市民のためのがん治療の会
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福島健康被害、ICRP等国際機関基準で判断して良いか

『低線量放射線被ばく―福島の子どもの甲状腺を含む健康影響について(3)』


(独) 国立病院機構 北海道がんセンター
名誉院長 西尾正道
 福島第1原発事故後2年以上経過したが、なお今後の健康影響については科学的な議論がなされていない。「絆」が強調され、風評被害を抑える事や地域再生だけを目的とした姿勢で対策が進められている。健康被害に関する知見は、基本的に原子力政策を推進する立場で作られたICRP(国際放射線防護委員会)報告の情報で操作されている。医療関係者の教科書も事故後配布された学生向けの副読本もICRP報告の内容で書かれている。本稿では広島・長崎の原爆の調査データを基に60年以上前に作られたICRPの健康被害の内容を最近の知見も加えて見直し、放射線の人体への影響について根源的な視点で考えてみる。また40年間、小線源治療に携わってきた放射線治療医の実感から、内部被ばくや甲状腺の問題、そして今後の課題について報告する。(西尾 正道)
なお、本稿は全国保険医団体連合会『月刊保団連』臨時増刊号№1125,2013.5.31に掲載されたものを、同会のご厚意により転載させていただきました。ご協力に深謝いたします。 長文ですので、3週に分けて連載させていただきました。(會田)
7.避難基準の問題
 病院内の放射線管理区域の境界は1.3mSv/3月間(年間5.2mSv)を超えてはならず、放射線障害防止法や電離則や医療法で規制されている。空間線量率で言えば0.6μSv/hとなる。しかし現在、為政者は一般公衆の被曝限度を20倍に引き上げ、福島住民に強いている。年間20mSvとは、内部被ばくは除外しても2.28μSv/hとなり管理区域の3.8倍の線量となる。放射線管理区域では18歳未満の作業禁止(労働基準法)や飲食の禁止(医療法)が定められており、国が法律違反をしている異常な状態である。表3にチェルノブイリと日本の避難基準の比較を示す。日本政府は、20mSv未満の地域に住まわせている。チェルノブイリでは5mSv以上の地域は全員強制避難で、1~5mSvの地域は住んでも移住してもよいとし、本人に選択を認める移住権利ゾーンとしている。


表3 チェルノブイリと日本の避難基準の比較

またチェルノブイリでの5mSvの考え方は、外部被ばくで3mSv、内部被ばくで2mSvと考え合計5mSvとしているが、日本では外部被ばくだけの数値である。
 英国(症例2万7千名 対 対照3万7千名)より、自然放射線で5mSvを越えると1mSvにつき小児白血病リスクが12%有意に増加するという報告(Kendall GM. et al. : 2013 Jan;27(1):3-9. doi: 10.1038/leu.2012.151. Epub 2012 Jun 5.)も見られる。その他に555kBq/m2 以上の汚染地域では10年後に乳癌の多発や、呼吸機能の低下、老化の進行などが報告されており、日本もせめてチェルノブイリに準じた対応をすべきである。



8.食品汚染の問題について
 チェルノブイリ事故後にヨーロツパからの輸入食品が汚染されていたことがわかり、輸人食品は370Bq/Kgに規制された。しかし事故直後に政府はそれを上回る暫定規制値を作った。国際法では原発からの排水基準は90Bq/Kgであるが、暫定規制値においては2倍以上の放射性物質を含んだ水を飲料水とさせていた。セシウムの新規制値では一般食品は100Bq/Kg、牛乳や乳児用食品は50Bq/Kgとされているが、他の核種に関しては放置していることも問題である。

図8 食品中の放射性セシウムの規制値(単位:Bq/Kg)

 規制値ぎりぎりの牛乳を毎日200m1飲めば、毎日10Bq摂取することになり、1年程すれば蓄積して約1400Bqとなる(図9)。

図9 Cs-137を経口摂取した場合の体内放射能の推移

もちろんCs-137の体内蓄積量は代謝により異なることから一概には言えないが、体重20Kgの子供であれば70Bq/Kgとなり高率に心電図異常をきたしてもおかしくない値となる。
 暫定規制値を定めた時には、農産物の作付土壌の汚染は5000Bq/m2 以下と規制したが、新規制値を守るためには作付土壌に関しても規制すべきであり、20mSvまでの地域に住まわせ生産活動を行っていれば、規制値を上回る生産物が産地偽装され全国に流通するリスクは避けられないこととなる。
 事故後にドイツのキール海洋研究所は日本近海と将来の太平洋放射能汚染長期シュミレーションを公表し、「海のチェルノブイリ」であり、人類的犯罪であると断罪している。空気中に出された放射能雲が運んだ放射性物質が太平洋の海水を汚染し、また原発から海に排出された汚染水が、黒潮によって拡散する。現在東電敷地内に保管されている高濃度汚染水も最終的には海に流出することから、生物濃縮した海産物を食す人間の内部被ばくも深刻なものとなる可能性がある。10年後にはアメリカ西海岸からアラスカの汚染度が高くなり、米国の漁民から日本に対して将来損害賠償の訴訟を起こされる事態もあり得る。
 国土を除染しても最終的に汚染水は地下や河川へ流れ、海、魚介類へ、人へと引きつがれる。自然界にある放射性物質は物理的な半減期でしか減弱せず、Cs-137も放射能の強さは60年経過しても1/4にしか減弱しない。長い海洋汚染との闘いが始まっている。



9. 解明されていない低線量内部被ばくの課題
 1950年に発足したICRPは第一委員会が外部被ばく委員会、第二委員会が内部被ばく委員会だったが、1951年に内部被ばく委員会を潰した。この時に初代の内部被ばく委員会委員長だったカール・モーガン氏は、「原子力開発の光と影」(昭和堂, 2003年) という著作の中で「ICRPは原子力産業界の支配から白由ではない。この組織がかつて待っていた崇高な立場を失いつつある理由が分かる」と書いている。内部被ばく委員会から報告書が出れば、原子力労働者の被ばく問題が浮上し、原子力政策を進めることができなくなるからである。この時点から内部被ばくを隠蔽する歴史が始まったと言える。
 内部被ばくの測定はホールボディカウンタによるものが一般的だが、対外からの測定ではγ線だけしか測定できない。また精度の高いホールボディカウンタでも検出限界は250~300Bq/bodyであり、最高精度でも5Bq/Kgが検出限界である。
 α線やβ線は尿や爪や毛髪や歯などの生体試料を採取してバイオアッセイ (生物検定)や質量分析器により測定するしかない。非常に手間暇がかかり、高度な技術が必要であり、検体をフランスやドイツや米国に送っている。また染色体異常のチェックも望まれるが、全く行なわれていない。なお尿の測定で、尿から1Bq出たら、体内には大雑把な計算ではあるが100倍~200倍あるとされ、ホールボディカウンタより50~60倍の精度で測定が可能と言われている。こうした測定をする姿勢もなく、測定検査体制の構築すら考えない日本の現状は悲しい限りである。また表4に低線量内部被ばくにおける未解明で議論されていない課題を列記する。


表4 低線量内部被ばくにおける未解明の課題

 極低線量の内部被ばくでもバイスタンダー効果(照射された細胞の隣の細胞も損傷されることがある)や ゲノムの不安定性(細胞およびその子孫内の継続的、長期的突然変異の増加)、ミニサテライト突然変異(遺伝で受け継いだ生殖細胞系のDNAが変化する)、 ペトカウ効果などが報告されている。
 紙面の制約で詳細は述べないが、ラジウム(Ra-226)、セシウム(Cs-137)、ゴールドグレイン(Αu-198)などの低線量率連続照射用の線源を使った小線源治療に従事してきた臨床医の実感から、通常の書籍では問題提起されていない点に絞って述べる。
 著者が使用してきたCs-137線源による治療例を図10に示す。セシウム針はセシウムの粉末を白金イリジウムで封人密封して作られ、Cs-137から出るβ線を遮蔽し、γ線だけをがん病巣に当てて治療している。線量評価は線源から外側5mmの範囲に60Gy/5日間照射する。放射線の影響を受けた範囲は粘膜炎を起こしているが、吸収され跡かたも無く治癒している。患者にとっては内部被ばくを利用した治療であり、線量評価は照射されている範囲で表現し、決して投与線量を全身化換算はしない。


図10 Cs-137針線源による低線量率小線源組織内照射治療症例

 この低線量率の連続照射の治療は放射線治療の中で最も効果的な治療法だが、その説明の一つは照射中には全細胞周期の細胞に影響する事が考えられる。G2期(分裂準備期)とM期(分裂期)は放射線感受性が高く、内部被ばくのような継続的な被ばくでは確実にG2期とM期の細胞にも放射線があたり影響されるため、細胞周期の問題を考えれば低線量でもその影響は無視できなくなる。
 なお図11にCs-137の崩壊形式を示すが、まずβ崩壊してβ線を出してバリウム-137mに変化し、さらにγ崩壊してγ線を出し安定なバリウム-137に変わる。したがって尿から1Bqの放射線が検出されれば、実際には体内では2Bqの被ばくを受けていることになる。


図11 セシウム-137の壊変により放出される放射線

 また放射線によるがんの細胞死は分裂過程で遺伝子が傷ついたために分裂能力を失い死滅する分裂死である。正常細胞では放射線を受けて傷ついた遺伝子が、継代的に引き継がれ何代か後に、遺伝子の異常に伴うトラブルが起こる可能性は否定できないのである。
 さらに全く語られていないのは、エネルギーの問題である。Cs-137のγ線エネルギーは0.662MeVである。人体内の電気信号は数ev(5~7eV)の世界であり、水素と酸素原子が結合している。医療用X線は100Kevの世界であり、核反応生成物からの放射性物質のエネルギーはMeVの世界である。このエネルギーの違いによる影響も考慮されていない。
 LET(Linear Energy Transfer、 線エネルギー付与)の問題もある。放射線の線質によって「トラック」に沿ってラジカルを生成する度合が異なり、細胞に対する影響の度合いが異なることが分かっている。LETの高い順に並べると、①核分裂生成物>②低原子番号の原子核>③α線>④中性子線>⑤低エネルギーの陽子線、電子線、X線、γ線>⑥高エネルギーの陽子線、電子線、X線、γ線となり、核分裂生成物からの高LET放射線は最も細胞障害性を持っている。しかし単に線量の多い少ないで人体影響が議論されている。おかしな話である。
 さらにもっと根本的な事は、放射線の線量は熱エネルギーで定義されている。1Kgの物質に1J(ジュール)の熱量を与える放射線の量が1Gy(グレイ)である。原爆時の米国の公式見解として致死線量は7Svとされたが、日常臨床では血液がんの治療で骨髄移植の前処置として全身照射を行いる。その時は1回2Gyを朝夕に照射し、3日間で12Gy(X線では12Sv)/6分割/3日の照射となるが死亡することはない。X線やγ線の場合はGy=SVであり、体重60Kgの人が7SVの全身被ばくでは、熱量換算すれば、60(Kg)×7(J)=420(Kg・J)=100Calにすぎない。おにぎり1個にもならない量のエネルギーで全員死ぬことになる。内部被ばくで放射線が影響する範囲は、1kgぐらいの広範囲に及ぶことはなく、外部被ばくと同様に1kg当たりのエネルギー値として評価することは無意味なのである。エネルギー換算による放射線の単位というのは、分子レベルの生物学的な現象をまったく説明できていないことになり、これは現在の科学の限界である。
 またα線やβ線による内部被ばくの場合は、1Kgの塊の範囲にまで放射線が届くことはない。α線は40μmの飛程としたら周囲の何層かの細胞にしか届かず、β線も周囲数mmの細胞にしか当たらない。外部被ばくと内部被ばくの影響の違いが解明されていないために、線量が同等であれば人体への影響は同等と考える取り決めとなっている。例えて言えば、目薬は眼に点すから効果や副作用があるが、それを口から飲ませて、2~3滴の量だから全身的にみれば全く影響ない量であるされているようなものである。
 Cs-137の1Bq摂取時の預託実効線量は0.013μSvとされており、100Bqの摂取では1.3μSv となる。仮に臨床的に発見できる1cm大の塊(10億個の細胞数)にだけ100Bqが影響を与えているとすれば、約60兆個の人体の細胞数の60,000分の1であり、1.3μSv x 60,000=78,000μSv(=78mSv)の被ばく線量となる。またα線は40μmしか飛程はないが、影響を受けている周囲の細胞数を超過剰に見積もって、仮に1mm大の細胞の塊だとすれば細胞数にして約100万個であり、1mmの塊の細胞集団には78Svの線量が当っている事になる。
 熱量換算による被ばく線量で人体の分子レベルの変化は説明できず、また内部被ばくの線量を外部被ばくと同様に1kg当たりのエネルギー値として評価することは全く無意味なのである。



最後に
 著者は2013年2月1日に為政者に要請書を提出したが、その内容要旨を表5に示す。今後の被ばく医療体制は診療報酬を統一し、長期的な視点で行う必要がある。しかし、原発事故関係の国民の健康管理業務は厚労省から環境省に移管されたため、医療のプロフェッショナルが不在で、診療報酬の取り決めもできない状態であり、全く無責任であると言わざるを得ない。

表5 2013年2月1日に政府に提出した要望書の要旨

 これを契機に社会の在り方を本当に真剣に考えるべきである。人口が減少する国で右肩上がりの経済成長は望めない。真実を歪め、「ICRP物語」により原子力政策を推進してきたが、国民はこの催眠術から覚めなければならない。脱原発・脱被ばくは後世の子孫に対する責任であり、人間としての見識なのである。 (了)
略歴
西尾 正道(にしお まさみち)

1974年札幌医科大学卒業後、国立札幌病院・北海道がんセンター放射線科勤務。1988年同科医長。2004年4月、機構改革により国立病院機構北海道がんセンターと改名後も同院に勤務し今年3月退職。がんの放射線治療を通じて日本のがん医療の問題点を指摘し改善するための医療を推進。著書に「がん医療と放射線治療』、「がんの放射線治療」、「放射線治療医の本音‐がん患者2万人と向き合って‐」、「今、本当に受けたいがん治療」の他に放射線治療の専門著書・論文多数。 放射線の健康被害に関しては「放射線健康障害の真実」」(2012年4月刊、旬報社)を出版している。「市民のためのがん治療の会」顧問、協力医。
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