市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会

『遠隔操作式高線量率組織内照射法』


大阪大学歯学部放射線科
科長・教授 村上 秀明

私は大阪大学で舌がんの放射線治療に携わっている者のひとりです。 大阪大学には舌がんに対する放射線治療の長い歴史があり、舌がんに罹患した多くの患者さんの治療を行ってきました。 放射線治療の開始当時は、コバルトによる外部照射法(顔の外から舌がんへ向けて放射線を当てる方法)を行っていましたが、副作用が大きいことが欠点だったそうです。 その後、組織内照射法(がんの中央に放射線源を設置し、中から放射線を当てる方法)を舌がんに応用し始めました。 放射線源として、初めはラジウムを、その後はイリジウムを用いました。 この組織内照射法では、舌がんの中央に設置したガイドの中に放射線源を挿入し、ガイドを抜いて挿入した放射線源を固定します。 このとき、私たち術者側も放射線に被曝しますので、放射線源からは弱い(正確には、線量率が低い)放射線しか出せず、 このため患者さんは目標の線量に達するまで、数日間にわたって放射線を遮へいする病室に隔離されて放射線照射を受けます。 私が入局して数年間はこのイリジウム線源による低線量率組織内照射法を行っていました。 その後、ロボットを用いた遠隔操作式高線量率組織内照射法がオランダで開発され、すぐに大阪大学に導入されました。 舌がんに対する数年にわたる臨床試験の結果、これまでの低線量率組織内照射法の治療成績と勝るとも劣らないことが判明し、 低線量率組織内照射法を中止し、現在では遠隔操作式高線量率組織内照射法を用いた舌がんの放射線治療を行っています。


ところで、「舌がん」とは珍しい病気なのでしょうか。

2018年11月に厚生労働省が発表した「平成29年(2017)人口動態統計(確定数)の概況」では、平成29年度の死亡者の総数は1,340,397人で、 死亡原因は依然として悪性新生物(いわゆるがん)がトップで373,334人でした。 このうち、口腔・咽頭のがんは7,454人(男性が5,328人、女性が2,126人)でここ5年ほどほとんど変わらっていません。 部位別では、いわゆる肺がんがトップで74,120人、続いて胃癌45,226人ですが、口腔・咽頭のがんは、喉頭がん(879人)、子宮がん(6,611人)、皮膚がん(1,583人)などより多いのです。

また国立がん研究センターの発表では、2018年度の全がん罹患数は1,013,600人、口腔・咽頭がんの罹患数は23,000人、口腔・咽頭がんによる死亡数は7,900人と予想されています。

舌がんは、口腔・咽頭がんの約3割以上とされていて、少なく見積もっても舌がんと診断されるのが毎年7,000人いらっしゃり、2,000人が命を落とすことになります。

みなさんは「舌がん」を珍しいと思われれますか?


さて、遠隔操作式高線量率組織内照射法に話を戻します。 図1のイラストと実際に私が手技を行っている写真1をご覧下さい。 この方法では、まずあごの下あたりから、舌がんを貫通するようにステンレスでできた硬いガイドを刺入します。 もちろん麻酔しますので痛みはほとんどありません。 このガイドを、中空の軟性のチューブで置き換えて、このチューブを固定します。 そして、あごの下に出ているチューブの先端を、高線量率の放射線源が格納されたロボットと繋ぎ、遠隔操作で放射線源がチューブを通って舌がんに向かって移動することによって放射線治療を行います(写真2)。 向かって右の装置がロボットです。放射線源からは治療効果の高い高線量率の放射線が出ますので、1回の治療は数分間で完了します。 目標とする放射線の線量に達するまで、1日に2回、4−5日にわたって放射線照射を行います(9−10回)。 この4−5日間は、チューブが口の中を通ったままですので、あまり自由がききません。 ただし、放射線は出ていませんので一般病棟に入院できますし、患者さんによっては、歩いてコンビニにでかける方もいらっしゃいます。



図1


写真1


写真2

ところで、放射線治療のキーポイントは、いかにがんに対して多くの放射線を当てるか、そして同時に、いかに周囲の正常組織に放射線を当てないか、ということになります。 組織内照射法は、外部照射法と比べるとこの「線量集中性」が高く、これが舌がん治療に応用されている所以です。 さらに、いかに正確に舌がんに放射線を当てるか、ということも重要です。 このため、まずMRIなどで舌がんの拡がりを正確に把握する必要があります。 次に、設置したチューブと舌がんの位置関係から、チューブのどこからどこまでにどれくらいの放射線を当てるかを計画します。 このため、チューブ設置後にCT撮影を行い、ミリメートル単位で照射計画を立てています(写真3)。 この照射計画には、専門の医学物理士が手腕を発揮します。



写真3

この正確な放射線治療のおかげで、舌がんの治療成績は向上しています。 治療成績は、舌がんの大きさにもよりますが、4cmまでの大きさなら84%から88%まで治ります。 「治る」というのは、正確には5年局所制御率と言われるもので、5年間にわたって治療した部位から再発をしない確率を意味します。 ただし逆に申しますと、12%から16%の方は、せっかく治療を受けられたのに、5年間に再発してしまうことを意味しています。 「きっと治る」と信じて、私達の施設に来て下さったのに、結果として裏切ることとなり、大変申し訳ない気持ちになります。 そして、現状では、再発する原因そのものがわかっておらず、従ってその対処方法がありません。

さらに舌がんでは、初診時にリンパ節への転移を認めなくても、約3割の患者さんで、しばらく経ってからリンパ節への転移が判明することがあります。 このような場合には、頸部郭清術という手術方法で、転移したリンパ節とその周囲組織を外科的に切除することをお勧めしています。 そして、このリンパ節転移のメカニズムも明らかにされていません。 なお、舌がんにおいて、肺などへの遠隔転移は稀にしか起こりません。


最後に舌がんに対する組織内照射による副作用とその対処方法についてお話しします。 まず、舌がんに限らず、放射線治療の副作用の基本的概念として、「副作用は放射線が当たった部位にしか生じず、放射線が当たらなかった部位には一切生じない」ことをご認識下さい。 患者さんどうし、もしくは医者どうしで、副作用の話を重ねて行った結果、副作用が「誇大広告」されていることが残念でたまらないことがあります。 舌がんに対する組織内照射による放射線治療で、髪の毛一本も抜けません。 ふらふらしたり、吐き気を催したり、皮膚が赤くなることもありません。

つい一月ほど前に初診をした舌がんの患者さんの話ですが、一通りの説明をした結果、放射線治療を受けられることを決めて帰宅されました。 ところが2日後にその患者さんから電話があり「主治医から、放射線治療を受けると、髪の毛は抜け落ち、味がわからなくなり、唾も出なくなる、と聞いたので、やっぱり手術を受けることにします」と連絡がありました。 主治医の放射線リテラシーの低さからこのようなことになったのだと思います。 味覚は照射中と照射直後は変化しますが、照射後はほとんどの患者さんで元に戻ります。 また唾液の分泌にはほとんど影響をしません。主治医が外部照射法の副作用と間違えてしまったものと思われます。

さて、舌がんに対する組織内照射による放射線治療では、舌がんに近接する組織には放射線が当たり、その結果、副作用が生じることは事実です。 特に、舌がんは舌の横の縁にできることが多く、その場合は、下あごの歯肉(はぐき)や下あご自体に近接するので、歯肉がただれたり、下あごに障害が発生することがあります。 ひどい時には、下あごが壊死してしまうこともあります。 ただし、放射線は衝立をおいたり距離をとったりすることで弱くなりますので、スペーサと呼ばれる装置を舌がんと歯肉の間に置いて、放射線を減弱させています。 そのスペーサは厚ければ厚いほど、そして、鉛のように原子番号が大きければ大きいほど、放射線を弱めてくれます。

私たちの行っている遠隔操作式高線量率組織内照射法では、正確な照射計画を立てるためにCT撮影を行うことを先述しました。 もし、スペーサを鉛で作ってしまうと、X線を用いるCT撮影ができません。 薄いプラスチックだけだと放射線を弱める効果も少なくなります。 長い間、この矛盾を解決する手段を見いだせずにいましたが、このたび私たちは新しい装置を開発し、これらの問題を解決することに成功しました。 と、申しましても、たいした大発見でもないのですが。。。

図2のイラストと新型スペーサの写真4をご覧下さい。 装置は、患者さんごとに歯形をとって石膏模型を作成し、プラスチックで作成します。 ただし、その装置には溝をつけておきます。 この溝をつけた装置をつけて、チューブ設置後に、CT撮影を行います。 CTで用いるX線はプラスチックを透過しますので、スペーサ設置に関して問題ありません。 このCT画像を用いて、詳細な三次元計画を立てます。同時に、装置の溝には溶かした鉛を流し入れて(もしくは鉛板を差し込んで)放射線を止める効果を大きくします。 これで、治療計画のためのCT撮影は可能ですし、遮へいの効果はとても大きくなります。しかし、、、大発見ではありませんよね、誰でも思いついたでしょう(笑)。 しかし、この装置を装着して放射線治療をしてみると、誰ひとりとして歯肉にただれは発生しませんでした。 応用してから年月が浅いので、晩発効果としての下あごの壊死などの評価はまだできませんが、歯肉にただれはもちろんのこと発赤すら認めていませんので、下あごへの放射線の照射線量は極めて少なくなったと考えております。

この新型装置の発明は、マスコミに注目していただき、各局でテレビ放映され、新聞の全紙にとりあげていただきました。 いま流行のグーグルかなにかで「村上秀明 舌がん」などと検索してみて下さい。



図2


写真4

最後になりましたが、市民のためのがん治療の会のご活動には本当に頭が下がると同時に、心から尊敬申し上げる次第です。 會田さまご自分の経験をもとに発足したこの素晴らしい会が、今後も益々発展し、がん患者の支えになって欲しいと思います。

さらには、舌がん放射線治療の世界の第一人者でおられる西尾正道先生が顧問をされているとのこと、何よりも心強い存在と思っております。

西尾先生の治療が一番ですが、西尾先生に治療を受けられないときは、どうぞ阪大へいらして下さい!


村上 秀明(むらかみ しゅうめい)

昭和63年大阪大学歯学部卒業後、同大学院歯学研究科 博士課程 修了
同大学歯学部附属病院 歯科放射線科 医員 助手 講師 助教授 准教授を経て平成29年大学院歯学研究科 歯科放射線学教室 教授、歯学部附属病院 放射線科 科長 併任
平成30年 大阪大学放射線科学基盤機構 教授 兼任国際医工情報センター 教授 兼任
この間平成 平成 9年 3月から平成12年8月まで 米国・UCLA 上席客員研究員、 同9年から21年1月までデンマーク王国・コペンハーゲン大学 客員教授、 平成21年よりデンマーク王国・コペンハーゲン大学 招聘教授
平成19年 4月 日本歯科放射線学会・優秀論文賞、平成19年 日本矯正歯科学会・学術大会優秀発表賞、 平成20年Asian Congress on Oral and Maxillofacial Radiology・Yoshida Award、 平成24年11月 日本歯科医学会DSPプログラム・金賞、 平成25年10月 大阪大学総長表彰、 平成28年 9月 日本歯科放射線学会・学術奨励賞等受賞多数
Copyright © Citizen Oriented Medicine. All rights reserved.