市民のためのがん治療の会
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作られた権威を鵜呑みにする日本人

『医師たちはなぜ沈黙するのか(3)』


獨協医科大学放射線科
名取 春彦
一体、専門家の社会的責任というものはどういうものだろうか。私は消費者問題が専門だが、消費者問題が起こると、「そのような事実は専門家の間では知られていることだ」などというコメントが出されることがよくある。被害が発生してから言ってもしょうがない、なぜ早く注意喚起をしなかったのか、と本当に腹立たしいことがよくある。 先週に引き続いて『放射線はなぜわかりにくいのか』を出版され、福島原発事故の放射能汚染についての啓発に努めておられる獨協医科大学の名取春彦先生に、解説をお願いした。 (會田 昭一郎)
目次
(1)
1.フクシマの矛盾はICRPの矛盾
2.ICRPが犯した過ち
(2)
3.損得勘定を人命救助の基準に導入した
4.医学にも医道にも反する
(3)
5.放射線防護政策において、医師集団は蚊帳の外
6.医師たちよ、なぜ沈黙するのか!


5.放射線防護政策において、医師集団は蚊帳の外
 医学は人間生物学ではない。人命救助や健康を守るというはっきりとした目的を持つ学問である。言わば究極の実学である。
 アスピリンの解熱作用のメカニズムなどわかっていなくても、ニトログリセリンが何故心臓の冠動脈を拡張させ狭心症に効果があるかは未解明でも、症状が治まり病気が治るなら使うのが医学である。ただし、医学も科学であるから、確実に効果があることはデータをそろえ実証する。
 それに対し物理学などの科学は人体を物質と見る。物質の変化に関心はあっても、その変化が人々の生活や病気の治療にどのような影響を与えるかなどには関係がなくても構わない。電子顕微鏡でも見ることのできない原子や微粒子レベルの現象を、ああでもない、こうでもないと理屈を構築し、まるで実際に見てきたかのようにストーリーを組み立てる。うまいストーリーづくりが彼らの関心事であって、それが人命救助や健康を守ることに結びつかなくても構わない。
 原発事故が起きてから、物理学者などの放射線の専門家たちがしきりに放射線の人体への影響について語るようになった。御用学者と一部の熱心な医師たちを除けば、人命と健康を守る専門家であるはずの医師たちが黙っている。  医師たちが放射線を知らないからではない。
 医学の中で、放射線医学は放射線を病気の診断や治療に利用したり、被曝による健康被害を防ぐことを目的とする。放射線医学の進歩の結果、現代医学のほとんどの領域に放射線医学が関係している。放射線とのかかわりが全くない診療科などは考えられない。
 知識がないといえども、医師国家試験を受ける前に一通りのことは学んでいる。患者から聞かれて答える自信がなければ、放射線医学の専門家に尋ねればよいことである。

 原発事故に対する政府と東京電力の対応は、被災住民にとっては理不尽なもので、見捨てられた住民は不安を抱えながらも何を信じてよいかわからなくなっている。家族や子どもたちを守るために放射線を理解したいと思うが、書物で勉強してもなかなか理解できない。物理学者たちの解説は机上の論理ばかりで、現実世界の実際のところはわからない。
 それなのになぜ医師たちは黙るのか。
 それは放射線防護の領域は医師たちではなく、物理学者や実務担当者たちが担うとされたからである。物理学者や人間を見ない生物学者たちが、放射線の健康への影響の専門家として起用されている。そのようにしたのはICRPである。
 ICRPの前身は国際放射線医学会の一つの専門委員会であった。第二次世界大戦が終結し米ソの冷戦が始まると、米国は核戦略上常に優位に立つことが要求された。米政府は国際放射線医学会の有名無実の委員会に、予算と人材を送り込んで学会から独立させ、名称をICRPと変更した。そして実質的に米国にとって都合がよく、しかも体裁上は独立した権威ある国際機関に仕立て上げた。原発推進が米国の国家戦略となると、それに都合のよいようにICRPも変えていった。気骨のある医師たちを排除していったのは、人命や健康への影響に敏感な医師たちの存在は、核戦略や原発推進の妨げになるからである。
 ICRPは独立した国際機関を装うが、実質的にはIAEAの子分のような存在であり、両者の存在目的は、共に米国の核戦略と原子力政策を擁護することにあると言ってもよい(詳細は参考文献)。
 驚くことに米国は、400人の大富豪が米国民全体の収入の半分を独占し、マネーが政治を支配する社会である。大富豪は、議員やロビーストたちに膨大な資金をつぎ込み、一般サラリーマンより大富豪の方が税率が低いという理不尽な大富豪優遇税法まで成立させている。
 正義も民主主義も名ばかりで、全てがマネーで決まる。国家戦略もCIAもNSAもマネーで動く。アフガン戦争もイラク戦争もその結果である。原子力マフィアがマネー追及のため政府を動かしIAEAやICRPを思い通りに操るのは当然である。
 だから、IAEAやICRPに道理や民主主義を期待する方が間違っている。ICRPから医師たちが排除された結果、被曝による健康被害は軽んじられ、人命まで損得計算で勘定される。事件事故による被曝の健康への影響は、曖昧にしたまま放置されることになった。
 ICRPは専任研究者の存在しない委員会である。委員の起用は、医学系は名誉と権威という餌で少数の御用学者を長にすえ、社会性がなく物静かな研究者をそれに従えさせる。その他は物理学者や生物学者などで占められ、実務は有能だが従順な実務担当者が担う。そこには医者たちの思いを代弁してくれるような医者や医学者はいないのである。
 ICRPに倣って日本でも、物理学者や実務官僚たちによって、住民避難や放射線防護の指針が決められている。
 放射線取り扱い施設では、物理出身の管理者が放射線作業従事者を教育し管理する。病院や大学でも同じである。放射線の人体影響については専門家であるはずの放射線科医たちでさえ、放射線の人体影響については素人の管理者に強制的に管理されているのである。


6.医師たちよ、なぜ沈黙するのか!
 原発事故直後、私の大学では「国民を混乱させてはいけないから発言を慎むように。政府が唯一正しい」という趣旨の通達があった。混乱するのは政府がきちんと説明できないからであり、その状況は今も続いている。
 真理探究の府であるべき大学が、真理探究を社会的使命とする研究者に対し「政府が唯一正しい」と通達してきたのである。これは、国の放射線防護政策を推し進める上で、医師や医学研究者たちがいかに邪魔な存在と見ているかを端的に示している。

 住民が放射線を理解しようと欲するのは、放射線から身を守るためである。政府からの納得いく説明がないから、住民たちは自ら放射線を正しく理解しなければ自分たちの身を守れないことに気が付いた。書店には放射線関連の書籍がずらりと並んだが、どれを読んでもすんなりとは理解できない。国民は何を信じればよいかがわからず混乱するばかりである。
 そういうときに住民が頼るべきは、身近にいる“お医者さん”たちである。住民の健康を守るのは地域の医師たちの役割である。被曝について説明し不安を解消することも大切な医師の仕事である。そして医師は、常に窓口をオープンにしており求めてくる患者を決して断わることはない。
 日本医師会は「かかりつけ医」制度を推進している。かかりつけ医は分野を問わず、住民の病気や健康上の問題を引き受け相談に乗ってくれるはずである。
 相談を受けた医師が、自分だけでは問題解決まで至らないときは、さらに専門機関に紹介することになっている。しかし、医師たち自身やその家族たちをも、同じように被曝から身を守らなければならない。地域生活に密着する問題は、専門機関に丸ごと預けてよいはずはなく、わからなければ医師も自ら住民と共に学び考えなければならない。
 決して政府広報やICRPの勧告をよく理解もせず受け売りするのだけは止めてほしい。それは自分たちをも含め住民を見捨てることになる。
 改めて強調するが、医師は学者と違って住民たちと共に生きている。学者と違って、常に窓口はオープンで住民はいつでも駆け込めるようになっている。医師は求めてやってくる患者を断わってはいけない。住民たちが被曝を強いられ憤っているなら、直接相談に訪れることがなくても医師はそれに応えなければならない。なぜなら、住民の健康問題に医師は責任を負っているからである。
 医師が「放射線をよく知らない」と言うのは言い訳にならない。どの領域の医師も診療には多少なりとも放射線が関っている。一部ではどんなわずかな放射線も健康に悪影響を及ぼすという主張があるのだから、放射線を利用する医師は、放射線の使用を正当化する論理を自ら持っていなければならない。それは外科医が手術を正当化したり、薬物治療医が毒性のある薬物の使用を正当化することと同じである。
 自分の理解が及ばなければ、身近な放射線科医に尋ねればよい。それに対応することも放射線科医の大切な仕事である。
 また、国民がこれまで経験したことない被曝環境に置かれているのだから、医師たちはそれぞれの専門領域で自分たちの役割を果たさなければならない。
 小児科医は小児の健康を守る。産科医は妊婦と胎児を守る。整形外科医は骨肉腫から国民を守る。呼吸器科医は肺がんや呼吸器疾患を増やさない。精神科医は理不尽にも被曝を強いられやり場のない住民たちを心の病から守る。
 当然ながら甲状腺専門医は住民たちを被曝による甲状腺がんから守る。眼科医は住民たちを被曝白内障から守る。そして放射線科医は放射線の健康への影響の専門家として、あらゆる領域で被曝の影響から国民を守る。
 やるべきことは、原因を除くか原因から避難することしかない。健康への影響が判断できないときは、医学の鉄則に従って記録を残す。記録がなければ健康被害があっても別の医師が助けることもできないし、被害事実が永遠に葬り去られることになる。
 そして、健康被害が多発するときや、住民の不安や憤りが政策の不備などに起因すると思われたときは、医師たちは住民を守るために声を上げなければならない。黙って見過ごすことは薬害や公害を黙って見過ごすことと同じである。
(了)

略歴
名取 春彦(なとり はるひこ)

1949年東京生まれ。東北大学大学院卒業。癌研究会附属病院、東北大学医学部、メモリアル・スローン・ケタリング癌センターを経て、1989年から獨協医科大学放射線科、現在に至る。1992年からはKHI研究所を主宰し、患者からの相談に応じている。著書に『インフォームド・コンセントは患者を救わない』(洋泉社)、『ヴィーナス・コンプレックス』(マガジンハウス)、『こんな放射線科はもういらない』(洋泉社)などがある。

参考文献
『放射線はなぜわかりにくいのか
放射線の健康への影響、わかっていること、わからないこと』

名取春彦
アップル出版社 四六判380ページ 2000円+税
放射線はなぜわかりにくいのか
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