市民のためのがん治療の会
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患者さんのレポート

『「医療の限界」をタブー視せずに議論しよう』


武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕
近藤誠先生の「医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法 」が、日版調べで2013年の上半期ベストセラー第4位にランクされ、大いに売れているそうだ。同書はまた、昨年10月の第60回菊池寛賞を受賞した。
患者や家族は病院ランキング本で「良い病院」を探し回り、テレビの「神の手ドクター」を知って追いかけ、患者の体験談本を読んではその治療法を求め、彷徨う。
近藤先生はこれまでも「患者よがんと闘うな」など多くの著作で独特の見解を発表しておられるが、ベストセラーで話題になった本書について医師のお立場からのコメントをされた多田智裕先生のご見解を合せてご紹介することで、改めて患者にとって治療ということはどういうことか考え直してみるいい機会と考え、多田先生のご許可を得てここに先生のご寄稿を転載させていただきました。
なお、このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress) http://jbpress.ismedia.jp/
に掲載されたものをご厚意で転載させていただいたものです。
いつもながらの多田先生のご厚意に感謝いたします。(會田昭一郎)
 慶応義塾大学医学部の近藤誠先生が書かれた『医者に殺されない47の心得』(アスコム)が医療関連本としては記録的な売り上げを見せているとのことです。

 軽い風邪に抗生物質はいらないなど、賛成できる部分もあります。しかし、近藤先生の主張で一番インパクトがあるのは「がんもどき理論」でしょう。

 症状がなく検査で見つかり手術で治るがんは癌ではなく“がんもどき”、なので放っておいても命には別状なし。本当の癌は転移を起こすので、手術や放射線や化学療法などでは治らない。それどころか、手術や抗がん剤などの治療を受けるだけ寿命を縮める。

 これが「がんもどき理論」で、その結果、この本では「がん放置療法(がんは放置した方が楽に長生きできる)」を確立したと宣言しているのです。

 もしもこの理論が正しければ、「癌の見落としで命を落とした」という医療訴訟は完全になくなります。なぜならば、その癌は“がんもどき”ではなく本当の癌であったので、早く発見して手術しても寿命を短くするだけだったのですから・・・。

 「何もしないというのも治療」という選択肢を世に知らしめた功績は確かにあると思います。けれども、これほどまでに「ホンマでっか!?」的な本が売れるのは、「医療でできないこと」の議論がタブー視されてきたことも原因の1つなのではないでしょうか。


現代の医療で提供可能な選択肢を全て示していない
 この本について、私の専門分野である消化器の部分について2点感想を述べます。

 近藤先生は、20年ほど前に有名なニュースキャスターが胃がん手術を受けた後、数カ月後に治療のかいなく亡くなった例を挙げています。だから、がんの手術や抗がん剤治療は不毛であり放置療法(治療しない)が一番という説明になっています。

 この書き方だと、人によっては今も同様の手術が行われていると思ってしまうことでしょう。しかし、20年前と同様の手術が今行われることはありません。

 現在では、腹腔鏡(お腹の中に小さな穴を開けて細い管を入れる)がまず行われ、開腹さえも行われません。

 ただし、腫瘍からの出血でショック症状を起こした、または、腫瘍が胃の出口を塞いでしまい食事困難な場合に、腫瘍のみを切除する手術が行われる場合はあります。でもこれらは、手術により出血が収まる、食事が食べられるようになるなどの「QOL」(生活の質)の改善が見込まれる場合です。

 現在では腫瘍の根治可能性が高い、ないしはQOLの改善が見込まれる場合にのみ、手術が行われるようになってきているのです。

 また、近藤先生は医療被害の例のトップとして、「ERCP」(胆管と膵臓を造影剤で撮影する検査)を挙げて「死ぬことがあるのでおすすめしません」と結論づけています。こちらも、現在では、磁気を体外から当てるだけのMRIで膵臓や胆管は検査可能(MRCPと言います)です。

 大学病院にいらっしゃる近藤先生は、それらのことを十分に承知しているはずです。その上で極端な事例を挙げるのは、医療機関への不信感を過度に煽っていると思わざるを得ません。少なくとも、現在の医療で提供可能な選択肢を全て示さないで結論を出していると言っていいでしょう。


医療には「できること」と「できないこと」がある
 さて、細かな部分はともかく、この本が果たした功績は「進歩しているとはいえ、医療は万能ではなく、できないことがある」という事実を再認識させたことだと思います。

 がんの診断に限らず、病気にかかっても助かる人は助かりますし、死ぬ人は死にます。医療機関にかかり検診や治療を受ければ、助からないまでも“必ず”良くなるという思い込みは、実は幻に過ぎません。

 10年ほど前の経験になりますが、高齢者の方に、肺気腫の合併症のある早期胃がんが見つかりました。「1年後にまた来て下さい」と経過を見ていたものの、1年後に大きさが倍くらいになり、手術を行ったところ、術後、肺炎で命を落とされてしまったことがありました。

 「本人が強く希望しても、合併症のある方には安全に手術をする保証ができないので手術をしません」と手術を断れば良かったのか、と思うことは今でもあります。

 ですから、70歳以上で持病のある方、そして80歳以上の方にとっては、「がんの治療を行わない、がん検診も受けない」という選択肢がいちばん望ましい可能性が十分あります。

 しかし、いきなり、「検査に伴う合併症が多くなるし、見つかっても治療できないことも多いので、70歳以上はがん検診を3年に1回にして、80歳以上は一切がん検診を行わない」と制度を変えることは非現実的です。もとより、その前段階の議論を始めることすらほぼ不可能なのではないでしょうか。

 近藤先生はこの本で、“高齢者に対しては”という注意書きをつけず、あたかも全年齢に対して「(高血圧、糖尿病、高脂血症、癌を含めて)治療を受けるだけ無駄」かのように書いています。これは問題だと思いますが、これまで医療で「できないこと」が曖昧なまま、しっかりと議論されることがなかったということが示されたのは、大いに注目すべき点だと思います。

期待が高すぎることから発生するトラブル
 先日、ネットで話題となった乙武洋匡さんの“イタリアン入店拒否“騒動では、以下のようなやり取りがあったそうです。

・イタリアンレストランの店主
「車いすのお客様は、事前にご連絡いただかないと対応できません」
「ほかのお客様の迷惑になりますので」
「予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?」
・乙武さん
「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」

 医療でも同様の事態はしばしば起こります。

 理想論を言えば、レストランはどんなときもどんな客に対してもサービスを提供すべく努力すべきですし、医療機関も全ての患者に対して最高の医療を提供すべきです。しかし、医療やサービスの利用者の事前の期待値があまりにも高すぎると、大きな認識ギャップが生じ、感情的なトラブルが発生してしまうのです。

 乙武さんの騒動では、「(忙しい際には)車いす対応は事前の手配がないと対応できない」に対して「(体だけ運ぶなどして)車いすでも対応可能なはず」という認識ギャップがありました。

 医療では全ての手術や治療を安全にできるわけではありません。「それなら治療を受けるだけ無駄」と考えるのではなく、「(理想はともかく)現実の医療にはできないことがある」ことを認め、そこから議論することこそが、今、必要なのではないでしょうか。



略歴
多田 智裕(ただ ともひろ)

平成8年3月東京大学医学部医学科卒業後、東京大学医学部付属病院外科、国家公務員共済組合虎ノ門病院麻酔科、東京都立多摩老人医療センター外科、東京都教職員互助会三楽病院外科、東京大学医学部付属病院大腸肛門外科、日立戸塚総合病院外科、東京大学医学部付属病院大腸肛門外科、東葛辻仲病院外科を経て平成18年武蔵浦和メディカルセンターただともひろ胃腸科肛門科開設、院長。
日本外科学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本消化器病学会専門医、日本大腸肛門病学会専門医、日本消化器外科学会、日本臨床外科学会、日本救急医学会、日本癌学会、日本消化管学会、浦和医師会胃がん検診読影委員、内痔核治療法研究会会員、東京大学医学部 大腸肛門外科学講座 非常勤客員講師、医学博士

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