市民のためのがん治療の会
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国民皆保険制度を守るには

『子供の貧困放置して薬に大金はたく不合理
~オプジーボの光と影⑧』


『ロハス・メディカル』編集発行人 川口 恭
何度も言うが様々な苦難のうち、病気程辛く厳しいものはないと思う。その病気になった時、フリーアクセスと国民皆保険制度は、日本が誇る医療制度だ。ところが国民皆保険制度は色々な高額医療費によって破綻に瀕している。中でも低所得者層を多く抱える国民健康保険は、その運営が大変だ。編集子は地元の国民健康保険運営協議会の委員であり、小さな町でも、毎年一般会計から10億円程度の繰り入れをしてようやくやりくりしている実態を目の当たりにしており、心ならずも毎年のように国民健康保険税を増税せざるを得ない。
特に最近のオプジーボの登場でこの状態は一挙に悪化の度合いを急速に高めている。特に問題なのは低額所得者であるが、一方で高額所得者に対しては税額にシーリングが掛かっており、約40万円程度で頭打ちになっている、どんなに高額所得者でも、40万円程度で済んでしまう。国民健康保険法、地方自治法、地方税法等により、このような事態の改善は容易でない。応能主義で納税してもらいたいものだ。
(會田 昭一郎)

画期的な新薬の多くを世界でもいち早く、しかも安価に患者が使える国民皆保険制度は、患者や医療関係者にとっては実にありがたい仕組みです。しかし、さすがに話が旨過ぎたかもしれません。このままの形で続けることで、何か大事なものが壊れてしまわないか、再確認が必要です。


前回日本の薬価は欧州各国に比べて高めであることをお知らせしました。日本は、世界でも珍しく、薬事承認された薬のほぼ全部を健康保険が償還します。つまり適応疾患でないものに使ったというようなことでもない限り、健保組合など保険者は、薬代の支払いを拒否できません。

規模の小さな健保組合と、そこに保険料を労使折半で拠出している企業にとって、1人あたり年間何千万円という請求が何件も来かねない高額薬剤費の問題は極めて深刻な経営リスクです。一部の企業では既に、高額な医療費を必要とする患者を雇用しないという形で実質的な医療費の支払い拒否を始めていること、前回お伝えしました。

がん患者の就労を支援しようという機運が社会に高まっている時であり、このような企業を道義的に批判することは容易です。

しかし、国民皆保険によって支えられている医療は、他の産業分野と異なり、受益者と費用負担者が原則として別です。「費用負担者である健康な人」が「困った時はお互い様」という考えを持てないほど困窮している、あるいはそう思えないほど制度設計が悪い、だから支払いを拒否される、という大きな問題に目をつぶって対処しないなら、国民皆保険制度の命運は尽きたも同然です。


もはや豊かではない

皆さんもよく ご承知のように、日本は、かつて世界有数の豊かな国でした。しかし残念ながら失われた20年を経て、1997年以降の名目GDPが総額でも1人あたりでも全く増えていないか、むしろ減っています。国全体でこそまだ世界3位ですが、1人あたりにすればOECDの20位(2015年)でしかありません。

と同時に「1億総中流」の幻想も崩壊して、社会の所得格差が拡大の一途です (グラフ①。)しかもこれ、お金持ちが増えたという方向の拡がり方ではなく、中流から下流へ落ちる人が増えたという拡がり方です。最終的には、社会保障などによる再分配を通じて、OECD平均並みの格差に抑え込んでいますが、再分配する財源の一部には赤字国債が充てられており、つまり将来世代に大きなツケを回しながら取り繕っている状況です。

しかも、その社会保障の給付対象が医療・介護を中心として高齢者に大きく偏っているため、子育て世代に限って言えば、ほとんど再分配が機能していません(グラフ②)。子どもの6人に1人が貧困で、その割合はOECDのワースト10位(上から25位)だったという、今年はじめに報じられたニュ ースをご記憶の方もいらっしゃることでしょう。

そんな国の公的医療保険が、欧州各国よりはるかに高い値段で薬を買っているというのは、根本的に何か間違っていないでしょうか。百歩譲ってこれまでに済んでしまったことは仕方ないとするにしても、今後も、出てくる高額な薬すべてを、世界の先陣を切って買い続けるつもりでしょうか。一体どこのお大尽かと思ってしまいます。そんなこと、将来世代に許してもらえるでしょうか。

ジニ係数の推移
世帯主年齢が30代以下でのジニ係数推移

現実問題として、企業を通じて健康保険に入れない人(非正規雇用者が含まれます)をカバーする国民健康保険は、保険料の半額以上を払ってくれる雇用主が存在せず、国による補助割合も1984年までの45%から近年は32%まで減らされ、被保険者の払う保険料率がどんどん高くなっています。保険料滞納のある世帯割合は16.7%(2015年速報値)に上ります。この割合は、2008年の20.6%をピークに年々改善してはいるのですが、被保険者たちの経済状態が改善して滞納が減ったというよりも、保険者である市町村が差し押さえをするなど厳しく取り立てるようになり、健康保険制度が貧困層をより貧困に追いやる装置として働き出したのと裏表であるという報道も近年は多く見られるようになりました。健康で低リスクの若い人にとって、何のありがたみも感じられない制度となっているのです。しかも国庫補助率は今後5年間に最低で13%まで下げられる計画です。

今はまだ密やかな「払えないし払いたくない」という若い人の声が大っぴらに流布され取り返しがつかないことになる前に、費用対効果の悪い医療行為への保険からの支払いを減らしつつ、英国がやっているように新薬についても払える値段まで値切ってみる、値切れなかったら身の丈に合った所までの導入で我慢してみる、というのは決して無茶な話と思いません。

ちなみ、に英国の1人あたりは日本の約1.4 倍で、OECD11位です。子どもの貧困率も12位です。

若年貧困層を貧しくさせる健康保険制度の負の側面

経済効果が高くない

金の話ばかりしやがって、それを職にしている人間だっているんだぞ、と頭から湯気の出そうな方もいることでしょう。

もちろん医療費といえども、負担する人がいれば受け取る人もいてGDPにカウントされる精算活動なわけで、その膨張が波及循環して周辺に産業を育て、そこで行われる経済活動によって自ら必要な経費を賄えるなら、そもそもこんな物悲しい話をする必要はありません。

残念ながら、どの産業分野の需要にどの程度の生産波及効果があるかを示す「産業連関表」(最新は平成23年版)によれば、医療に限らず社会保障分野は生産波及効果か他分野より大幅に低いことになっています(※)。

実は、本稿の主テーマである医薬品の場合、その生産波及効果は国内産業平均を少し上回ります。ただ年約2兆5千億円(財務省・平成27年貿易統計)という大幅な輸入超過で、年間の最終的な医薬品代が約10兆円と言われているうち、それだけの金額が国内の産業を潤すことなく海外流出してしまっているため、やはり膨張を手放しで容認するわけにはいかないのです。


医療が必要以上にお金を吸い上げてしまうことで、お金を必要としている他分野(そのような分野が全国にあるのかという問題も一方でありますが)で起きていたはずの経済成長を損なっている可能性があります。また、同じ社会保障でも、子育て世代に関しては再分配が充分でなく、国民健康保険が貧困層をより貧困にする仕組みとして機能しているかもしれないこと、先ほども説明した通りです。


医薬品開発バブル

どんどん気が重くなってきたことでしょう。気分を変えて、今の流れの先に素晴らしい未来が待っている可能性はあるのか、考えてみましょう。

前回も述べたように、既に国民の許容限度を超えてしまっているかもしれない医薬品への高額な支払いを、将来の患者たる現在健康な若い人たちに当面認めてもらうには、その費用を払うことで将来もっと良い薬に手が届くようになるのだ、という理論武装が必要です。その理論武装ができれば、素晴らしい未来を期待できなくもありません。

理論武装するには、なぜ最近の薬は高くなるのかという原因の考察が不可欠です。これは日本国内だけ考えても仕方のない話で、医薬品の主たる輸入先である欧米で何が起きているかも見る必要があります。

で、新薬の値段が高くなり続けていることについて、開発に成功する確率が低くなったとか何だとか、もっともらしい説明が色々されています。それも一面では事実なのでしょう。しかし私から見れば、一番大事な事実が、恐らく意識的に端折られています。

それは、医薬品開発はリターンの良い投資だと多くの投資家に考えられており、大量の資金が製薬企業に流れ込んでいるということです(株価が上がる、ってそういうことです。)

その開発には当然ながら成功の何倍も失敗があるわけで、資金の総額に対して期待された通りの利子を付ける(株価の上昇と言い換えても結構です)ためには、成功した薬を高く売らねばならない、という極めてシンプルな理屈になります。

高い薬価を許容するのは自分たちの首を絞めるだけ

つまり、成功確率が低いから高くなるのではなく、成功確率が低くても割に合うよう高く売っているし売れる、そういう特殊な市場なのだと説明する方が適切です。

投資効果を高めるには、値段を高くするだけでなく成功確率を上げるという方向もあり、その模索ももちろん業界で行われているはずですが、オプジーボと競合品の開発競争が「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」のトンデモない状況になっているというのは、本連載の3回目(電子書籍をwebで読めます)で説明しました。

ちょっと考えれば分かるように、モノの実質的(相対的)な値段が、需要側の懐事情に関係なく上がり続けることなどあり得ません。もし上がり続けると業界内の人間が考えているとしたなら、それは要するにバブル酔いの幻覚です。

業界メディアであるミクスオンラインの報道によると、塩野義製薬の手代木功社長は、10月31日の記者会見で「イノべーションだから高い薬価で当然だろうということに対して、社会が“ノー”と言い始めている」と述べたそうで、慧眼だと思います。

ただ困ったことに、薬の値段が高くても売れると信じる投資家が一定以上存在する限り、高く薬を売るのを躊躇するなど株価が下がるようなスキを見せた会社は買収されてしまうのも現実で、製薬業界の人たちが自発的に軌道修正するのは相当難しそうです。

このように考えてくると、健康な人たちが薬に高い値段を払うのは、将来の自分のためどころか、むしろバブルを長期化させて自分の首を絞めるだけで何も良いことがないとは思わないでしょうか?

日本の不動産バブルが日銀の総量規制で一気に終罵を迎えたように、多くの先進国で薬には費用対効果に見合う金額しか払わないという意思決定かされたなら、このバブルは一気に終わります。少なくとも日本は、降り時ではないでしょうか。

そんなことをしたら画期的な新薬が生まれなくなるじゃないかという懸念に関しては、その心配をする前に、もっとマズい流れが現在進行中で、そっちの手当てが先だということ次回説明します。

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