市民のためのがん治療の会
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ブレイク・スルーは、まず教育から

『医工連携の基礎となる技術者育成を目指して -REDEEM 15年の歩み-』


東北大学大学院医工学研究科 山口 隆美
11月18日にアキバプラザセミナールーム1で第6回 AET eHealth フォーラム 「スマートヘルス実現への挑戦」が開催された。このフォーラムは、ご案内によれば「新しい医療の潮流を “ スマートヘルス実現への挑戦 ” と捉え、医学・工学・ICTの幅広い分野で創造的に活躍されている諸先生に先進的な取り組みをご講演いただく」というもので、優れた科学者であり、AET社代表取締役社長の田辺英二先生のいつもながらの鋭い視点で組み立てられていた。
中でも最も編集子にとって刺激的であったのは、「医療工学技術者を創成するための社会人技術者再教育プログラム-REDEEM-の15年の実践と現状」と題して行われた東北大学 総長特命教授、特任教授(医工学研究科)であり、特定非営利活動法人REDEEM 代表理事 山口隆美先生の一般講演であった。
そこで早速ご講演終了後山口先生にお願いし、ご寄稿をお願いした。
新年最初の「がん医療の今」を飾るに相応しいご寄稿として御礼申し上げます。
(會田 昭一郎)

1.はじめに

がん治療を受ける患者さんのお立場では、あまり意識されることは少ないかと思いますが、医学・医療と工学・技術は切り離すことができない密接な関係にあります。このホームページでは、がんの放射線治療の話題が多いようですが、放射線治療のためには、非常に大型から小規模のものまで各種の医療器械が必須です。患者さんのお立場では、それらの器械が、どのような技術に基づいて設計・製作され、また、どのような技術的な支援のもとで実際の治療にもちいられているかと言った問題は、当面の治療の成否という観点からはあまり気にならないかも知れません。むしろ、放射線治療では、同じ理工系の従事者としては照射条件を決めたりする根拠となる、いわゆる医用物理の専門家の方が直接的には関心の対象となると思われます。

しかし、複雑を極める放射線治療機器も工学が作り出すものであり、その設計や運転には、物理学的計算を実世界に写すいろいろな工学技術が必要不可欠で、それがなければ満足のいく治療はできません。このような意味で、私たちがおよそ15年にわたって続けている「医療工学技術者創成のための社会人技術者再教育プログラム -REDEEM」と東北大学大学院医工学研究科についてご紹介することは無駄ではないと考え、會田会長のお勧めに従って、一文を草する次第です。

2.医学と工学の違いについて

一般の方々にはあまり意識されないことですが、医学と工学の間には、非常に深いギャップがあります。どちらも、自然科学を基礎とした応用の学問なのだから基本は同じであろうと思われる向きが多いのですが、自然への向き合い方が根本的に異なっていると言わざるを得ません。一言でいうと、医学は経験の学問であり、方法論は帰納的であり、すなわち博物学です。一方、工学も、経験に依拠してはいますが、方法論は演繹的であり、基礎となる理論と定量的な基礎方程式があります。どちらが良いとか悪いとか言う問題ではなく、根本的に発想の根拠が異なっていると言ってよいと思います。この結果、医学には、工学でいうところの理論がありません。ここで、理論というのは、自然を定量的に観察し、現象の数量的な関係を基礎の法則、通常の場合は古典力学のそれに落とし込んだ方程式があるということです。これに対し、医学は、経験と観察結果を記述し、分類し、そして可能な限り関係づけようとする試みであり、いろいろな経験的な法則はありますが、残念ながら、数値的な予測が可能であるという意味での理論がありません。この基本的な違いが意識されないと、工学技術者と医療従事者の間の真の意味での協働ということはできないだろう、というのが、私たちが、医工連携という試みについて持っている危惧です。

3.いわゆる“医工連携”はどうしてうまく行かないか。

このような基本的な立場に違いがある医学・医療、そしてそれを担う医師などの医療技術者と、医療器械、システムを開発する工学技術者が、協力しなければ、真の意味で患者さんの回復を助けることができる技術を作り上げることができないのは明らかです。しかし、これは言うのは簡単ですが、実際は非常に困難です。これまで、国や地方自治体などが、医療機器産業を次世代の経済活動の中心として育成する目的で、いわゆる医工連携事業を実施してきました。私の知る限りでも、日本全国の都道府県、大きな都市などで、このような試みがなされていないところはないだろうと思うほど、非常に数多くの事業がなされて来ましたが、あえて言わせて頂ければ、それらは、結局ことごとく失敗しています。皆さんの身近にも、医工連携の事業による、講演会や啓蒙活動などが必ずあるとおもいますが、これらには乱暴に言ってしまうと一つの明白な特徴があります。それは、まず、何を開発したら良いかを知っているのは、医師であるという思い込みに従って、臨床医を連れてきて、何が必要かについて講演させることから始めるということです。これは、至るところで、医工連携を企画するように命じられたお役人がまず最初にやることです。ところが、通常の(ま、多少の例外はありますが)医師は、すぐ目の前にある医療機器についても、その原理的な理解(医療上の使用法は別として)がありませんから、どういう技術開発が必要かという話は自分の専門科目に極めて限定された工夫の範囲を超えないのが普通です。次に、どこか、他の地方自治体で、うまく行っている(と、皆が思っている)中小企業の経営者に、成功体験を話してもらいます。多くの場合、こういう企業は、特定分野の一品を生産しているケースが多いので、話題はごく限定された領域に止まります。そうすると、こういう講演会は、何回かやれば、種切れになり行き詰まります。ちょうど、いいことに、そのころ、地方自治体の担当者も異動の時期をむかえ、結局、こういう試みは立ち消えになるわけです。大学などが主導でやっても、国などからの補助金が切れれば同じ経過をたどります。私も、この業界で約40年生きてきたので、こういう試みは数え切れないほどみてきました。

4.本当の“医工連携”を実現するためには何が必要か。

私たちの考えは、それは、結局人材育成に尽きるのです。どういう人材か。これも私たちの独断で言えば、医者が話していることを原理にさかのぼって理解できる技術者です。2節で述べたように、医学・生物学は、博物学ですから、その根底に、深遠な基本原理があるわけではありません。従って、臓器別になっている外科とか内科とかで話されている内容は要するに個別具体的な例であって、その意味内容、つまり、言葉として理解することは、工学の基本概念の理解に比べれば、はるかに容易です。そのためには、つまり、医者が使っている言葉をキャッチし、それを理解するために必要な辞書なり参考書に当たることができる能力を養成すればお互いの意思疎通が図れると私たちは考えています。そこで、いまから15年ほどまえに、私たちは、東北大学「医療工学技術者創成のための社会人技術者再教育プログラム」(REDEEM) を始めました。このプログラムは、15年間で改良を続けて来ていますが、現在では、1年間の課程で、50コマの講義と、20コマの実験・実習がセットになっています。講義では、基礎の生物学、分子細胞生物学からはじめて、基礎医学および臨床医学、そして、医機・薬事法の規制まで、医療器械の開発に必要最小限とおもわれる知識をコンパクトに学ぶことができます。実験・実習では、とくにこのために作った専用の実験室で、実際の動物を使った分子細胞生物学実験、生理学実験、そして、解剖実習を1週間かけて実施します。この課程は、理工系の大学学部卒程度以上の学力のある、実際の企業で研究開発にあたっている技術者を対象として想定しており、これまでの受講生では、修士卒の方がもっとも多くなっています。企業としては、医療機器産業からの派遣の方が大部分ですが、そうでない企業や、個人での受講者もおられます。15年ですから、景気の浮沈によって、送りこんでこられる企業も相当変化しましたが、我が国を代表する製造業の会社は、大方網羅していると言ってよいと思います。教育課程の詳細は、ホームページ http://www.redeem.jp でご覧になれますので、ご参照下さい。

5. 医工学教育の必要性

東北大学では、このREDEEMなどのプログラムを基礎に、平成20年に大学院医工学研究科が創設されました。この研究科は、医工学の正規の大学院としては、我が国ではじめて設立されたものであり、そして、驚くべきことに、未だに我が国で唯一の大学院研究科(学部相当の独立研究科)です。これが、何故、驚くべきかと言えば、米国には、その時点ですでに、 100 以上の医工学の学部・大学院があり、その後も増え続けているからです。勿論、その背後には、米国に固有の事情もありました。それは、1975 年から 2006 年まで存在したWhittaker 財団で、およそ、30年間に、7億ドルの資金を全米の大学に寄付し、30 以上の医工学部・研究科の創立を支援しました。この結果、全米の工学系の大学では、医工学の分野の研究が非常に盛んになり、それぞれの大学の工学部で、医工学分野が、最も優秀な学生を集める人気の研究科になったのです。その他に、米国政府も、NIH などと通じて、医工学の分野に資金を大量に投入し、医工学分野から、非常に優秀なエンジニアが社会に送り出されるようになったのです。アメリカの産業の勃興について、日本では、ベンチャービジネスの活発化などが強調される傾向があります。しかし、今、世界の医療機器産業を完全に牛耳っているアメリカの産業の背景には、このような人材育成があったことを忘れてはいけません。

これに加えて、アメリカ(だけが、世界の他の国と異なる)事情として、医学教育の体制があります。アメリカの医師養成制度は、我が国や他のヨーロッパ諸国と異なり、医学校は、学部ではなく大学院であり、他の学部を卒業したあとに入学するのです。医工学の学部卒業生のおよそ1/3が、医学部に入学するとされています。医学部に進学する学生の相当部分は、医工学ばかりでない工学部の出身であるようです。つまり、米国の医師のかなりの部分は、基礎的な工学教育を受けているのです。このような医師が、工学技術者と協調して技術開発を進めることに有利であることは言うまでもありません。

6.医学界と医学教育の問題点

このような事情は、我が国でも、メディカルスクール問題として知られており、日本の医師が技術開発において後れをとっている一つの大きな理由であると考えられます。しかし、医学部教育では、この問題は、いわばタブーの一つであり、随分以前から医学教育の改善のための一つの有力な方策として提案されているのですが、医学部関係者が頑なに検討を拒んでいるのです。

とまれ、私たちが東北大学に医工学の大学院を設立してから8年になりますが、これに引き続く大学院あるいは学部ですら、設置が実現した大学はありません。その理由は、残念ながら、お金だけではありません。これまで、いくつかの大学で、そのような試みを支援するための政府の補助金を受けたところがありますが、そのどれも恒久的な教育組織を残すと言う意味では成功していません。それは、あえて誤解を恐れずに言えば、協調すべき工学系と医学系の教員組織において、医学系が優位になっているという理由が大きいのです。東北大学は、極めて例外で、医工学分野において、歴史的にも工学系が優位にあり、実際、医工学研究科を設立するにあたり、工学系が2/3、その他が 1/3 という割合で人員・資源を供出しました。観察によれば、他大学では、医工学の教育組織を作るとき、大多数の例で、医学部が優位にポストを独占し、つまり、第2医学部を作ってしまっているようです。これは、実は、医学部に固有の行動様式で、もとをたどれば、入学試験における偏差値などをもとにした医学部の謂われなき優越感に由来するものです。これでは、実際の技術開発に携わる工学系の教員・学生が対等な協力をすることは困難であると言わざるを得ません。

7.がん治療との関係での医工学

本稿の冒頭においても述べたように、がん治療も医工学の支援なしでは効果を上げることはできません。がん治療は、以前は、外科手術が王道とされておりましたが、いまは、いわゆる化学療法(薬物治療)と放射線治療の比重が増しており、これら3つの治療を組み合わせて多方面から治癒を目指すようになっています。これらのどの治療法も、医工学技術の進歩が重要な貢献をなしています。たとえば、前立腺のがんの治療において保険医療に収載されるようになった、いわゆるダ・ビンチ手術は、人の手を上回る自由度をもつマニピュレーターによって、通常の手術法では全く手探りであった前立腺がんの摘出手術を安全に実施できるようになったものです。この技術は、もともと、アメリカのスタンフォード大学(その医工学の研究組織も、Whittaker 財団の寄付を主要な財源としていました)に由来するベンチャービジネスが開発したもので、世界を席巻しています。放射線治療で最新の技術となっている強度変調放射線治療(IMRT) は、いわば コンピュータ断層撮影法(CT) の逆演算を行うコンピュータ利用技術の応用ですし、薬物治療についても、投与法などで医工学技術が大いに役立っています。最近の薬物治療の話題では、抗 PD-1 抗体(オブジーボ)による高額の医療費が問題になっていますが、ダ・ビンチ手術でも、その費用は相当高額であり、技術開発が国民医療を圧迫するという側面も無視できません。オブジーボは国産ですが、これからますます多様化する技術の大部分が輸入品であることは、国民経済の観点からは重大なことであると言わざるを得ません。経済産業省のように、国産品愛護だけを叫ぶのも如何かとは思いますが、自前の技術を育てなければ、これから、ますます問題となる超高齢化社会の到来に不安が残ることは事実です。

8.おわりに

以上、ご説明したように医工学技術者の育成というのは、がん患者さんの生活・治療に直接関係する話題ではありませんでしたが、我が国医療をさらに改善し、国民の福祉を向上させるために医工学技術者の養成は必須の課題です。このための体制がなかなか実現しない理由はいろいろありますが、我が国の大学における医工学の教育・研究体制、医学教育の問題点などを克服していくのが、迂遠に見えるかも知れませんが、結局唯一の道であると私たちは考えています。

私たちの REDEEMプログラムは、直ちに医療機器産業の振興などの問題を解決するのに役立つというわけではありませんが、より根本的、長期的にその問題を解決する人材を育成することで、幾分かでも貢献出来れば良いと思って愚直に教育を続けています。是非、ご支援をお願い申し上げます。

略歴
山口 隆美(やまぐち たかみ)

1973年 東北大学医学部卒業後、竹田綜合病院、東京女子医科大学附属第2病院循環器外科、東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所理論外科を経て1984年 国立循環器病センター研究所脈管生理部脈管病態生理研究室長
1991年 東海大学開発工学部医用生体工学科教授、名古屋工業大学大学院工学研究科生産システム工学専攻教授の後、2001年 東北大学大学院工学研究科機械電子工学専攻教授、2003年 同 バイオロボティクス専攻 計算生体力学分野教授、現在に至る。
この間1981-1983年 英国 London 大学 Imperial Collegeに留学

研究課題:ナノ(10億分の1メートル)スケールの細胞および生体高分子の科学-ナノバイオメカニクスの創成、計算バイオメカニクスによる血液流れの解析
研究分野:計算生体力学、生体医工学

工学博士、医学博士
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