市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
生きるための治療法選択の自由

『国民性から解く保険外併用療養費制度』


混合診療裁判原告がん患者
清郷 伸人
清郷伸人さんは、腎がんの治療にあたって、保険診療であるインターフェロン療法と保険外診療である活性化自己リンパ球移入療法(LAK療法)を受けていたが、「保険外診療」である活性化自己リンパ球移入療法(LAK療法)を受けると、原則としてすべての診療が自己負担になるのは不当だと訴えていたものだ。1審は、「すべての費用を患者負担にするのは誤りだ」として、国の政策を違法とする初めての判断を示したが、2審は訴えを退けた。平成23年10月25日の判決で、最高裁判所第3小法廷の大谷剛彦裁判長は、「混合診療を原則として禁止しているのは、医療の安全性を確保し、患者に金銭的な負担をかけないためで、認めないことには合理性がある」と指摘し、清郷さんの上告を退け、これによって、国の政策は妥当とした2審の判決が確定した。混合診療を巡っては、規制緩和の一環で7年前に解禁することも検討されたが、保険が適用される診療が増えただけで、解禁は見送られた。
そこで今回はまず清郷さんの闘病の経緯をお示しいただいたのちに、今回の最高裁の決定を中心にお考えを示していただいた。
何度もレポートしている通り、医療関係者の懸命の努力にもかかわらず、日本では標準療法ではがん患者の半数しか救えていない。患者が第4の治療法を求め、選択することは憲法13条の幸福追求権で保障されているはずだ。どんな治療法でも許可しろとは言わない。FDAもガイドラインを示しているように、私はCompassionate Use、すなわち治験薬の人道的使用まで公権力が実質的に禁止することは許されないと思う。この扉を閉ざしているのは、実はわれわれ自身かもしれない。

なお、本原稿は、蕗書房「がんの先進医療」7月号に掲載の原稿を大幅に追加したもので、MRIC by 医療ガバナンス学会発行「医療ガバナンスNEWS2013年8月1日」に転載されたものをご厚意で転載させていただいたものです。(會田 昭一郎)
現在までの病気の経過
2000年

11月29日
超音波検査を行った検診機関より 左腎臓に影があるからすぐ精密検査をするように職場に電話が入る。
30日
友人と相談し、公立がんセンターに連絡、 泌尿器科主治医の診察を受ける。超音波画像で腎腫瘍が疑われ、CT、MRI検査を予約する。
12月13日
主治医が5センチの腎臓がんと診断、告知する。
22日
骨シンチグラフィ検査で再検査され、頭と頸の骨2カ所に所見を指摘される。
25日
主治医は骨の所見は良性の可能性高いと診断し、念のためMRIを予約する。
2001年
 
1月15日
入院する。主治医は主治医。
17日
手術前の説明で、検査の結果、骨の所見はがんではない。
19日
左腎臓摘出手術。
31日
がん組織病理説明で、悪性度(G)は2、分類(T)は1(7センチ以下)、浸潤はなかった。
2月 1日
インターフェロン自己注射開始。約1年間の予定。
8日
退院。
5月30日
定期検査のMRIで頭と頸の骨に所見、すぐCTも撮影する。
6月 1日



主治医から腎臓がんの骨転移と診断、告知される。
<告知内容>転移は頭部蝶形骨とC7頸椎の2カ所。危険なため手術は不可。 放射線や自己免疫療法はできるが救命率は20%くらい。抗がん剤は効かない。 余命は今読めない。がんが頭や頸を通る神経を圧迫するとしびれ、麻痺などが始まる。
6月   


米国のMDアンダーソンがんセンターとメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターに画像フィルムと診断書を送り、セカンドオピニオンを行う。2カ所とも画像ではがんと確認できないが、治療は米国と変わらないという意見だった。
7月13日
リニアック放射線治療開始。17回照射する。
9月以降


インターフェロン療法と活性化自己リンパ球療法(LAK)開始。LAK療法は2週間に1回通院で点滴を行う。さらに検査は頭頸部と胸腹部のCTをそれぞれ半年に1回、骨シンチグラフィを年1回行う。
2005年
 
10月 6日
がんセンターでLAK治療の中止を告げられる。
以降
インターフェロン療法と検査に月1度~3ヶ月に1度通院。
2008年
インターフェロン療法も中止して、検査のみに通院。
【1.混合診療問題が徘徊する】

いま混合診療という妖怪が日本国内を徘徊している。それは長い間日本には無いものとされてきた。医療を統制する行政からは観念すらできないとされ、医療者の団体である医師会からも世の中に出てきてはならないタブーとされてきた。当然メディアにも患者会にも識者等にも医療問題として意識されることはなかった。しかし小泉政権によって混合診療解禁が閣議決定され、2006年厚労大臣と規制改革大臣の混合診療に係る合意書が結ばれ、医療制度改革が行われたとき、タブーだったパンドラの箱はついに開けられたのである。しかしその後、歴代政権の規制改革のたびに混合診療問題は浮上することになる。なぜか。それは何度改革の俎上に上ってもこの問題が進展せず、堂々巡りを繰り返しているからである。官僚は改革をサボタージュし、医師会は反対の大合唱、メディアも患者会もそれに唱和した。さらに筆者の混合診療を求める訴訟は敗訴となり、司法からも退けられた。それにもかかわらず安部内閣によって再びこの問題が浮上している。

何度つぶされても不死鳥のように蘇ってくる。何故なのだろう。それは混合診療が死に直面するような重病や難病の患者にとって最後の希望の灯だからである。日本で認められた保険診療の効果もなく、日本の医療から見棄てられた患者が、日本では使えないが海外の先進国では認められた治療があると知ったとき、藁にもすがる思いで受けたいと思うのは当然である。もう一つ理由がある。政権がこの問題に向き合わざるを得ない理由は多分こちらである。40年後の世界を予測した『2052年』の著者ヨルゲン・ランダースが指摘しているように、国家の破綻を招くほどの世代間格差は国民全員が犠牲を分かち合って解決しなければならないが、少子高齢化が加速する今後の日本に迫る膨大な医療費を真摯に考えれば、混合診療という自発的な私費負担は国家として避けて通れない問題だからである。


【2.保険外併用療養費制度の本質】

政府公認の混合診療といえるこの制度は、それまで特定療養費制度といっていたものを2006年の医療制度改革で衣替えしたものである。制度の建前は、特定の保険外診療だけには保険診療との併用(混合診療)を認めるというものである。そしてその本音は、当局が特定したもの以外の一切の保険外診療(先端的・先進的自由診療、新薬等)には保険診療との併用を禁じることである。保険外診療を封じ込める当局の執念がいかに強いものか、これに違反した場合の罰則が尋常ではない。医師や病院は最大5年間の保険資格停止を受け、患者はその疾病で給付された保険分全額(通常医療費の7割)を返還しなければならない。自由診療そのものは禁止されていないし、町中のどこでも受けられる。しかし保険診療を受けていたら、どんな病状に陥っても絶対それは受けてはならないのである。

小泉規制改革が混合診療問題の解決を両大臣の合意書において保険外併用療養費制度に求めて以来、歴代政権は混合診療については解禁ではなくその制度の充実によって規制改革を実現しようとしてきた。しかし、この問題が改革の俎上に何度も上ることが示すように制度の充実は遅々として進まなかった。そして、それはこの制度の本質がもたらす宿命なのである。この制度は、患者の求める先進医療を受けやすくし、政権の命ずる規制緩和を実行しているという行政のアリバイ作りを本質としている。混合診療への要望の受け皿として当局の努力を示すための道具である。(実際、筆者の訴訟の最高裁判決は、この制度があるから混合診療の解禁を求めることは的外れというものであった。)アリバイなら形だけあればよく中味は重要ではない。政権は政策を示し、内閣は閣議決定するが、政策は多岐にわたり多数控えているため、あとは官僚に任される。さらに政治家には任期もあり、選挙もある。一方、官僚は終身雇用で専門分野に特化し、基本的に前例主義である。その結果、この制度の7年間で認められた保険外併用療養(評価療養としての先進医療)は100件余りに過ぎない。

保険外併用療養費制度が行政当局にとって本質的に不本意なものであるもう一つの理由は、筆者の訴訟で最高裁の寺田判事が判決の意見書において指摘しているように、医療の平等性は行政当局の伝統的な不抜の信念ということである。国民皆保険によって国民の医療に責任を負い、保険診療を監督しなければならない当局にとって、保険外診療は聖域を侵食する存在であろう。


【3.国民性による安全性・有効性の罠】

先進的医療や先端的医療が保険外併用療養(評価療養)に組み入れられるには、専門家会議や審議会で保険診療ほどではないにしろ安全性や有効性が認められなければならない。しかしその場で新しい医療にお墨付きを与える専門家や委員は、ある理由から慎重にならざるを得ない。当然、評価療養の承認は遅れ、または見送られる。その理由とは、承認した評価療養で万一の事故が起こった場合の責任が厳しいことである。まず日本では一斉に世論の批判にさらされる。メディアも大衆も犯人探しが得意であり、必ずスケープゴートを探し出す。これが安全性・有効性の罠である。だから当局は先進的先端的医療も新薬もなるべく評価療養にせず自由診療のままにしておく方が、責任は負わずにすむのである。

その一方で日本人は自己判断や自己責任を回避し、公の権威によるお墨付きを欲しがる。それだけではなくこのお上頼みの国民性は、命の瀬戸際の患者が自己責任で選んだ治療に対しては無慈悲である。重篤な患者は保障された安全性より一縷の有効性に賭けるほかない。保険承認された抗がん剤でさえ死亡を含む副作用の塊である。患者を助けたい医師は治る可能性のある未承認の治療や薬を使おうとするが、日本ではこの選択は厳しい罰を伴うため実施が難しい。しかし多くの国民はこの仕組みを支持しているのである。

このような国民性を背景に当局は、国民皆保険で負っている国民の生命と健康への責任と医療の安全性・有効性に仕掛けられた罠という二律背反のはざまで保険外併用療養という難物を扱いかねているといえる。他方で政府においては規制改革としての混合診療問題は、遅々として進まない保険外併用療養費制度に矮小化されて論じられている。今まで述べたようにこの制度はその本質から停滞的であり、既得権益層にメスを入れイノベーションを起こす規制改革になじまない。当然、保険財政の建て直しにも寄与しない。


【4.国民性の中にある危険】

最近、遺伝子検査による予防医療が話題になっている。「治療から予防へ」と医療費の効率性を向上させるために、その高額な費用に保険を適用すべきという議論がある。しかし、現状の負担のまま公的保険で何でも賄うというのは夢物語ではないだろうか。むしろ、このような予防医療こそ民間保険の出番である。民間保険には予防によって医療保険金支出を抑えたいという強いインセンティブがある。すべての国民が予防医療の恩恵に浴さないでも、可能な人だけでも受ければいいという発想は日本人には相容れないのだろうか。

日本にはiPS細胞研究のような優れた医学研究があり、医療にも世界に冠たる技術がある。戦後の日本をここまで育て上げたのは、他の産業も含めた無名の優れた技術者たちである。しかし、お上依存と付和雷同の国民性の中で、それは羊の優秀と従順に化してしまう。この優れた能力を持ちながらきわめて御しやすい国民性は、固持的な官僚と愚昧な政治家を生み、次第に日本が世界から取り残される危険を招いている。それは真面目な兵と優秀な士官を持ちながら、愚昧な将校と指導者のために無残な敗戦となった歴史を想起させる。トーマス・マンは、国民はその国民性にふさわしい政治家しか持つことはできないと述べている。

混合診療規制の本質は、国家権力による国民の権利の侵犯である。憲法13条には、公共の福祉に反しない限り、個人の自由の権利は最大限尊重されるとある。自由診療は存在する。それを受けることは自由である。しかし、保険診療を併用すると瞬時に受療の権利は剥奪される。混合診療は、それほど公共の福祉に反するものなのか。規制はさらに、保険外でも効果の期待できる医療を受けて治癒を目指す生存権、国民皆保険の被保険者として保険受給を剥奪されない平等権、永年義務として支払った保険料の対価としての財産権といった憲法で保障された基本的人権を侵すものである。
ただ権力がそのような本能を持つということは世界中の国民の共通認識である。そしてこの理不尽に対する抗議を言論や行動で示すことは民主主義の根幹であり、今トルコやブラジル、エジプトで起こっていることはその意味で健全なのである。戦中のジャーナリスト清沢洌によって「元来が、批判なしに信ずる習癖をつけてこられた日本人」(『暗黒日記』1945年4月17日)といわれ、メディアも学界も職能団体も地域も総じて国民が権力に厳しく反抗することのなかった近代日本人の国民性は変わらないのだろうか。


略歴
清郷 伸人(きよさと のぶひと)

昭和22年熊谷市生まれ。幼少期より東京都江戸川区、小田原市、松江市、江津市郊外、秋田市、岡山市、高知市、京都市で過ごす。卒業後、自動車セールスマン、事務器メーカー、出版社を経て化学工業事業者団体を平成24年退職。平成12年腎臓がんになり、摘出手術、翌年頭部蝶形骨と頸骨に転移し、混合診療で治療後現在は経過観察中。平成13年『がんからの贈りもの』を自費出版、平成17年治療中に混合診療問題に遭遇、翌年『違憲の医療制度』を出版。同時に治療で受けていた保険外の免疫治療と保険治療の併用を求めて東京地裁に国を提訴。平成19年一審で勝訴するも、21年の控訴審、23年の上告審で敗訴。24年『患者本位の医療制度を求めて』を出版。趣味は読書、ゴルフ、日本酒。

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