市民のためのがん治療の会
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乳ガンを切らないで治す日帰り治療

『乳ガンに対する非切除凍結療法(1)』


亀田総合病院乳腺科 主任部長 福間 英祐
乳がんは欧米女性に多く、9人に1人が乳がんにかかるといわれているが、日本人の罹患率は欧米人の1/3~4程度と少なかったが、このところ日本人の罹患率は増え続け、現在は16人に1人程度と急速に欧米に近づいている。しかも米国では乳がんの発生率は減少傾向が見られるのに対して日本ではまだまだ増加傾向にあり、その差はさらに縮まるものと予想されている。
治療法の第一選択は手術だが、女性にとっては乳房は美容上の重要性から、乳房切除は精神的にも大きな問題である。特に最近は20代の若い女性などにも乳がん発生が見られるようになり、治療法については様々な研究がなされてきている。
今回は非切除凍結療法という画期的な治療法を開発された福間先生に、乳がん治療についての変遷も踏まえご寄稿いただいた。今週はまず乳がん治療のこれまでを俯瞰していただき、次週には冷凍療法 凍結療法についてご報告いただく。
なお、福間先生の非切除凍結療法は、2014年11月12日(水)に日本テレビで報道された。
(會田 昭一郎)
乳ガンの診療の変化
乳ガンに対する切らない治療としての凍結療法のお話をする前に、乳ガン診療の変化についてお話をしたいと思います。
私が医師になった1979年です。そのころは日本の女性は一生の間で35人に1人が乳ガンになるといわれていました。2015年の現在は15-6人に1人が乳ガンになるといわれています。
乳ガンになる率(罹患率といいます)の上昇に伴い、乳ガンの診療はここ30年の間、10年を一区切りにして大きく変わってきました。

私は外科を志し、1979年に岩手医科大学を卒業しすぐに聖路加国際病院の外科にレジデントして入職しました。
そのころの聖路加では乳腺診療はもちろん一般外科の一つの分野で、レジデントはアッペ(いわゆる盲腸、虫垂切除術)や ヘルニアの手術を習得すると、次は乳ガンの手術の助手そして術者となることで経験を積んでいきました。
大学の外科医局に属する多くのレジデントも同じような手術のステップアップをしていったことと思います。
その頃の聖路加は、アメリカで外科の修練を終了し主治医権を持った医師が、科長として4名も在籍していました。そのため、アメリカで行われていた大小胸筋を温存する非定型的乳房切除術という全摘手術が、日本の他の施設に先駆けて行われていました。
若い医師ながら、アメリカにおける新しい外科の息吹と乳腺診療の面白さを感じていました。

乳房切除術(全摘手術)後
資料1

1980年代後半になると、1970年代に米国で始まった乳房の形を温存する乳房温存術が日本でも徐々に導入され始めました。乳房の温存術の導入は日本の医師、そして患者様に大きな意識の変革をもたらしました。ガン診療は命を救うことだけでなく、すなわち乳房の形を保つことで、生活の質を意識することになる新たな乳ガン診療の始まりだったのです。治療の選択肢が増えたことで、インフォームドコンセントが他領域に先駆けて乳腺診療で始まりました。

乳房温存術後
資料2

一方、欧米では1980年代に乳ガンの罹患率が上昇し女性のガンの一位となり、乳ガンは社会、医療における大きな課題になりました。それに歩調を合わせるように、マンモグラフィ(乳房のX線撮影、特殊な機器と、資格を持った医師、技師が精度の高い診療には必要です)を主体とする乳ガン検診が普及しはじめました。マンモグラフィで多くの小さな病変が見つかるようになりました。見つかった病変は、従来は開創生検とういう3cmの傷から局所麻酔の手術で採取していました。それが、画像を見ながら3mmの傷からアプローチできる吸引しながら針で採取するマンモトーム(現在は多くの機器が開発され、吸引式針生検といわれています)が開発されました。傷を小さくし,身体への負担を減らして小病変にアプローチできるようになったのです。検診、針生検の普及に伴い多くの非浸潤癌、小乳ガンが発見されるようになりました。
ちなみに、マンモトームの機械を作ったアメリカのParker先生は何十億かの特許料をもらったといわれています。

吸引式針生検機器
資料3

そして10年後、1990年代後半の日本です。乳ガンの罹患率は上昇し、欧米の後を追い、マンモグラフィを用いた乳ガン検診とマンモトーム生検が導入され始めました。
ゆっくりとですが非浸潤癌、小乳ガンが多く発見されるようになりました。
それを反映し、2000年代の前半は乳腺診療の選択肢が増え、医療としての専門性が高まり、乳腺外科、乳腺科、乳腺センターといった乳腺の専門性をうたう施設が増えてきました。
転移がなければリンパ節郭清を施行しない、センチネルリンパ節生検が普及しはじめたのもそのころからです。

センチネルリンパ節生検
資料4

そしてさらに10年後、2000年代後半の日本に続きます。
検診の普及、画像診断の進歩、生検方法の進歩、医療関係者や患者さまの意識の変化は、発見される乳ガンの大きさに表れてきます。
日本乳癌学会の統計によると、大きさが2cm以下の乳ガンは2004年から2011年の7年間で44.9%から63.0%に増えました。1cm以下の乳ガンは13.2%から29.7%へと倍以上の増加です。日本でもより小さな乳ガンがみつかるようになりました。
ガンを治すことと乳房の形状を保つことの両立をはかる乳房温存術、乳房切除(全摘)後の再建、そして、センチネル生検は日本で広く普及しています。
しかし、1cm以下でみつけた小乳ガンに対して、今までと同じ手術するのでいいかという思いが芽生えてきました。
そして、日本の社会も変化してきました。バブルがはじけた日本の社会では、働く女性の存在は以前にも増して大きくなってきました。乳ガンの好発年齢は40歳後半と60歳前半です。
男性と同等の立場で働く女性にとり、乳ガンは女性の社会的立場にとっても大きな課題です。
乳癌の手術、局所治療はガンを切除し"命を守る"から、"乳房の形を守る"へと変遷してきました。 そしてこれからの時代は、女性の"社会的な立場も守る"に変化していかなければなりません。
より低侵襲(負担のない治療)でキャリアを損なわない日帰り治療が求められています。

乳癌に対する画像ガイド下非切除治療
2005年前後から乳ガンに対して切らない治療、すなわちさまざまな非切除治療が試みられるようになりました。
乳癌を局所的に加熱し焼く熱凝固療法として、超音波集束療法(FUS)、ラジオ波焼灼療法(RF)、レーザー治療があります。

(編集注)近年、手術に替わる様々な低侵襲治療が開発されています。その中でもFocused Ultrasound (FUS,集束超音波)は、針を刺す必要もない完全非侵襲的な「患者にやさしい治療法」として注目を集めています。FUSでは無数の超音波を一点に集束させることで、エネルギーを増幅し組織を焼灼します。

経皮的ラジオ波焼灼療法は、外科手術が難しい患者さんに対して、ラジオ波を使って行う治療のことです。ラジオ波焼灼療法のことをRFAとも呼びます。経皮的というのは、「病巣部を開かずに皮膚を通して」という意味で、乳がんなど4つのがんが経皮的ラジオ波焼灼療法で先進医療として認められています。

<次週に続きます>

略歴
福間 英祐(ふくま えいすけ)

1979年岩手医科大学 卒業後、聖路加国際病院 外科研修医、外科医員、帝京大学溝口病院 外科助手、横浜総合病院 外科医長、帝京大学溝口病院 外科助手等を経て2000年亀田総合病院乳腺外科部長。2011年同病院乳腺科主任部長、現職。
この間1988年メルボルン大学外科 留学

専門分野:乳癌治療、乳腺内視鏡下手術、乳腺画像診断
認定資格:日本外科学会認定医・専門医・指導医、日本乳癌学会認定医・専門医・評議員
日本乳腺甲状腺超音波会議幹事など多数。
所属学会:乳腺内視鏡手術研究会 世話人、国際外科学会、日本癌治療学会、日本臨床外科学会
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