市民のためのがん治療の会
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家族性がん第4弾

『遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)』


慶應義塾大学医学部産婦人科教授 青木大輔
このところ遺伝子検査を受けることで病気になるかどうかの統計的傾向を知って対策を講じるという議論が喧しい。最近も大手の情報関連会社が簡易なキットの発売を開始し、メディアでも大きく取り上げられた。 「がん医療の今」では乳がん、膵がん、大腸がんなど、いわゆる家族性がんと言われるがんについてそれぞれの専門家の先生方にご寄稿いただいたが、今回は慶應義塾大学の青木大輔教授に、遺伝性乳がん卵巣がんについてご寄稿いただいた。(會田 昭一郎)
遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)とは
 遺伝性乳がん卵巣がんとは、乳がんや卵巣がんになるひとのうち、その原因に両親や祖父母からの、遺伝が関係している方や、そういう遺伝がある家系を指します。英語ではHereditary Breast and Ovarian Cancerといい、頭文字をとってHBOCと略します。
 もともと乳がんや卵巣がんには遺伝性(血のつながった身内に乳がんや卵巣がんのひとがいて、その原因に遺伝が関係している)のものがかなり多く、5-10%はそうだと考えられています。その中でBRCA1またはBRCA2という遺伝子についての遺伝が関係しているのがHBOCです。また、最も多くみられるのもHBOCです。
 HBOCでのBRCA1またはBRCA2遺伝子の異常(変異といいます)は常染色体優性遺伝です。これは、母親、父親からそれぞれ1つずつ、合計2本受け継ぐ遺伝子(アレル)のうち、片方にBRCA1またはBRCA2の変異があれば病気が発症する可能性がある、という遺伝形式です。両親のうち一人がHBOCであれば、子供がHBOCになる可能性は50%と計算されます。しかしながら、遺伝子の変異を引き継いだとしても全員が必ず発症するわけではありません。
 通常、日本人の女性が一生涯に卵巣がんになる可能性は1.4%、乳がんになる可能性は7%程度といわれています。一方BRCA1に変異がある場合、70歳までに卵巣がんになる可能性は39%、乳がんになる可能性は65%であり、BRCA2に変異がある場合には、卵巣がんになる可能性は11%、乳がんになる可能性は45%と推測されています。つまり、BRCA1またはBRCA2に異常があるHBOCの方の場合、卵巣がんになる可能性は通常の10~40倍、乳がんになる可能性は6~12倍程度と考えられます。
 そのため、HBOCの家系では何人もの親戚が卵巣がんや乳がんにかかるという現象がみられます。そのほかHBOCの特徴として若くして乳がん、卵巣がんになる、一人の患者さんが乳がんと卵巣がんの両方にかかる、左右両方の乳がんになる、男性でも乳がんになる、さらに前立腺がんや膵臓がんとも関連しているといわれています。そこで、卵巣がんや乳がんになられた方に対して、ご自身にほかのがんがないか、血のつながった親戚が卵巣がんや乳がんなどにかかったひとがいないか、詳しく尋ねることがHBOCを発見することにつながります。

HBOCを診断するための手順と検査法
 HBOCの診断はBRCA1、BRCA2の遺伝子検査によって行われます。その前にまず、家族歴を詳細に聞き取り、遺伝子検査を行うべきかどうかを判断します。もし、遺伝子検査で「BRCA1、BRCA2に遺伝子異常がある」という結果になった場合はもとより、その可能性があるとなった場合でも、調べた本人のみならず親戚にも心理的な側面を含め、さまざまな影響を及ぼす可能性があるので、十分に気を付けて対応する必要があります。遺伝子検査を行うかどうかを判断するには遺伝カウンセリングを受けることが不可欠です。カウンセリングを受けるべきかどうかは、まず今かかっている医師に相談することになります。一般に医師は、表1に示した「HBOCに対する遺伝性がんリスク評価の専門的知識をもつ医療提供者へ紹介する際の指針として考慮すべき臨床的パラメータ」(筆者監訳の「遺伝性婦人科癌」(医学書院)より)などを参考にして、カウンセリングを受けるべきかどうかを判断します。
 もし、主治医からカウンセリングを受けるよう勧められた場合、そのカウンセリングは遺伝性のがんのリスクを評価できる専門家から受けることが大切です。現在、わが国の遺伝医療の専門家として医師を対象とした「臨床遺伝専門医制度」がありますが、そのなかでもさまざまな専門領域があるため、遺伝専門医であれば誰でもよい、という訳ではなく、HBOCやその検査のことをよく知っていて、きちんと説明でき、HBOCであった場合どうしたらいいか、医療管理のこともよくわかっている臨床遺伝専門医の診療を受けることが大切です。
 そういった医師にかかるにはどうしたらいいのでしょうか?下記のホームぺージが参考になります。
 それではHBOCを疑うときに行われるBRCA1、BRCA2の遺伝子検査について説明します。まずBRCA1、BRCA2の遺伝子検査は、乳がんや卵巣がんを発症した当事者(発端者といいます)が、親戚のなかで一番最初に受けることが望ましいとされています。発端者に対して血液検査を行ないます。血液の中から取り出した遺伝子であるDNAを用い、DNAの中でもBRCA1、BRCA2遺伝子の領域の全てを調べてどこか1ヶ所でも異常がないか調べます(スクリーニング検査)。もし、この検査で発端者のBRCA1、BRCA2遺伝子のどこかに異常(変異)が見つかった場合には、次のステップとして、血縁者に対する検査を行います。血縁者に対しては、発端者で見つかった変異の場所だけに絞って検査をおこないます(シングルサイト検査)。
 この検査を行なった場合の結果は次のようなもののいずれかです。
発端者向けのスクリーニング検査を行った場合の結果です。
① 病的変異(deleterious)
② 病的変異疑い(possibly deleterious)
③ 病的意義が未確定な遺伝子変異(uncertain)
④ 遺伝子多型と思われる(favor polymorphism)
⑤ 遺伝子変異を認めず
 このなかで、①病的変異(deleterious)あるいは②病的変異疑い(possibly deleterious)の場合、HBOCと診断されます。そして、診断後はHBOCであることに対してさまざまな医学的管理を行うことが推奨されることになります。
  一方、血のつながった身内に乳がんや卵巣がんがいるなど、家族歴などからHBOCが疑われるにもかかわらず、スクリーニング検査の結果が、⑤遺伝子変異を認めずであった場合には、次のようなことが考えられます。
・がんになったのは遺伝が原因ではない(環境要因、生活環境、偶然などほかのことが原因でがんになった)。
・BRCA1、BRCA 2以外の遺伝子に変異があるが、実施した解析方法では検出できなかった。
・BRCA1、BRCA 2遺伝子以外の遺伝子に変異があってがんになった。
 このような場合、それぞれのケ-スごとに、ご本人や血縁者が今までかかったがんの種類やそのときの年齢などをもとに、その方や血縁者が将来がんになるリスクを計算する必要があります。最終的には主治医が総合的に判断し、どのように医学的管理を行うかを提示してくれることになります。

BRCA1、BRCA 2の遺伝子検査を行うにあたって、倫理的な配慮が必要ですか?
 はい、必要です。BRCA1、BRCA 2の遺伝子検査の結果を知ることは、まだがんになっていないものの、BRCA1、BRCA 2遺伝子に変異がある血縁者をも含めて、人生に大きな影響を与えることは想像に難くありません。究極の個人情報でもある遺伝子検査の結果をどのように管理するのかなども含め、あらゆる角度から倫理的配慮を行うことも必要とされています。そのため、BRCA1、BRCA 2の遺伝子検査を行う検査会社は、社団法人日本衛生検査所協会が定める「遺伝学的検査受託に関する倫理指針」を遵守しています。また病院などの医療の現場には、遺伝学的検査に関するガイドラインとして、厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン」や日本医学会「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」、日本家族性腫瘍学会「家族性腫瘍における遺伝子診断の研究とこれを応用した診療に関するガイドライン」があり、医療関係者はこれらを守る義務があります。
 また、BRCA1、BRCA 2の遺伝子検査を実施するとき、前述の指針やガイドラインに沿って検査を行なえるよう、検査会社であるファルコ社の倫理審査委員会では「家族性腫瘍遺伝子検査 受託実施指針」(2012年3月一部改定)を作っており、その中で、医療機関がこの会社にBRCA1、BRCA 2の遺伝子検査を含む、遺伝性のがんの遺伝子検査を検査会社に依頼するときに必要な、医療機関側の体制の整備についても書かれています。

HBOCと診断された場合、医療管理にはどのような選択肢があるのか?
 まず、がんになっていない未発症のBRCA1、BRCA 2遺伝子変異のある方に対しては、リスク低減卵巣卵管切除術(risk reducing salpingo-oophorectomy: RRSO)が現在のところ最も確実性の高い卵巣がんおよび乳がんの予防策とされています。RRSOは卵巣卵管を切除することによって卵巣がんや卵管がんになる危険性を少なくします。また、乳がんの原因には卵巣からでる女性ホルモンがあるので、理論的には卵巣を切除すれば乳がんになる危険性が減るはずであり、実際に大幅に減ることが観察されています。Domchek らは、RRSOが乳がんによる死亡、卵巣がんなど婦人科がんに関連した死亡、および全死亡率をそれぞれ90%、95%、76%も低下させたと報告しています。つまりRRSOはHBOC症例の死亡リスクを減らそうとするとき第1に考えるべき選択肢なのです。
 RRSOの方法は両側の卵管と卵巣を摘出することです。両側の卵管と卵巣を摘出すると、妊娠は期待できず、子宮だけ残しておいても子宮頸がんや子宮体がんになる危険性が残ってしまうので、RRSOを行うときには同時に子宮も摘出することが合理的とされています。ときにRRSOによって摘出した卵巣や卵管から卵巣がんや卵管がんが発見されることがあります。これは術前には診断がつかなかったものの、すでに卵巣がんや卵管にがんができ始めていた、ということで、手術を行うときには小さなこれらのがんも見逃さないように、取り出した臓器を綿密に調べることになっています。また、卵巣や卵管からこぼれだしたがん細胞が腹腔内(おなかのなか)にあることがあるので、RRSOの際には腹腔を生理的食塩水で洗浄して回収し、そのなかにがん細胞がいないかどうか調べる細胞診を必ず行うことになっています。わが国でこのRRSOを行なうには施設ごとに倫理委員会の承認が望ましいと考えられています。既に実施可能な施設はいくつかあります。
 RRSOの問題点にはいいことばかりでなく、問題点もあります。その1つが、RRSOを行うことによって卵巣がん、卵管がん、乳がんなどの危険性は大幅に減りますが、施行後にも腹膜がんになるリスクがわずかに残ることです。腹膜がんは腹腔のいたるところにがんができる病気で、早期に発見することは困難です。また閉経前で卵巣が女性ホルモンを出している時期にRRSOを行うと、急に女性ホルモンがなくなり、更年期のようになってさまざまな症状がでてきます。そこで、それらの症状についても対応することがHBOCに対する医療管理の一部として行われます。海外では米国NCCN(The National Comprehensive Cancer Network)や米国産婦人科学会のガイドラインで、RRSOを推奨しており、BRCA1、BRCA 2の遺伝子変異が認められた35才以上の女性170例のうち、98例(58%)がRRSOを受けたという報告があります。
 乳がんについてはRRSOのほかにリスク低減乳房切除術(risk-reducing mastectomy: RRM)という選択肢があります。しかしながらRRM によって乳がんの発症率を90%程度下げるという報告がある一方、この手術は卵巣がんや卵管がんを減らす効果は期待できないので、この手術を受けることによって受けない場合と比較して寿命が延びるかどうかはいまだ明らかではありません。このように、まだがんになっていないHBOCの方に対して手術を行うとすれば、まず選択すべきはRRSOであり、RRMではありません。わが国の乳がん診療ガイドラインでも2011年改訂よりHBOCの項目を設けてRRSOについて書かれています。
 また手術以外に、検診も未発症のHBOCの方への対応策の1つとされています。NCCNのガイドラインにも未発症のHBOCの方の乳がんの早期発見対策として、25歳からの毎年の乳がん検診受診や毎年のMRIとマンモグラフィ検査が記載されています。一方で、卵巣がんの検査については未発症のHBOCの方に対して明らかな有効性を示すことのできた検診方法は存在しないというのが現状です。現在、米国Gynecologic Oncology Groupでは未発症のHBOCの方の卵巣がん検診法とリスクを減らす方法に関する研究(GOG #199)を進行させており、その結果を待ちたいと思います。
 このようにカウンセリングや遺伝子検査、予防的治療を含めたさまざまな医療介入がなされた場合、HBOCの可能性のある当事者やその血縁者には少なからぬ心理的、社会的、および健康上の問題が発生しうると考えられ、それらは一生涯に渡るといっても過言ではありません。したがってカウンセリングや遺伝子検査を開始するときから、十分に倫理的配慮が整っていると判断できる施設での実施が必要とされています。また、HBOCでは発端者およびその血縁者全体に対して、何代にも渡る長い期間におよぶ医学的管理とサポートが必要であり、わが国でも、諸外国でも、その体制はいまだ不十分であり、急いで準備する必要があります。HBOCの方にどう対応するか、その体制はまだ作り始められたばかりというのが現状ですが、カウンセリングから生涯に渡るサポートを可能にする医療体制が確立すれば、早期発見が困難で、また70%が再発するなど、治りにくいとされている卵巣がん、卵管がん、腹膜がんといった婦人科がんに対して今までとは違ったアプロ-チができるようになるのではないかと期待されています。
略歴
青 木 大 輔(あおき だいすけ)

昭和57年慶應義塾大学医学部卒業後同大学医学部研修医(産婦人科)、同専任講師(医学部産婦人科学)を経て平成17年慶應義塾大学教授(医学部産婦人科学)
平成25年慶應義塾大学医学部産婦人科学教室 教室主任、現職
この間、昭和63年米国 La Jolla Cancer Research Foundation (現 Sanford-Burnham Medical Research Institute)に留学、医学博士
【資 格】
日本産科婦人科学会産婦人科専門医、日本臨床細胞学会細胞診専門医、日本婦人科腫瘍学会婦人科腫瘍専門医、日本がん治療認定医機構暫定教育医、日本がん治療認定医機構がん治療認定医
【主な所属関連学会・学術団体】
日本産科婦人科学会(常務理事),日本臨床細胞学会(副理事長),日本婦人科腫瘍学会(常務理事),日本がん検診・診断学会(理事),婦人科悪性腫瘍研究機構(理事),日本癌治療学会(理事),日本癌学会(評議員)等
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