市民のためのがん治療の会
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『一億総がん罹患社会への道』


北海道医薬専門学校校長、北海道がんセンター名誉院長
西尾 正道
6年前の原発事故による健康被害のリスクに対する問題意識も薄れてきている昨今である。 また農薬や化学物質や遺伝子組換え食品の危険性も安全性に関しては科学的に検証することもなく、日本は世界一使用され普及している。 こうした因子が相乗的に作用して発がんだけではなく色々な健康被害をもたらすことが危惧される。 2017年1月に地域医療研究会より依頼された原稿が5月に掲載(2017年5月23日 会報第91号)されたが、その原稿に図を加え掲載する。

日本のがん罹患者数の増加は顕著なものがある。 その要因の一つは高齢者が増加しているからだと言われるが、そんな単純な理由だけでは説明できない。 世界的にもがん罹患者は戦後まもなく1950年代から増加の一途をたどっているが、確実に関係している要因一つは人工放射線の環境への放出である。 戦後の大気中核実験で大量の放射性物質が大気と海洋を汚染した。まともに測定していないだけで、人体への放射性物質の取込みは明らかである。

また農薬や殺虫剤を代表とする多くの化学物質が生活の中で多用される社会となり、 放射線との多重複合汚染の時代となっていることががん罹患者の増加に関係していると考えられる。 私が医師となった40年以上前はがんが死因のトップとなっていたのは、60歳代からの高齢者であったが、 最近は40歳代以降の死因のトップががんとなっており、がん罹患者と死亡者は約20年若年化している。 これには戦後日本の高度経済成長社会の中での生活環境が関係している。

1980~90年代に野村大成(大阪大学名誉教授, 放射線基礎医学)のすぐれた研究報告がある。 彼のマウスを使った研究では、親が放射線に曝露されると、突然変異のみならず、がんや先天障害までもが子孫に誘発され、その生殖細胞の変異は次世代に遺伝することが報告された。 また低線量の放射線と低用量の毒性化学物質に汚染すると、一方だけではがんが発生しなくても、両者に汚染されると相乗効果でがんが発生しやすくなることも報告されている。 現代社会はまさにこのような多重複合汚染の社会となっているのである。

こうした時代において、科学や医学は市民の健康を守る立場から研究され活用されるべきであるが、 現実は経済的利益を優先した政治的な判断で科学や技術が使われている。 その典型的なものは1938年に核分裂反応が発見されてからの核兵器開発であり、原子力発電を普及する原子力政策の推進である。

放射線は医療現場などでは表(光)の世界を切り開き、診断や治療に大きく寄与している。 一方、放射線の裏(影)の世界は健康被害の問題であるが、この領域に関しては深刻さや被害に関して隠蔽や過小評価する手法で内容を構築している。 一見科学的に見せかける工夫を凝らしながら、疑似科学的体裁で放射線防護学と称する物語で国民をだまして原発稼働を行っているのである。

産業革命以来、人間の労働(力)は富の源泉となってきたが、最近では科学・技術が最も富を生み出す手段となっている。 このため富を生み出す科学・技術を持っている人達は、その科学・技術の持つ負の側面に関しては隠蔽して富を得ようとする。 こうした科学・技術で富を得ている企業の意向を重視した政治的判断は、市民の命や健康を重視した視点を欠落することとなる。 福島原発事故以降の日本政府・行政の対応はまさにそれである。

また最も使われているネオニコチノイド系の農薬は小児の自閉症に関与し、 さらにADHD(注意欠如多動性障害)などの脳の発達障害の原因だと報告されているが、農薬の残留基準値は世界一緩い。

また遺伝子組み換え技術により生産される食物による健康被害の問題なども予防原則の視点はない。 こうした技術の負の側面も十分に検討されることなく、企業利益が率先されている。 放射線と農薬や化学物質の複合汚染の環境悪化が進行していることから、生涯がん罹患が二人に一人となっている日本では将来的には三人に二人ががんとなる時代となることが予測される。 『一億総活躍社会』ではなく、『一億総がん罹患社会』となることが危惧される。

そこで、更なる増加が予測される発がんの原因の一つに放射線が関与しているが、 医療被曝もさることながら、福島原発事故を経験した日本の現状を考え、放射性微粒子の体内取込みによる健康被害について的を絞って論じる。

核分裂反応を利用して利益を得る人達は、国際的な「原子力マフィア」を形成している。 世界的に流布され、各国内の諸法律の制定の根拠となっているのはICRP(国際放射線防護委員会)の報告書である。

しかしICRPは単なる民間のNPO団体であり、国際的原子力推進勢力から膨大な資金援助を受け、 原子力政策を推進するために都合の良い論文だけを採用して報告書を出す活動を行っている組織である。 研究や調査を行うことはないため、多くの医学論文で低線量被曝による健康被害が報告されても反論せず、すべて無視する姿勢をとっている。

放射線をある程度正確に測定できるようになった1928年に放射線の医学利用領域の放射線業務従事者の健康問題について医師が中心となり「国際X線およびラジウム防護委員会」が設立された。 しかし、1946年に原爆製造に携わった多くの核物理学者が上記の委員会に参入し、NCRP(米国放射線防護審議会)が設立された。 このため、放射線の医学利用の問題は軽視され、核兵器開発の視点から見た健康問題に議論はシフトした。 このNCRPが、ほぼ同じ陣容で1950年にICRPに衣替えした。このため医学利用における健康管理よりも、原子力政策を推進する立場の組織に変容した。 ICRPと改称し設立した2年後の1952年には、深刻な健康被害の要因となる内部被ばくに関する第二委員会の審議を打ち切った。 そこから内部被ばくに関しては隠蔽と研究中止の世界が始まったのである。

ICRP設立当初の内部被ばくに関する委員会の委員長だったK・Z・モーガンは、 『ICRPは、原子力産業界の支配から自由ではない。原発事業を保持することを重要な目的とし、本来の崇高な立場を失いつつある』と述べている(「原子力開発の光と影―核開発者の証言」昭和堂,153頁,2003年.)。 ICRPは人間の命と健康より産業界と軍の経費節減要求を優先させたのである。 核兵器製造や原発作業員の安全を考慮すると原子炉の運転はできなくなるため、α線とβ線による内部被ばくを排除したのである。 また、広島・長崎への原爆投下後も残留放射線は無いとし、内部被ばくを隠蔽し、放射線防護学を構築したのである。

日本政府は不定期に刊行されてきたICRP報告やIAEA(国際原子力機関)勧告をもとに種々の対応を行っている。 代表的な対応の一つが福島県民の年間線量限度を20mSvとしていることである。そして最近では帰還政策に邁進している。 日本でもICRPに関与したり、その報告に詳しい学者が有識者と称して政府の委員会のメンバーとなり政策に関わっている。 また、医療関係者の教科書もICRP報告の内容で記載されているため、今回の事故でも多くの医師たちには問題意識が生じないのである。

ICRPの疑似科学的核物理物語においては、まず放射性物質を「気体」の時の測定から始まり、それを基にして計算やデータを分析し、理論を構築している。 このため放射性物質が微粒子としても存在することを軽視している。しかし、原発事故による放射性物質の放出は微粒子としての形態でも存在している。 核産業の発展過程で放射線の健康被害に関して深刻なものは隠蔽され、影響を過少評価するために色々な問題が軽視・無視されているが、 その代表的なものが放射性微粒子の体内取込みによる内部被ばくの問題である。

また人体影響は空間的線量分布を無視して、 限局した局所の範囲にしか被ばくしない内部被ばくの線量を組織荷重係数という全く実証性のない仮想の係数を使ってシーベルト(Sv)という全身化換算した単位で論じている。 ここでは性別や年齢などの補正もない。 こうした根拠のない非実証的な組織荷重係数を組み合わせたSvという単位では人体影響を正確に評価できず、Svの隠された意図は放射線の種類、被ばく部位、被ばく様式の違い、 被ばく者の違いなどを一緒にして健康被害と線量との相関を分析できないようにすることにあると勘繰られるほどインチキなものなのである。

放射線の影響は原則として被ばくした部位や臓器にのみ現れるのであり、被ばくしていない部位の影響まで加えて全身化換算する手法自体が間違っているのである。 被ばく形態の違いを例えると、「外部被ばくは、まきストーブにあたって暖をとること、内部被ばくはその燃え盛る”まき”を小さく粉砕して口から飲み込むこと」と表現できるが、どちらが危険かは誰でも理解できる。 そのため、放射線の裏(影)の世界の研究では内部被ばくに関しては「研究はしない・させない・隠蔽する」姿勢が続き、健康被害の検討においても外部被ばく線量だけで議論しているのが実情である。

また、ICRPは「線量が同じであれば、外部被ばくも内部被ばくも同等の影響と考える」と都合のよい取り決めをしているが、ここでは被ばくしている細胞や組織の線量分布が全く考慮されていない。

粒子線であるα線・β線では飛程が短く、周囲の細胞にしか影響しない。 空間的線量分布を考慮せずに、限局した範囲の細胞の線量を、臓器(等価線量)や全身の細胞数で全身化換算(実効線量)することはできないのである。 この内部被ばくの線量の過小評価の誤魔化しを例えると、 「目薬は2、3滴でも眼に注すから効果も副作用もあるが、この2、3滴の量を口から飲ませて、投与量は非常に少ないので心配ない」と言っているようなものである。

福島原発事故後はセシウムホットパーティクルともいえる放射性微粒子の存在が確認されており、健康被害の本態に迫る知見が報告されている。 事故で放出した種々の放射線は、中性子線以外は荷電されており、大気中では何らかの物質と電子対となり、安定な微粒子となる。 結合した物質によって塩化物、酸化物、水酸化物となり、土・砂・塵などに付着している。

筑波市の気象研究所で事故直後の大気中の浮遊塵を捕集した研究から、 2013年8月に足立光司氏はセシウムを含む不溶性の球状微粒子の存在について報告(Scientific Reports Volume: 3. 2554 : 2013.8.30.)している。 2011年3月15日の採取試料には、0.5μm以上の微粒子が大気1m3あたり平均4100万個含有されており、 1回目のプルームに含まれる放射性物質の大部分が球形で、メルトダウンによって核分裂生成物と炉材の一部が蒸発・気化し、早い段階から凝縮した形態となっており、 セシウムを含む微小粒子は直径2.6μmで、137Cs+134Caが6.58Bqであった。まさにセシウムホットパーティクルとでも言えるものである。 なお、この“Cs Particle”を水に漬けた後で回収し、表面形状を観察したが、変化はなく、不溶性(難溶性)と判断された。

この微粒子の問題は2014年12月21日(日曜日)23時30分からのNHK EテレサイエンスZEROで『謎の放射性粒子を追え!』と題して取り上げられた。 科学的に考えれば、少しも“謎”ではないが、放射性微粒子の存在を想定せず、気体中の放射線量を測定することから出発しているICRPの理論では“謎”だっただけである。 図1は2013年7月に南相馬市の学校の前に設置したダストサンプラーのフィルターをイメージングプレートに重ねて画像化したものであるが、 事故後2年以上経過しても空気中に放射性微粒子が浮遊しているのである。

図1 セシウムホットパーテイクル
図1 セシウムホットパーテイクル

さて、こうした超微粒子が呼吸や食事で体内に取り込まれた場合はどうなるのであろうか。この問題は、図2に示すように微粒子のサイズによって体内動態は全く異なる。

図2 微粒子サイズと体内動態
図2 微粒子サイズと体内動態

人体の細胞の直径は6μm~25μm であるが、ナノメートル(nm)のサイズの微粒子では、体内動態は大きく異なる。 呼吸で取り込んでもCsホットパーティクルの微粒子が排出され、鼻粘膜に密着していれば鼻血の原因ともなる。 福島原発事故後の鼻血の原因は、気管粘膜の絨毛運動で排出された放射線微粒子が鼻腔内の静脈が密集しているキーゼルバッハ部位の粘膜に付着して高線量の被曝を受けたためである。 大気汚染のPM2.5が問題となるのは、この程度のサイズから肺胞にまで達するためである。 100nm以下では細胞膜や血管壁を通る。血管内に入れば全身を循環し、胎盤の血液循環を通して胎児も被ばくすることとなる。 核種によっては臓器親和性があり、その臓器に集積されるため電離密度も高くなり影響は強くなる。

500mSv以上でなければ骨髄障害が起こらず、出血傾向が出ないので、鼻血は出ないと主張するICRP信奉者には考えられないことなのである。 放射線障害で出血傾向が出れば、脳出血や消化管出血などの致命的な事態も想定しなければならず、鼻血どころではないのである。

放射線の影響を考える場合の基本は影響が出ている部位の被曝線量を考えればよいだけのことである。 1ccにも満たない空間の電離量を測定する指頭型線量計では放射性微粒子の極近傍の線量の測定は技術的に不可能であり、 モンテカルロ法などで架空の計算をするしかないが、隣接している部位はとんでもない高線量の被曝となっているのである。

ストロンチウム(Sr)であれば2価アルカリ土類金属のCaと同族体であるため骨に蓄積する。 骨組織への取り込みは造骨活性に依存するので、成長期の子どもの骨に取り込まれ蓄積し、β線を放出し続けるのである。 こうした臓器へ侵入する経路や滞在時間や集積・蓄積により影響は異なるのである。

食品から摂取するカリウム(40K)は、体内ではKイオンとして存在しているが、原発事故で放出されたセシウムの微粒子サイズは大きい。 このため、心筋などでは細胞膜のKチャンネルを障害し、細胞内外のKのバランスを崩し、心伝導系の異常をきたし、最悪の場合は若者でも突然死につながる。 他にもICRPの理論では最近の放射線生物学の知見を充分に採用していない。 ①エネルギーの問題(数eV~KeV~MeV)、②LET(Linear Energy Transfer, 線エネルギー付与)の問題、③細胞周期と放射線感受性の問題(G2・M期の細胞が影響大)、なども検討すべきである。 こうした基本的な問題を抱えて、生体影響を正確に反映するものではない実効線量だけで議論され対策が立てられている。

遺伝子解析もできる時代となっているが、内部被ばくを過小評価し、 研究は「しない・させない・隠蔽する」という姿勢で、「放射線皆で当たれば怖くない」という棄民政策を行っているのが現状なのである。 また8,000ベクレル/kg以下の除染土を全国の公共事業に使用するような不見識な政策で「一億総被ばく国家プロジェクト」が進んでおり、日本人の健康問題が憂慮される。

最後に、世界的に原発周辺地域の住民の健康被害が報告されているが、 この原因は原発稼働により大量に放出されるトリチウム(3H)が関与していると考えられるが、紙面の都合で詳細は割愛する。

要するに原子力発電は稼働させるべきではないのである。 原発の問題は、単に人体影響ばかりでなく、『戦争では国破れて山河あり』だが、『原発事故では山河なし』なのである。 「コスト・べネフィット」を根拠にした原発稼働の理由も、使用済み燃料棒の処理や廃炉費まで含めると破綻している。 科学的にも医学的にも放射線の健康被害に関しては経済的利害を超えて真実を解明するという独立性を持って進められるべきであろう。 真実のデータを基に社会全体としてどのように使うかは次の問題である。

全国にばら撒かれた原子力発電所にミサイル一発撃ち込まれれば簡単に負ける国なのに、戦争ができる国にしようとする見識の無さと相通じるものである。 国民はICRPの催眠術から覚醒し、『放射線不感症』の治療をすべきである。


西尾 正道(にしお まさみち)

北海道医薬専門学校校長、独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長 (放射線治療科)、 「市民のためのがん治療の会」顧問、認定NPO法人いわき放射能市民測定室「たらちね」顧問。「関東子ども健康調査支援基金」顧問
1947年函館市生まれ。1974年札幌医科大学卒業。 国立札幌病院・北海道地方がんセンター放射線科に勤務し39年間、がんの放射線治療に従事。 がんの放射線治療を通じて日本のがん医療の問題点を指摘し、改善するための医療を推進。
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