市民のためのがん治療の会
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『環境有害物質と私たちの健康:水銀とPFASの話』


米国ボストン在住内科医師
大西 睦子
「市民のためのがん治療の会」は当会顧問で北海道がんセンター名誉院長の西尾正道先生の提唱される「がんは『生活習慣病』というより『生活環境病』」との考え方に賛同し、 従前より重金属、PFAS、PCBなどの化学物質、ネオニコチノイド系農薬、放射性物質などで複合汚染された生活環境に警鐘を鳴らし続けている。
PFASについても「有機フッ素化合物(PFAS)とがんリスク」と題して京都大学大学院医学研究科環境衛生学分野の原田浩二先生にご寄稿いただいた。 (http://www.com-info.org/medical.php?ima_20230704_harada
この度大西睦子先生が医療ガバナンス学会メールマガジンに「ボストン・ウェルネス通信その3:環境有害物質と私たちの健康:水銀とPFASの話」として投稿されたので、 大西先生並びに医療ガバナンス学会のご許可を得て、転載させていただきました。 ご厚意に感謝申し上げます。
(會田 昭一郎)

「ヨーロッパ最後の楽園」とも称されるデンマーク自治領のフェロー諸島。 大小18の島からなる壮絶な自然が作った野鳥の楽園です。 そうしたフェロー諸島で、誰がどうして水銀による汚染の研究を始めたのか・・・ずっと不思議に思っていました。 そうした中、キム・ティングリー氏によるニューヨークタイムズ誌(N Y T)の記事に巡り合いました(1)。

●医師の努力と住民の協力

ティングリー氏はN Y Tに、フェロー諸島生まれの公衆衛生の権威・フェロー諸島医師会会長パール・ヴェイヘ博士の「海を越えてたどり着く化学物質から、島の人々を守るための努力」を紹介しています。

ヴェイヘ博士はPBS(米公共放送サービス:2007 年 6 月 26 日に 放送)の「この研究のアイデアはどこから来たのですか?」という質問に次のように答えます(2)。

「22 年前に始まりました。 私は教育目的でデンマークのオーデンセにある産業医学科にいました。 フィリップ・グランドジーン博士(南デンマーク大学環境医学教授)もいました。 私たちがフェロー諸島に戻ったとき、私たちは何ができるかと話し合い始めました。 結局、フェロー諸島では水銀が問題なのだろうということになったのです。 報道では、ゴンドウクジラが水銀に汚染されているとの指摘もありました」

「世界保健機関(WHO)は、低曝露地域、つまり(日本の)水俣やイラクなどの場合の曝露よりも低い地域での、メチル水銀毒性についてさらに調べるために縦断的疫学調査を行うべきだと勧告しました。 フェロー諸島の社会は安定しており、同種で保守的なため、この種の疫学研究を行うのに適した環境であると私たちは考えました」

ヴェイヘ博士とグランドジーン博士らは、フェロー諸島で、1986 年から 1987 年にかけて 、魚介類の水銀が、胎児や子供の発育に与える影響を調べるため、1,022 人の妊婦とその新生児のペアを募集しました。 出産後、母親は髪の毛と臍帯血と組織のサンプルを提供しました(3)。

そして7年後、約90%(917人)の母親が、小学1年生になった子供を連れて戻ってきました。 ティングリー氏は、「これは疫学研究において前代未聞の定着率」と評します。

●習慣をかえて、汚染された食物の摂取量は減らす

母親によるゴンドウクジラ肉の摂取によるメチル水銀曝露の増加は、臍帯血および母親の毛髪中の水銀濃度によって示されました。 出生時、母親の水銀濃度が最も高かった7歳児は、言語障害、注意力障害、記憶障害などのリスクが最も高いことがわかりました。 つまり、たとえ低レベルの水銀であっても、子宮内で暴露すると、子どもの学習・記憶障害を引き起こす可能性があります。この結果は1997年に発表され、米環境保護庁(EPA)が、人々が毎日摂取しても影響がない水銀量を推定する根拠となりました(3)。

ヴェイヘ博士はPBS(2)に、 「 人によっては、(ゴンドウクジラの肉を)食べるか食べないかの決断は絶対的なものです。 信仰的にイエスかノーかなのです。 それは私たちのメッセージではありません。 私たちが伝えたいことは、『水銀やPCB(ポリ塩化ビフェニル)の摂取量に注意してください 』ということであり、 (水銀の)主要な発生源のひとつがゴンドウクジラであること、そしてどのように対処すればよいかを忘れないようにすることです」

「汚染はもちろん外部からのもので、ここ50年から100年の間にもたらされた人工的なものです。 私たちは西洋世界の一員ですが、ゴンドウクジラを食べるという伝統にこだわってきた人々にとっては、そんなことは関係ありません。 重要なのは、私たちの食物が汚染されてしまったという事実であり、それについては今さらどうすることもできないのです。 フェロー諸島で私たちにできることは、そして私たちがしてきたことは、摂取量を減らし、習慣を変えることです。 これらの物質が人間にとって危険であることを文書化する機会を得たことは重要であり、国際社会に人間の健康に関するこの報告書を示すことができます」と語ります。

フェロー諸島では、女性たちがヴェイヘ博士のアドバイスに従って鯨肉を避けたところ、女性たち全体の水銀濃度が低下し、子供たちの水銀濃度も低下しました。

●PFASによる小児におけるワクチン反応の低下

さて、ティングリー氏のN Y Tの記事(1)によると、2009年、たまたま毒物学雑誌を読んでいたグランドジーン博士は、ある研究に目を留めたとのこと。 その研究では、「パーフルオロアルキル化合物」と「ポリフルオロアルキル化合物」、略してPFASと呼ばれる化学物質のグループにラットを曝露させました。 すると、PFASへの曝露がげっ歯類の免疫系にダメージを与えることがわかりました。 問題は、同じことが人間にも当てはまるかどうかです。

PFASを知らなかったグランドジーン博士は興味をそそられたそうです。 その頃、博士はヴェイヘ博士と、他のいくつかの残留性化学汚染物質が、子どもたちの定期的なワクチン接種への反応に影響を及ぼすかどうかを調査していました。 そのため、PFASを研究に加えるのは比較的簡単でした。 23年前から、博士らは母子グループの子どもたちに、定期的に血液や毛髪などの生物学的サンプルを採取し、子供たちが生まれた頃の母親からもサンプルを保存していました(1)。

博士らは出産時の女性のPFAS濃度を調べた後、破傷風とジフテリアのワクチン接種後、5歳と7歳の子どもから採取した血液を検査しました。 その結果、母親のPFAS濃度が2倍になるごとに、予防接種後の子供たちの抗体濃度は40%低くなり、子供たちのPFAS濃度が2倍になるごとに、抗体濃度は50%低下しました(4)。

同じ頃、米国ではPFASの健康への影響が注目され始めていました。 90年代後半に始まった訴訟では、PFOAと呼ばれるPFASの一種をテフロンの製造に使用していた、バージニア州パーカーズバーグ近郊のデュポン社の工場について、深刻な懸念が提起されたのです。 同社は何十年もの間、この化学物質を含む廃棄物をオハイオ川や敷地内のピットに投棄し、何万人もの人々の大気と飲料水を汚染してきました(1)。

●環境中の至るところにあるPFAS(永遠に残る化学物質)

PFASは、防汚能力に優れているため、家庭、オフィス、学校、病院、自動車、飛行機のあらゆる製品に使用されています。

そして、テフロン加工の鍋、防水衣類、防汚カーペットや布地、食品包装などの製品を通じて、水、食品、体内に汚染します。 これらは分解されにくいため、環境中で数十年間持続し、「永遠に残る化学物質(フォーエバー・ケミカル)」とも呼ばれます。 PFAS はまた、数か月から数年にわたって人々の体内に残ります(5)。

CDC によると、アメリカ人の推定 97% が血液中に PFAS を含みます。 米地質調査所(USGS)によると、米国の飲料水の 45% が PFAS で汚染されています(6)。

●PFASの人体への影響はさまざま

米連邦機関の有毒物質疾病登録局 (ATSDR) は、人間を対象とした研究で、特定の PFAS のレベルが高いと次のような症状が起こる可能性を指摘します(7)。

心臓:コレステロール値の増加
ワクチン:小児におけるワクチン反応の低下
肝臓:肝酵素の変化
妊婦:高血圧または子癇前症のリスク増加
乳児の出生体重:わずかな減少
がん:腎臓がんまたは精巣がんのリスク増加

また、南カリフォルニア大学ケック医学部の研究者らは、2023年9月、卵巣がん、乳がん、皮膚がん、子宮がんを患っている女性は、 体内の (PFAS)やビスフェノール A(BPA)などフェノール類のレベルが著しく高いとのことを報告しました(8)。

2023年7月の報告では、米国立がん研究所がん疫学遺伝部門の研究者らは、 PFASによる水質汚染の主な原因は、空港や軍事施設において、PFASを含む水性膜形成泡(AFFF)を石油系火災の消火に使用していることと指摘します。 研究者らは、空軍の軍人から採取した血液を解析し、PFAS 化学物質である PFOS と精巣がんとの間に直接的な関連性があることを発見しました(9)。

さらに、2023年12月の論文で、米国立がん研究所がん疫学遺伝部門の研究者らは、1986年から2010年までに800人の妊婦の血液検査を調べ、子供の健康状態と比較しました。 その結果、PFOS(PFASの一種)への曝露レベルが最も高かった1986年から1995年の間に検査を受けた母親たちの子供は、急性リンパ性白血病のリスクが最も高まりました(10)。

水銀と同様にPFAS は、臍帯血を介して母親から赤ちゃんに暴露する可能性があるのです。

●PFASは避けることができるか?

フェロー諸島ではPFASの生産は行われておらず、フェロー諸島の人々は、オハイオ川近郊のように高濃度の化学物質にはさらされていませんでした。 ただし、フェロー諸島の血流中を循環するPFASのレベルは、アメリカやヨーロッパの平均値に近いものでした。 ヴェイヘ博士はNYTに、「女性たちがゴンドウクジラを食べるのを止めたところ、体内の水銀を除去するのに3ヶ月かかりました。 ところが、PFASを排出するには数日から70年かかります」(1)といいます。 私たち個人のレベルでは、これらの化学物質の害を避けること、取り除くことは難しいのです。

2024 年 1 月 18 日、米疾病管理予防センター(CDC)が発表したガイダンス(11)では、医師が、PFASの血液検査を増やすことを検討するよう奨励しています。 血液検査は、「臨床医に最近および過去のPFASへの曝露を知らせる、曝露の低減、健康への影響の認識向上、患者の心理的な苦痛を減らす」可能性があります。 ただし検査では、曝露源の特定はできず、特定の種類の PFAS のみ検出し、将来の健康への影響を予測には役立ちません。 さらに、今のところ体内のPFASを減らすための承認された治療法は存在しません。

2023年6月、世界的な化学・電気素材メーカー3Mは、PFAS製品による水道システム汚染をめぐる訴訟で、103億ドルの和解金を支払うことに同意しました。 AP通信によると、同社は2025年までにPFASの生産を中止するとも述べています(12)。 今後も、企業の取り組みと政府による規制措置が進むことを期待します。

(1)https://www.nytimes.com/2023/08/16/magazine/pfas-toxic-chemicals.html
(2)https://www.pbs.org/frontlineworld/stories/faroe605/interview_weihe.html
(3)https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9392777/
(4)https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/1104903
(5)https://www.ucsf.edu/news/2023/09/426136/study-finds-significant-chemical-exposures-women-cancer
(6)https://www.niehs.nih.gov/health/topics/agents/pfc/index.cfm#:~:text=One%20report%20by%20the%20Centers,blood%20of%2097%25%20of%20Americans.
(7)https://www.atsdr.cdc.gov/pfas/health-effects/index.html
(8)https://www.nature.com/articles/s41370-023-00601-6
(9)https://ehp.niehs.nih.gov/doi/full/10.1289/EHP12603
(10)https://academic.oup.com/jnci/advance-article/doi/10.1093/jnci/djad261/7471885
(11)https://www.atsdr.cdc.gov/pfas/resources/pfas-information-for-clinicians.html
(12)https://apnews.com/article/pfas-forever-chemicals-3m-drinking-water-81775af23d6aeae63533796b1a1d2cdb


大西 睦子(おおにし むつこ)

内科医師、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ在住、医学博士。 1970年、愛知県生まれ。 東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。 国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。 2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。 2008年4月から2013年12月末まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。 ハーバード大学学部長賞を2度受賞。 現在、星槎グループ医療・教育未来創生研究所ボストン支部の研究員として、日米共同研究を進めている。 著書に『カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)。 『「カロリーゼロ」はかえって太る!』(講談社+α新書)。 『健康でいたければ「それ」は食べるな』(朝日新聞出版)などがある。
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