市民のためのがん治療の会
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『“かなしみ”と向き合う ~臨床宗教師とグリーフケア~』


東北大学大学院文学研究科宗教学専攻分野
特任助教 井川 裕覚
当会はセカンドオピニオン情報提供等を通じ、幸い多くの会員に喜んでいただいている。
しかしながら医学にも限界があり、残念ながら「残された時間をご家族等と大切にお過ごしください」というような回答しかできない場合もある。
中には「どんながんでも必ず治る」などと標榜する医療機関や団体等も無いわけではない。
が、私たちは率直に現時点での可能な限りの治療でも救いきれない状況はそれなりに受け入れてきた。
そこで今回は、このような状況にある方々に向き合う「臨床宗教師」について東北大学大学院文学研究科宗教学専攻分野特任助教 井川 裕覚先生にご寄稿いただいた。
ご多用の中ご寄稿いただきありがとうございました。
(會田 昭一郎)

日々の生活で悩みを抱えたとき、あなたは誰に話しますか?信頼できる家族や友人・同僚などに話す人もいるでしょう。 SNSに書き込む人や、お寺や神社に参拝するという人もいるかもしれません。 その悩みが、たとえば離別や重篤な病などから生じる大きな喪失体験から生じていたら、どうでしょう。 この記事では、そうした人々の“かなしみ”と向き合う臨床宗教師という職種について紹介し、私たちが喪失を抱えながら生きていくヒントについて考えたいと思います。

日本版チャプレン・臨床宗教師

大災害やいのちの現場などで、解決できないような苦悩を抱えた人々と向き合うのが「臨床宗教師」だ。 臨床宗教師は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援の過程で、欧米のチャプレン(教会や寺院を出て病院・学校・企業・軍隊などでも活動する聖職者)をモデルに展開された「こころのケア」に関する専門職の一つである。 2012年には東北大学に実践宗教学寄附講座が設置され、大震災の経験を活かしながら手探りで養成が始められた。 その動きは、やがて龍谷大学や上智大学などにも広がり、2016年に日本臨床宗教師会が設立された。北海道・東北・関東・中部・関西・中国・四国・九州の各地区で、それぞれの臨床宗教師会が地域の実情に合わせた活動を展開している。 2018年からは、「認定臨床宗教師」の資格制度が設けられるようになり、2024年4月時点で210名が登録されている。 活動場所は緩和ケア病棟が最も多く、在宅医療や一般病棟などを合わせると、約4割が医療機関になる。

臨床宗教師は、宗教者としての経験を活かしてケアを行うが、布教・伝道を行わず、宗教者と名乗ることもない。服装も宗教服ではなく、一般的な衣服を着用する。 ケアに関わる際には、相手の方にとって「支えとなるものは何か」という視点で、じっくりと話をうかがう。 東日本大震災では、東北地方の沿岸部を中心に甚大な被害が生じ、多くの人々が生命の危機にさらされた。 また近親者を失い、故郷を喪失した人もいる。僧侶や牧師らは寺院や教会を出て互いに協力し、避難所や仮設住宅などで、 「なんで自分がこんな目に」「なんであの人が」と葛藤する人々に、「こころの重荷」を下ろすことのできる場を提供した。

医療機関でも、自らのいのちの限りを見つめる患者とその家族が、苦しみや悲しみ、つらさ、怖さなど、さまざまな感情を吐露することがある。 しかし、日々の業務に追われる医療スタッフには十分に話を聞く時間がなく、患者も治療と関係のない話をするのを遠慮してしまう。 さらに医療職は、客観的かつ簡潔な説明を行う訓練を受けており、現場でもそうした対応が求められる。 そのため、患者の歩んできた人生や生活習慣、文化、歴史などを専門職の視点で解釈してしまうことがある。 しかし、その「詳細」を抜きにして、自らの人生や生きる価値を語ることはできない。 臨床宗教師は、医療専門職とは異なる視点から、些細な語りや感情表現にも気を配り、さまざまな視点から患者・家族のことを理解しようとする。 対話を通して、ときに本人も自覚していない価値観や感情に気づくこともある。

グリーフケアとは

喪失を経験することで、私たちの心と身体にはさまざまな影響が生じる。 それは、大災害のような想像を絶する経験だけでなく、日常の些細な喪失でも同じである。 誰もが経験する老いや病気、死別はもちろん、転勤・退職・引越しなどの環境の変化、失恋や結婚という人間関係の変化も含まれる。 喪失へのケアのことを一般に「グリーフケア」という。グリーフ(grief)は、日本語で「悲嘆」と訳されることが多いが、喪失による反応はそれだけとは限らない。 たとえば誰か大切な人を失ったとき、ある人は「なぜ私を残して先に亡くなったのか」という怒りを感じることもあるし、「これからどうしたらいいのか」という絶望感を味わうかもしれない。 逆に「人生を全うされた」と安堵することもある。 悲しみを忘れようと過活動や暴飲暴食になったり、うつ症状を起こしたりすることもある。

精神分析の創始者であるジークムント・フロイトは、1917年に「悲哀とメランコリー」を著し、通常の悲しみとメランコリー(うつ病)との違いを比較している。 フロイトによると、死別を経験した人は「誰を失ったのか」は知っているが、その人について「何を失ったのか」を知らないという。 これは、死別以外の喪失体験にも共通する。私たちはさまざまな喪失を経験した際、しばしば「何を失ったのか」を見出すことができず、悲しみに打ちひしがれてしまう。 しかし、その複雑な感覚を理解し、受容しようとする「喪の作業」が正常に行われたならば、失ったものごとの意味を理解することができ、病的な悲哀に陥ることはないという。

グリーフケアは、さまざまな方法で実施される。 冒頭で述べたように、家族や友人などの身近な人々との関わり合いの中で行われることもあるし、専門家によるカウンセリングの形式を取ることもある。 伝統的には、お葬式や法事、お別れ会などのセレモニーとして行われてきた。 ケアを必要とする本人が、身体を動かしたり、音楽を聴いたり、アートを鑑賞したり、それぞれの方法でセルフケアを行うこともできる。 近年では、遺族会やがん患者の会など、当事者同士が互いの経験を分かち合うピアサポートの会も各地で盛んに行われている。 臨床宗教師によるケアも、さまざまなグリーフケアのうちの一つである。 グリーフを抱えた状態で孤立してしまわないように、自らの内面を吐露することのできる場所を見つけておくことが大切となる。

おわりに

この記事を読まれる方の中には、重篤な病気を抱え、不安で生きる意味を見失われている方もいるかもしれません。 臨床宗教師は、大災害や死別、重篤な病などでさまざまな喪失を経験する人々の伴走者となる経験を積んできました。 そして、人々が自らの内に起こる複雑な感情を整理し、その背景にある「支えとなるもの」を探しながら、再び生きる意味を探すお手伝いをしたいと考えています。 さらに、医療分野におけるグリーフケアへの関心の高まりは、治療できなくなってしまった患者や家族に残された時間を大切に過ごしてほしいという願いが込められています。 グリーフケアが行われたからといって、私たちのかなしみが簡単に癒えることはありません。 でも、自らの喪失体験によって「何を失ったのか」気づくことができたならば、“かなしみ”を抱えながらも、いまを生きる力が湧いてくるかもしれません。

参考文献

井川裕覚(2019)「臨床宗教師とケア――終末期医療での活動を中心に」『日本仏教心理学会誌』10、18-27
井川裕覚(2020)「スピリチュアルケアにおける宗教性の役割――臨床宗教師による「宗教的資源の活用」の検討」『スピリチュアルケア研究』4、31-43
ジークムント・フロイト(2010)『フロイト全集』14、岩波書店、2010
谷山洋三・井川裕覚(2021)「スピリチュアルケアにおける〈ケア資源〉の活用――「無力の自覚」を手がかりとして」『グリーフケア』9、49-65
谷山洋三(2016)『医療者と宗教者のためのスピリチュアルケア――臨床宗教師の視点から』中外医学社
藤山みどり(2020)『臨床宗教師――死の伴奏者』高文研

井川 裕覚(イカワ ユウガク)

東北大学大学院文学研究科宗教学専攻分野、特任助教。
上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻博士後期課程修了、博士(文学)。同大学院特別研究員を経て現職。 専門は宗教社会学、社会福祉史、死生学。 著書に『近代日本の仏教と福祉――公共性と社会倫理の視点から』(法藏館、2023年)。
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