市民のためのがん治療の会
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作られた権威を鵜呑みにする日本人

『医師たちはなぜ沈黙するのか(2)』


獨協医科大学放射線科
名取 春彦
もともと東高西低と言われた福島原発事故に対する関心も、いまや関東地方ですら風化しつつあるが、今でもインタネットを見ればむしろ海外では非常に深刻な状況と受け取られている。原発の後始末もままならず、3年以上経っても被災者の今後の生活の展望もないというのでは、世界の信頼など得られようはずもない。 先週に引き続いて『放射線はなぜわかりにくいのか』を出版され、福島原発事故の放射能汚染についての啓発に努めておられる獨協医科大学の名取春彦先生に、解説をお願いした。 (會田 昭一郎)
目次
(1)
1.フクシマの矛盾はICRPの矛盾
2.ICRPが犯した過ち
(2)
3.損得勘定を人命救助の基準に導入した
4.医学にも医道にも反する
(3)
5.放射線防護政策において、医師集団は蚊帳の外
6.医師たちよ、なぜ沈黙するのか!


3.損得勘定を人命救助の基準に導入した
 さて、いよいよICRPの放射線防護理念の本質を説明しよう。
ICRP勧告の柱は、「行為の正当化、防護の最適化」という言葉で表わされる。「行為の正当化」とは被曝の正当化のことであるが、被曝させないことの正当化も含まれることからICRPは「行為」という言葉を使う。
 「行為の正当化」は、医療における検査被曝で説明するとわかりやすい。CT検査をするかしないかは、検査をすることで得られる利益と検査被曝によるリスクを天秤にかけ、利益がリスクに勝るなら検査は正当化される。
 ところがICRPは被曝を伴う人命救助にもこれを強引に適応する。救助された場合の利益と救助者のリスクを天秤にかけて、利益がリスクを上回る場合に救助は正当化されるとしているのである。「被曝させないことの正当化」とは何のことかと、ICRPの発想に慣れない人は理解に苦しんだだろうが、被曝リスクが利益を上回るような事例を指している。
 この場合の利益とは救助されるものの生命であり、リスクとは救助するものの健康被害である。別人の生命と別人の健康被害を比べるという矛盾については、この章の最後に触れるとして、別々のものどうしを比較できるはずがないのであるが、ICRPは経済的損益に換算して比較するのである。
 地震津波の後、原発近くで救助活動にあたっていた隊員の無念の声が残っている。
 瓦礫の中から声がする。「もう少しだぞー、がんばれよー」と声をかけながら必死に救助作業をしているときに、原発が爆発した。作業を即刻中止して避難せよ、と命令が下された。隊員は「すぐに戻ってくるから待ってろよー」と声を残して避難したが、再び戻ることはできなかった。
 救助を待つ人を見捨てて強制的に避難させたのは、ICRP勧告に従ってのことである。被災者の命の価値は、救助者のリスクや防護服の準備などの経費に比べれば少ないと判断し、救助しないことが正当化された結果なのである。
 もし、経済的価値の高い電力会社社長が瓦礫の下敷きになって救助を待っていたのなら、それを救助するために救助作業員たちのリスクがどんなに大きくても、また作業にいかに経費がかかっても、社長の命の経済的価値の方が高ければ、救助は正当化されるのである。

 「防護の最適化」とは被曝線量を最小限に抑えることではない。ICRPは「防護の最適化とは、経済的社会的要因を考慮して、被曝の発生、人数、線量を合理的に達成できる限り低く抑えるためのプロセスである」としている。
 この政府答弁のような意味不明の日本語では誰も理解できないことだろう。これを当たり前の日本語に翻訳するなら、「経済的要因」とは政府や東電の経済的負担のことであり、「社会的要因」とは、国民が不満を抱いたりメディアが騒ぎ立てたりして社会問題にならないようにということである。
 「被曝の発生、人数、線量を合理的に達成できる限り低く抑える」とは、「・・・合理的に達成できる範囲内でほどほどに低く抑える。」という意味であり、「無理してまで低く抑える必要はない」と言っているのである。
 改めて全体を翻訳すると「防護の最適化とは、政府や東電の経済的負担、ならびに国民が不満を抱いたりメディアが騒ぎ立てたりして社会問題にならないよう考慮して、被曝の発生、人数、線量を合理的に達成できる範囲内でほどほどに低く抑えるためのプロセスである」ということになる。
 原発事故などにおける住民のための「防護のプロセス」を「防護のための行為」と捉えるなら、「行為」も「防護」も同じことである。「行為の最適化」「防護の正当化」と言わないのは、「行為」とは能動的であり「防護」とは受身的だからである。
 被曝を伴う放射線検査やリスクを伴う原発建設は積極的に正当化して推し進め、リスク管理や住民被曝の防護に対しては受身的で程々に済ますということになる。さらに恐ろしいことに、被曝を伴う人命救助を行わないということが、「行為の正当化」として積極的に正当化できるようになっているのである。

 このようにICRP勧告をじっくり読んでいくと、勧告がいかに理不尽なものであるか、また、政府の原発政策や事故対応がいかにICRP勧告に忠実であるかがよくわかる。
 ICRP勧告はあいまいな言葉を選んで決してばれないようにしているが、しっかり読めば、人の命まで経済的価値に換算し、経済的価値によって人の価値をランク付けするという根本理念がはっきりと読み取れる。
 ICRPが巧みにごまかす中でも見逃してはならないのは、損益を比較するその損益とは誰にとっての損益なのかという点である。国民全体の損益ではなく、もちろん住民や東京電力の損益でもない。政府と政府を支え政府にたかる権力者たちの損益なのである。救助される者の利益と救助する者の損失が比較できるのは、利益も損失も結局のところは政府と権力者たちにとっての利益と損失に換算されるからである。


4.医学にも医道にも反する
 「防護の最適化」のためには、過去のデータなどから被曝のリスク予測が要求される。不足するデータ数を補うためにという理由でLNT(直線しきい値なし)仮説が採用された。LNT仮説とは被曝線量とその影響の大きさが正比例するという仮説である。ちなみにLNT仮説は、シーベルトという単位の前提にもなっている。
 ところが、1Svの被曝でガンになるリスクは100mSvの被曝の10倍とは限らない。ガンの種類によっても違うし被曝の受け方によっても違う。放射性物質による内部被曝では放射性物質によっても異なるし、被曝を受ける人間によっても異なる。にもかかわらず強引にLNT仮説を適応し、高線量被曝も低線量被曝も比例式で換算し、全てひっくるめて平均値を出し、そんないい加減な数値を使って統計処理がなされ被曝リスクは算出されている。
 さらに、ICRPは常にデータが足りないと言うが、意図的に集めてこなかったという方が正しい。ヒロシマ・ナガサキを始め、核実験の死の灰による被曝者たち、くり返す原発事故による被曝者たちのデータは意図的に隠されてきた。同じことがフクシマでもくり返されている。ICRPはこのようにして都合のよいデータだけを採用し、都合のよいリスク予測がなされている。
 以上のように、ICRPの防護理念は科学や医学に反するばかりでなく、3章で述べてきたように損得勘定を人命救助の基準に導入するなどは医学の道にも反する。
 医者は、目の前に救助を求める人がいれば、何とかして救う方法を考える。医者は救いを求める人を見捨てることはできない。人間がつくる法律は完璧ではありえないのだから、医者は法を犯してでも人命救助を優先する。それが、患者のためなら人体を傷付けたり、毒物の投与も許されるという特権を与えられた医者たちの社会的使命なのである。
 放射線防護とは、生きて生活を営んでいる人たちを被曝の危険から守るためのものである。それはまさに住民の健康を守るという医師たちに与えられた社会的使命の一つである。そこに医師たちが積極的に関らずして、誰が住民の健康に責任を負うというのだろうか。
 そもそも人命救助を実行するかしないかは人道上の問題であり、人道上の問題は何人(なんびと)たりとも強制したり規制することはできず法律をも超越する。
 健康被害は人命を損なうことにつながるのであるから、住民を健康被害から守ることもまた人道上の問題である。従って健康被害が考えられる被曝を、損得勘定から容認するというICRPの勧告も政府の事故対応も人道上問題となる。そして人道上の問題は、医師たちにとっては自らの職業理念に関る医道上の問題なのである。
(次週に続く)

略歴
名取 春彦(なとり はるひこ)

1949年東京生まれ。東北大学大学院卒業。癌研究会附属病院、東北大学医学部、メモリアル・スローン・ケタリング癌センターを経て、1989年から獨協医科大学放射線科、現在に至る。1992年からはKHI研究所を主宰し、患者からの相談に応じている。著書に『インフォームド・コンセントは患者を救わない』(洋泉社)、『ヴィーナス・コンプレックス』(マガジンハウス)、『こんな放射線科はもういらない』(洋泉社)などがある。

参考文献
『放射線はなぜわかりにくいのか
放射線の健康への影響、わかっていること、わからないこと』

名取春彦
アップル出版社 四六判380ページ 2000円+税
放射線はなぜわかりにくいのか

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