市民のためのがん治療の会
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『あまり知られていない「乳がんの発症」と「飲酒」の関係~医師が解説~』


常磐病院 乳腺外科医
尾崎 章彦
一口に酒とたばこいわれますが、タバコの有害性はかなり周知され公共の場での禁煙も進み広告の規制なども進んでいるようです。 一方飲酒はどうかというと、広告は盛んにおこなわれ、「家飲み」の宣伝は猛烈です。 メディアも大スポンサーの酒類事業者に忖度してか、飲酒の害についてはほとんど触れません。
医師もタバコはほとんど例外なく禁じますが、適量の飲酒はストレス解消など健康に良いといわれます。
間もなく桜の季節ですが、皆さんも「酒なくてなんの己が桜かな」「酒は百薬の長」というわけで大いに盛り上がるのではないでしょうか。
ところがWHOは、全世界でアルコール消費により3百万人が死亡しているが、これは結核、HIV/AIDS、糖尿病を上回る、 また、アルコール摂取は少量でも健康に悪影響を及ぼし、特に少量でも発がん性が認められるとしています。
この度「がん医療の今」にたびたびご寄稿いただいております常磐病院 乳腺外科医の尾崎 章彦先生が乳がんと飲酒についての最新の情報をレポートされましたので、転載させていただきました。
なお、本稿の初出は2022年1月31日「イシャチョク」で、2022年2月4日に「幻冬舎ゴールドオンライン」に転載されたものです。 ご許可を得て転載させていただきましたが、当会の活動をご理解いただき転載をご許可いただきました。ご関係各位に心から感謝申し上げます。
(會田 昭一郎)

福島県いわき市で乳がん診療に携わる尾崎章彦医師は、飲酒に関する患者さんの意識が思いのほか低いことに驚くと言います。 乳がんの発症に繋がる原因といえば、遺伝的な素因が有名ですが、近年、飲酒と乳がん発症の関係を示す調査結果が数多く発表されています。 飲酒は、乳がんの発症にどのような影響を及ぼすのでしょうか? 尾崎章彦医師が最新の知見を交えながら解説します。

「飲酒」も「乳がんの発症リスク」を高める一因

皆さんは、乳がんになりやすい方の特徴といえば、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。 最もよく知られているのは、遺伝的な素因です。 たとえば、母親や姉妹に乳がんの方々がいる場合、およそ2倍、乳がんに罹患しやすくなることが知られています。 特に、BRCA遺伝子と呼ばれる遺伝子に異常がある場合、生涯のうちに乳がんや卵巣がんを発症するリスクが極めて高まります。 いわゆる遺伝性乳がん卵巣がん症候群という状態です。

現在、遺伝性乳がん卵巣がん症候群の方々においては、それぞれのがんを発症していない段階において、予防的に臓器の摘出が検討されるようになりました。 たとえば、世界的な女優であるアンジェリーナ・ジョリーさんは、この遺伝性乳がん卵巣がん症候群であること、それに伴って、乳房も卵巣を予防的に切除したことを公表しています。 そのため、一般の方でも、乳がん発症における遺伝的な素因の影響は、耳にしたことはあるかもしれません。

一方で、飲酒が乳がん発症につながることをご存じの方は、少ないのではないでしょうか。 実際、筆者が、その事実を患者さんに伝えると、多くの方々が驚かれます。 そもそも、乳がんに限らず、飲酒とがん発症の関係についてご存じの方が少ない印象です。

「適量のお酒は健康に良い」という“旧説”もあるが…

これは、肺がんなどとの関係が広く知れわたっている喫煙とは大きく異なっています。

なぜでしょうか。一つには、Jカーブの存在が挙げられます。 これは、毎日適量の飲酒をする人は、まったく飲まない人や大量に飲酒する人に比べて、死亡率が低いという考え方です。 実は、このような考え方は、より厳密な調査手法を用いて実施された最近の調査において、否定されています。 しかし、そのような新たな知見が十分にアップデートされることなく、少量の飲酒のメリットを強調する流れが現在まで続いています。 実際、一部の大手ビールメーカーのホームページにおいては、「適量のお酒は体に良いことを示す『Jカーブ』」として、今でもJカーブが大きく取り上げられています。 その点、より中立的な媒体において、飲酒に関する正しい知識を求めることが重要になっていると言えるでしょう。

ここでは、飲酒の害悪を如実に示した調査として、2018年に世界的な医学誌であるランセットに掲載された論文の内容をご紹介しましょう。 この論文においては、2016年に、飲酒を原因として280万人が亡くなり、全死亡原因の中で飲酒が7番目の位置を占めていたことが明らかにされています。 また、論文の中で、「理想的な飲酒量は、飲酒を一切しないこと」という衝撃的な結果が発表されています。

そして、がんが、飲酒を原因とする死亡の大部分を占めていたことが明らかにされています。 たとえば、特に50歳以上の男女において、飲酒を原因とする死亡のうち、それぞれ18.9%、27.1%ががんによるものでした。

さらに、2021年7月には、飲酒とがん発症の関係をさらに詳細に解析した論文が、ランセットの姉妹誌であるランセット腫瘍学版に発表されました。 この調査は、2020年時点において、世界のほぼすべての国において、飲酒を原因として発生したがんの数を網羅的に調査しています。

その結果、およそ74万1300件のがんが、飲酒を背景に発生していること、そのうち、9万8300件が乳がんであったことが明らかにされています。 これは、18万9700件の食道がん、15万4700件の肝臓がんに続く第3位の数であり、乳がんの発症原因として、飲酒が重要な因子であることわかります。

「1日1杯のお酒」でも、明確な「リスク」

ただ、読者の中には、まだ少量の飲酒であれば、がん発症との関係は無視できるのではと考えている方もいるかもしれません。 しかし、論文の中においては、4万1300件のがんが、1日1杯程度に当たる1日10g以下のアルコールの摂取によって発生したことが明らかにされています。

また、最近では、飲酒と乳がん発症の関係を調べた調査がこの日本からも発表されています。 特に、日本人において、この問題を検討する上で参考になります。 2021年に、国際がん雑誌(International Journal of Cancer)に発表された調査においては、閉経前の日本人女性において、平素の飲酒が、乳がん発症のリスクとなることが示されています。 なお、この調査では、閉経後女性において、飲酒と乳がん発症の関係は示されていません。 その理由として、筆者らは、調査規模が不十分だった可能性に言及しています。

そして、このような調査結果は、コロナ禍の現在において極めて重要な意味を持ちます。 現在、世間は新型コロナウイルスの第6波の真っ只中。 2022年2月4日時点で、実に35の都道府県においてまん延防止等重点措置が適用されています。 一時は緩和されつつあった会食も再び敬遠されつつあります。

飲み会が減って、多くの方々においては、外での飲酒量は減っていることでしょう。 一方で、コロナ禍のストレスを解消するために一部の方々においては、飲酒量が極端に増加しているといった報告も散見されます。 飲酒をすべて断つことは難しいかもしれません。 しかし、まずは飲酒について正しい知識を身につけることが重要に思います。 今回の記事が少しでも皆様の健康増進につながることを願っています。


尾崎 章彦(おざき あきひこ)

外科医。
平成22年3月 東京大学医学部卒
平成22年4月 国保旭中央病院 初期研修医
平成24年4月 一般財団法人竹田健康財団 竹田綜合財団 外科研修医
平成26年10月 南相馬市立総合病院 外科
平成29年1月 大町病院 内科
平成29年7月 常磐病院 乳腺外科
外科研修医時代に経験した東日本大震災に大きな影響を受ける。 平成24年4月からは福島県に移住し、一般外科診療の傍,震災に関連した健康問題や製薬企業と医療者の金銭的利益相反の問題などに取り組んでいる。 専門は乳癌。 令和3年12月より福島県立医科大学特任教授(非常勤)に就任
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