市民のためのがん治療の会
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『<書評> 私がお薦めしたい本『放射線インフォデミック』』


京都大学名誉教授 山田 耕作
2011年3月に起こった福島原発事故後に、山田耕作氏は無視・軽視されていた内部被曝に関する論文を所属していた日本物理学会の学会誌に投稿した。 しかし、学会誌の編集委員会を仕切っているICRP(国際放射線防護委員会)の信奉者たちは論文の掲載を拒否した。 まさに国策として推進している原子力政策を日本物理学会は科学的な議論ではなく政治的な判断で後押しする原子力ムラの一員である正体が明るみにされた。 この山田氏の寄稿文は「がん医療の今」No.306 20170110「日本物理学会が掲載を拒否した原発批判論文  『放射線内部被曝の危険性と科学者の責任』」として掲載しているので読んで頂きたいと思う。(http://www.com-info.org/medical.php?ima_20170110_yamada)。
こうしたエピソードから10年経過したが、事故後10年間のデタラメな対応と議論についてたまりかねて出版した自著『被曝インフォデミック』について書評を書いていただいた。 内容を理解して書評を書いて頂ける人はいないため、新聞などの書評欄には掲載できないと思っていたが、物理学を専門としてきた山田耕作氏が書いてくれた。 ここに掲載させて頂くとともに、山田耕作氏に心から感謝いたします。
(市民のためのがん治療の会 顧問  西尾 正道)
「被曝インフォデミックートリチウム、内部被曝―ICRPによるエセ科学の拡散」
西尾正道著 寿郎社2021年3月 1100円+税


本書は北海道がんセンター名誉院長西尾正道氏による、福島原発事故後10年を経ても放射線による健康被害が軽視・無視されていることを告発する書である。 題名の「インフォデミック」とはWHO(世界保健機関)による造語で「偽情報の拡散」を意味するとのことである。 表紙の真ん中のオレンジ色の光は福島第一原発3号炉の核爆発である。

1.ICRPによるエセ科学の拡散

本書の目的は冒頭で次のように述べられている。 「この10年間は科学的に考えれば、全くインチキな放射線の人体影響に関する知識が流布された期間であった。 そして私にとっては日本社会全体がICRP(国際放射線防護委員会)のゴマカシの催眠術にかかっていることに呆れ、失望する日々であった。 “放痴国家”の嘘と隠蔽に科学的な知識で対応していただきたいと思う」。

ICRPをはじめ日本の主流である放射線被曝の「専門家」の内部被曝の評価が科学的でないことは、本書を推薦する私も西尾氏の指摘の通りであると思う。 西尾氏は本書でICRPを中心とする被曝の理論体系が欺瞞的であることを具体的に指摘している。 そして内部被曝は「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」を考慮してはじめて正しく理解できることを示している。 それ故、放射線被曝に関わる人はすべて読むべき解説書であると思う。 「インチキ」という厳しい批判は言い過ぎと思う人もあるであろう。

私はICRPの被曝の科学が内部被曝をほとんど無視してきたこと、考慮しても「インチキ」と呼ばれても仕方のない方法で評価していると考える。 この点で本書の著者に完全に同意する。

原発事故などの放射線被曝の被害において重要なことは本書で述べられているように内部被曝である。 人体における内部被曝を、それとは作用の異なる外部被曝の線量と見なし、もっともらしく被曝による健康被害を評価しようとするのがICRP の「理論」体系である。

西尾氏が挙げる「インチキ」の例として次の記述がある。 ここで特に注目されるのは、西尾氏は自らの手で内部被曝を利用して、がん患者を治療してきた医者であるということである。 ラジウム226(Ra-226)やセシウム137(Cs-137)、ストロンチウム89(Sr-89)等を封入した線源を用いて、放射線による局所的な内部被曝を利用すればがんの部分のみを治療することができる。 本書の32 ページにはCs-137 を用いた舌がんの治療の例が紹介されている。 「この症例はCs-137 針線源から5mm 外側の範囲に60Gy/5 日間照射して治療している。 内部被曝の計算は被曝している部位や細胞集団の線量で評価すべきなのである。 全く被曝していない全身の細胞まで含めて全身化換算するICRPの内部被曝の計算では局所の人体影響は解明できないのである。 このようなICRPの計算方法では内部被曝の線量は本当に当たっている細胞集団の数万分の1~数十万分の1 の線量となる。 内部被曝の線量を全身換算して、なおかつインチキな実効線量シーベルト(Sv)に換算することが如何に無理なのかを知るべきである」。 ICRPの誤りが明確に示されていて、反論の余地はない。

このようにICRP は局所的な被曝である内部被曝を臓器全体や全身で平均した吸収線量(または照射線量)を基にシーベルトという単位で、 外部被曝と同様に被曝線量に対するがんの発症率という応答を求める。 これはまさにフェイクサイエンスである。 後述の食品の安全基準もこのICRPの内部被曝の評価が基礎であるから信頼できない。

2.長寿命放射性元素体内取り込み症候群

第2 に本書で記述される重要なことは「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」の危険性の強調である。 誠実な科学者の中にも、ICRPと同様に被曝による健康被害に関してがんと遺伝的影響にとどめる人が多い。 しかし、チェルノブイリ原発事故以後、ユーリー・バンダジェフスキー氏によって発見され、チェルノブイリ事故被害者の間で多く見いだされた「長寿命放射性元素取り込み症候群」の人的被害は重大である。 特にセシウム137 などが不溶性の放射性微粒子として体内に取り込まれ、長期にわたって放射線を放出し、局所的・集中的な被曝をあたえる。 日本においてはそれを常に強調して警告しきた数少ない科学者・医学者の一人が西尾氏である。 本書ではこの放射性微粒子の危険性も詳しく紹介されている。

この内部被曝の危険性を考える時、ペトカウ効果と呼ばれる放射線による被曝の間接的な効果が重要である。 カナダの核化学者ペトカウ博士が偶然発見したことであるが、食塩水中で細胞膜に放射線を当てると通常の5000 分の1 の線量で細胞膜が破壊された。 これは放射線によって活性酸素が発生し、その活性酸素が脂肪膜である細胞膜を連鎖的に破壊するからである。 これは放射線による間接的な効果による内部被曝固有の重要な機構である。 この機構を通じて多臓器不全などの健康破壊が起きる。 バンダジェフスキー博士はセシウムを体内に取り込み死亡した100 人以上の子供や大人を解剖し、各臓器のセシウム137 の濃度を測定した。 各臓器1kg あたり200~500 ベクレル(Bq/kg)で様々な臓器が損傷され、死亡していることがわかった。 現実にこのような症例が、ヤブロコフ氏達の「チェルノブイリ被害の全貌」で各国共通に報告されている。 西尾氏はこの「長寿命元素体内取り込み症候群」を、放射性微粒子としての体内取り込みの危険性を併せて本書で紹介し、警告している。 このようなことを考慮すると、天然の放射性カリウム40 と同様として内部被曝を評価する日本政府やICRPは著しい過小評価をしていることがわかる。 カリウムは細胞のカリウムチャンネルを通じて自由に体内を移動し、ほぼ一様に分布し、CsやSrのように局所的に蓄積し、局所的・集中的な被曝を与えることはない。

ICRPの実効線量係数では内部被曝の評価でセシウム137 の経口摂取ではセシウム137の1mSvは(1/0.000013)Bq =76,923Bq である。 日本の食品基準、1kg 当たり100 ベクレルの食品を毎日1kg摂取すると約1 年でICRPによると約12,000 ベクレルのCs-137 が体内に蓄積する。 体重60kg の人であれば1kg 当たり200 ベクレルが蓄積し、バンダジェフスキーが示した、多臓器不全での致死量に近くなる。 ペトカウ効果によって細胞膜が壊れるから、細胞の内容物が飛び出し、心臓や腎臓、肝臓などが損傷される。 子供の場合体重1kg 当たり20Bq程度で心電図に異常がでる。

以上の内部被曝の問題は黒い雨の裁判においても重視され、放射性微粒子によるペトカウ効果、バイスタンダー-効果、遺伝子不安定性が本書でも議論されている。 本書ではペトカウ効果を考慮し、核実験の広範な被害を議論したアーネスト・スターングラス博士の研究が紹介されている。 100 ページの資料53 にはSr-90 はベータ崩壊後にイットリウム90(Y-90)になり、再びベータ崩壊する。 そのY-90 が膵臓に親和性があり、蓄積し、膵臓がんを引き起こすことが示されている。

さらに101 ページでは放射性物質と化学物質の「複合汚染」の危険性が示されている。 資料55 に1970~1980 年代の野村大成氏の動物実験の結果を紹介している。 「低線量の放射線と低線量の毒性化学物質に汚染されると一方だけでは高率にはがんが発生しなくても、両方に汚染されることによる相乗効果で高率にがんが発生しやすくなることが証明されている」。 最近増加した発達障害などの原因として、黒田洋一郎氏達が警鐘を鳴らされているネオニコチノイドなどの農薬の危険性も重要である。 さらにそれら化学物質と放射線物質との複合汚染による相乗効果を考えるといっそう危険なのである。

3.トリチウムの危険性

第3 に本書で危険性が指摘されるのが福島原発事故汚染水に含まれるトリチウムである。 政府・東電が汚染水の放出を決定した中で極めて時宜にかなった重要な論考で、トリチウムの真の危険性が警告されている。 とりわけトリチウムに関する「安全神話」という文字通りのインフォデミック(偽情報の拡散)が曝露されている。

まず政府のトリチウムは自然界に存在し、無害であったという宣伝に反して、108 ページの資料57 を用いて、核実験や原発によって大気中のトリチウム濃度が2 桁増大したことが示される。 そしてトリチウムの人体影響として、染色体異常を起こすことや母乳を通じて子供に残留することが動物実験で報告されている。 有機結合型トリチウムとしての内部被曝の危険性が示される。

ICRPのベクレルをシーベルトに換算する線量係数は、 経口摂取でトリチウム水は1.8x10-5μSv/Bq,有機結合型トリチウムは4.2x10-5μSv/Bq、セシウム137 は1.3x10-2μSv/Bq である。 つまりICRPは、トリチウム水はセシウム137 に比べシーベルトにすると700 分の1 の被曝しか与えないとしている。 有機結合型のトリチウムでもCs-137 の300 分の1 である。 セシウム137 と同様に体内に取り込まれ長く蓄積し、同じベータ線を放出する有機結合型トリチウムを著しく過小評価しているのである。 有機結合型と言っても多様な有機物があり、体内の蓄積期間も長いものがある。 この根拠のない線量係数を用いて、日本政府は無害と主張しているのである。

さらにトリチウムがベータ崩壊によって、ヘリウムに変わると水素がヘリウムに変わり、結合が切断され、分子構造が変わる。 特に遺伝子は水素結合でつながれているが、それが切断され、遺伝子の分子構造が変わる危険性が指摘されている。

政府は希釈して海洋や大気に放出するとしているが、本書では希釈して放出しても生態系を通じて濃縮されることがイギリスの研究などで示されていることが本書で報告されている。 現実にこれまでの原発等からのトリチウムの放出によって白血病や小児がんが発症し、死者が出ていることが報告されている。 このように西尾氏は本書でも海洋に放出すべきでないと強く主張している。 西尾氏は汚染水の海洋放出とトリチウムの危険性をめぐる公聴会やテレビでの討論においてICRPの実効線量係数の欺瞞を告発し、政府側の学者を徹底的に論破している。 誰も反論できないのである。

なお、資料66(120 ページ)に飲用基準についての表があげられている。 そこでは、アメリカの連邦基準740Bq/Lしか掲載されていないが、 イアン・フェアリー『トリチウム・ ハザード・レポート』(2007)によると米国コロラド州は18Bq/L、カリフォルニア州では15Bq/L でもっと、低い値である。

トリチウムの飲用基準 西尾正道『被曝インフォデミック』寿郎社(2021)

最後に本書の目次を記しておく。

  • 第1 章 棄民政策を続ける原子力ムラの事故後の対応
  • 第2 章 放射線治療医として
  • 第3 章 閾値とICRPの数値の欺瞞性
  • 第4 章 原発事故による放射線被曝を考える
  • 第5 章隠蔽され続ける内部被曝の恐ろしさ
  • 第6 章長寿命放射性元素体内取り込み症候群について
  • 第7 章トリチウムの健康被害について

豊かな内容が要領よくコンパクトに紹介された優れた解説書である。是非ご一読ください。


山田 耕作(やまだ こうさく)

1942年兵庫県小野市に生まれる。 大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。 東京大学物性研究所、静岡大学工業短期大学部、京都大学基礎物理学研究所、京都大学大学院理学研究科に勤め、2006年定年退職。 京都大学名誉教授。 市民と科学者の内部被曝問題研究会会員。
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