がありました。

Q もう一つ残った課題として、放射線抵抗性の強いがんには、いくらがんだけに絞り込んで照射しても効果が薄いわけで、今までと違った放射線が求められたわけですね。

A 周囲の正常組織の影響を考慮しないで良いのなら、大線量を照射することもできるのでしょうが、人間の体内の腫瘍ではそうはいきませんね。エックス線よりがんを殺す力が強く病巣に集中できる放射線が必要でした。

Q 放射線抵抗性の強いがんとしては肉腫とか悪性黒色腫などでしょうか。

A その通りです。骨肉腫などの骨軟部肉腫、悪性黒色腫、脊策腫、腺様嚢胞癌、腺癌などは従来の放射線治療では十分な効果が得られていませんでした。

Q このようながんの患者には大変な福音ではありますが、このようながんは極めて少ないと思います。最近あちこちで粒子線治療施設の建設を聞きますが、先生のご報告で改めてこんなに多いのかと驚きました。素人目には供給過剰のように思われますが、そうなるととても採算に合わないのではないでしょうか。

A そうですね、採算性は課題です。更に低コストで建設・維持管理できるように研究を進めています。対象となる患者さんの数を考えると、骨軟部肉腫、悪性黒色腫、脊策腫はさほど多くないでしょうが、腺癌を対象と考えるとかなり多い数になります。どこまでを良い適応、必要な疾患とするかによって必要性はかなり変わってくると思います。誰だってより良く治りたいですから、前立腺癌や肺癌を対象としたら、この施設数ではまだ足りないですね。

Q 自治体などが税金で建設するということになると、問題ではないですかね。

A 粒子線治療にも色々ありますが、重粒子線と陽子線治療では建設・維持コストは大きく違います。米国で陽子線治療施設は日本同様に多いのに、重粒子線治療施設が全くないのは、技術的な問題だけでなく建設・維持のコストが採算ベースでは考えられないからだと思います。日本でも陽子線治療施設は民間病院で導入されていますが、重粒子線は全て公的機関です。更に低コストになるまで今後暫くは、重粒子線を民間ベースで建設するのは困難でしょう。しかしこの治療法でしか治らない患者さんがいる以上、それを国や公的機関が建設するのはむしろ国民に対する責務ではないでしょうか。財政危機だ、電力危機だと言って重粒子線でしか治らない難治がんの患者さんを切り捨てる考え方には違和感を覚えます。国全体としての適正配置と適正利用を考えることは大前提ですが、公的な運用を行うべきだと思います。

Q 患者にとっては常に「ダメだ」をいかにブレイク・スルーするかが問題ですので、今まで治らなかったがんが治るようになるということは大変ありがたいことですが、「上手に選んで、上手に治療」ではありませんが、「上手にコストパフォーマンスを考えて」運用していただきたいですね。

A 全く仰せの通りです。しかし、現在、先進医療で自己負担300万円くらいをお支払いいただいていても、重粒子線治療ではそれで病院が「儲かる」医療にはなっていません。常に研究開発を進める必要がありますが、将来への投資をせずに現在の採算を第一に考えて行う段階の医療ではないと思っています。患者さん個人に対しても公的な支援があるべきで、まずは「これでないと治らない」患者さんが自己負担でなく受けられるようになると良いと思っています。さらに「より良く治りたい」患者さんに関しても、経済的な問題で受けられないことがなくなると良いと希望しています。

Q 今回はお忙しいところを本当にありがとうございました。

A 有難うございました。ぜひ必要とする患者さん皆が粒子線治療を受けられる体制を築いて行かなければと思います。


略歴
唐澤 久美子(からさわ くみこ)

放射線医学総合研究所 重粒子医科学センター病院 治療課 第三治療室長
昭和61年東京女子医科大学卒業後同放射線科入局、同大放射線科助手、講師を経て、平成14年順天堂大放射線科講師、平成17年同助教授、平成18年先端放射線治療・医学物理講座責任者併任、平成19年同先任准教授を経て平成23年より現職。
専門 がんの放射線療法(とくに乳癌及び頭頸部癌)、化学放射線療法
日本医学放射線学会・日本放射線腫瘍学会放射線治療医 日本乳癌学会乳腺専門医 日本癌治療認定医機構がん治療認定医
日本放射線腫瘍学会代議員・国際委員・関連学会委員 日本医学物理士認定機構評議員・認定委員・教育コース認定委員・試験委員 日本医学物理学会代議員・教育委員 日本乳癌学会評議員・ガイドライン作成委員など

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