市民のためのがん治療の会
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『何が起きている?抗がん剤“アブラキサン”が出荷停止の問題:消化器内科の目線から』


仙台厚生病院 消化器内科 齋藤宏章
アブラキサンは日本では乳がん、胃がん、膵臓がん、肺がんの治療で用いられ、就中、膵臓癌ではいわゆる”1次治療”で用いられる数少ない抗がん剤の一つで、 基幹医薬品(エッセンシャル・メディスン)だ。アブラキサンはアメリカの製薬メーカーの一つのABRAXIS BIOSCIENCEが製造、 日本では大鵬薬品がこれを輸入して販売しており、後発薬品(ジェネリック)などの代替薬品もない。 そのようにがん患者にとって必須の抗がん剤がメーカーの製造停止によって入手不能となっている。
COVID-19予防接種用ワクチンで私たちはさんざんこのような基幹医薬品についての重要性について苦い経験をしたが、同様の事態ががん患者に起こっており、 メディアもほとんど報じないので、該当する患者や家族など以外にはほとんど知られていないのでないのだろうか。
安全保障というととかく軍事面でのことが思い起こされるが、実は食料、水、エネルギー等もまた同様に国民にとって重要な命綱である。 政府は国民の身体・生命・財産を保護するのが第一の務めであるはずだ。改めて読者の皆さんと共にこの問題を見つめてみたい。
幸い先般もご寄稿いただいた仙台厚生病院の齋藤宏章先生がご多用にもかかわらずご寄稿くださいましたので、ここに掲載させていただきます。
(會田 昭一郎)

8月18日に大鵬薬品は主要な抗がん剤の一つである“アブラキサン”が、今後の輸入の見通しが立たないことを発表しました。 これを受けて全国のがん治療に関わる学会が同時に声明を出す異例の事態になっています。 一体どういうことでしょうか?消化器内科医としてがん治療に関わっている医師の視点から今の事態をまとめてみようと思います。

そもそもアブラキサンとは

アブラキサンとは点滴で用いる抗がん剤の一つです。 日本では乳がん、胃がん、膵臓がん、肺がんの治療で用いられる重要な薬剤です。 日本では大鵬薬品が2010年から販売を行っています。 私も消化器内科医として扱うことのある抗がん剤ですが、特に膵臓癌ではいわゆる”1次治療”で用いられる数少ない抗がん剤の一つです。

アブラキサンが10月から欠品!?

さて、そのアブラキサンが欠品するかもしれない、というニュースが舞い込んできたのは8月18日のことです。 大鵬薬品が”2021年10月以降 当該製品の安定供給に一時的な支障” ”在庫がなくなり次第、供給を一時停止”とプレスリリースしたのです。*1

この一報を受けて現場はやや混乱しました。 特定の薬物の供給やや不安定になり、現場で代替品を使用するようなケースはたまにあるものの、ここまで主要な抗がん剤に関しては珍しいからです。 発表時点で原因と今後の見通しも不明瞭でした。

情報を整理していくと、日本への輸出を担っているアメリカの工場の製造停止が原因ということでした。 アブラキサンはアメリカの製薬メーカーの一つのABRAXIS BIOSCIENCEが製造していますが、日本は大鵬薬品がこれを輸入して販売しています。 今回の供給が停止する、という話は製造工場が現地での定期的な点検で不備を指摘され、製造停止、再開の目処が立っていないため、ということでした。 そうすると、アメリカや他の国々でも同様の欠品が起きているのか、というとどうやらそうではないようです。 調べた限りでは大鵬薬品からの日本語でのプレスリリース以外に、製造元のABRAXIS BIOSCIENCEや親会社のブリストルマイヤーズスクイブ社からの公式な声明や、英文でのニュース報道は原稿執筆時点ではありませんでした。 この辺り、NPO法人パンキャンジャパンの記事に詳しい*2ですが、日本への輸入は今回問題となっている特定の工場で製造したもののみが可能であるため、他の工場から直ぐに製品を回してもらう、ということが直ぐに可能ではないためです。

このため、製造国のアメリカではあまり問題にならず、一方で、同じ工場の影響を受けたオーストラリアは政府が他の工場で製造されたアブラキサンの輸入と販売を認めるという対応をとっており、 また、カナダのdrug shortageにも8月のほぼ同時期にAbraxaneがリストに掲載され*3、日本と同様の事態なのだと思われます。

学会の声明と対応

さて、事態を受けて、臨床腫瘍学会、癌治療学会、膵臓学会、胃癌学会、乳癌学会、肺癌学会は合同で、

  • すでにアブラキサンでの有効な治療を行っている患者さんを優先すること。
  • 胃癌、乳癌、肺癌患者さんにおいてはアブラキサンを(すでに効果があると認められている)パクリタキセルに置き換えるなどの代替療法を検討すること。
  • 新規に治療を開始する方に関しては、他の治療方法が困難な膵臓癌患者やアルコールを含む薬剤での投与
などの、国内での供給停止を少しでも先送りにする善後策の呼びかけを行っています。*4 また、合わせて別工場で製造されたアブラキサンの緊急承認や海外ジェネリック製品の緊急承認などの要望を厚生労働省に提出しています。

現場からも心配の声が。。

私も勤務先で主に今後の胃癌や膵臓癌患者さんの化学療法が必要となった際の対応を職場の先生方と相談したり、現在継続中の方の治療計画を考えたりしています。 実際に現在治療中の患者さんからは、”報道をみて、知っています、心配です“と今後の治療継続に不安を覚えるような声も上がっています。

一般的に、抗がん剤は治療の段階や、がん種に応じてある程度、選択肢があることが多く、 患者さんに対して最も良いパフォーマンスをするであろう薬剤を、生存期間を伸ばす、副作用の特徴などの兼ね合いから選んで行います。 ですので、こうした事態でも主治医の先生はうまく調整してくれると思います、と不安な患者さんには声をかけてあげたいと思いますが、 一方で、膵臓癌のように、1次治療の抗がん剤の選択肢が限られている癌もあります。 前述したように、胃癌や乳癌、肺癌においてはアブラキサンで行われている治療をパクリタキセルという同様の働きをする薬剤に置き換える方法が取れますが、 膵癌の場合には置き換えることは難しく、別の抗がん剤の組み合わせを検討する必要があります。 あるいはアブラキサンがアルコール成分を含まずに投与できる、という利点のために使用していた患者さんにとっては選択肢の一つを削ることにもなるため、やはり本当に欠品するのかどうかは大きな問題です。 報道によると、日本ではアブラキサンを年間で約4万人の患者が使用しており、*5 この方々が受ける影響を最小限にする取り組みが必要です。

実は今までにもあった供給停止の問題

重要な薬の製造が特定の工場に限られているために起きる供給の問題はこれまでにも指摘がされています。 2020年6月にはアメリカ食品医薬品局が乳がんや前立腺癌などのホルモン依存性疾患の治療薬の”リュープロレリン”を製造する武田薬品の工場の施設の不備に関して警告書を公開し、それに伴い武田薬品は同製品の供給を中止しました。 この製品は日本で407億円、アメリカで222億円を売り上げるような大きなシェアを占めているものであり、大きな衝撃でした。*6

重要な薬だからこそ、製造段階での高い安全性、品質の管理は求められます。 今回のアブラキサンに関する工場の不備がどういったものであったのかは公開されておらず、不透明ですが、適切な製造過程の監視は必要なことですが、問題が発覚した際の影響をどのようにカバーできるか、は一つの企業に限らない課題と思います。

いずれにしても、製造元、並びに大鵬薬品には一層の情報共有と事態の解明を求めたいところですし、同じような事態が他の主要な薬剤で起こりうるのか、根本的な原因に関する議論が必要なのでは、と感じています。

9月16日には追報として、海外在庫調整と国内への出荷調整で、11月中頃までは市場への供給の目処が立っているというプレスリリースがありました。 供給が滞らないことを祈りながら、今後も動向を注意深く追っていきたいと思っています。



齋藤 宏章 (さいとう ひろあき)

内科医 平成27(2015)年3月 東京大学医学部卒 平成27年4月北見赤十字病院 初期研修医 平成29年4月一般財団法人厚生会 仙台厚生病院 消化器内科 後期研修医 仙台在住
2019年2月の米国医学会雑誌内科版(JAMA Internal medicine)への論文発表を始め、日本の医学会の利益相反問題の研究に取り組む。 一般診療では上部・下部内視鏡検査をはじめ、消化器内科診療全般の修練を行ない、内視鏡AI研究にも取り組んでいる。 2019年4月より福島県立医科大学公衆衛生学講座 博士課程大学院生。
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