『発見から40年!ピロリ菌が今また注目されているワケとは』
福島県県立医科大学 放射線健康管理学講座 博士研究員
医師 医学博士
齋藤 宏章
ご厚意に感謝申し上げます。
皆さんはヘリコバクター・ピロリ(以下ピロリ菌)という細菌について知っていますか? 私はこのユニークで厄介なピロリ菌にどのように対策をしていけば良いか取り組んでいます。 節目の年となっているピロリ菌について改めて紹介したいと思います。
ピロリ菌は、1984年にオーストラリアのロビン・ウォレンとバリーマーシャル医師によって発見されました。 胃の中には、細菌が住んでいるとは考えられていなかった時代に、ピロリ菌の培養を成功させ胃内での存在を明らかにしました。 培養したピロリ菌を自ら飲むことによってピロリ菌が急性胃炎を引き起こすことを証明した、というエピソードは有名です。 この業績で二人は2005年にノーベル医学賞を受賞しています。
余談ですが、私はマーシャル医師の講演を拝聴したことがあります。 マーシャル医師がこの実験を行っていたときは研修医で、実は現在も72歳で医師としてご活躍されているのです。 複数の医師の議論が行われている時に、「自分がピロリ菌を飲んだ時には。。」とおっしゃっているのを聞いて、この方がマーシャル医師なのか。。。と驚いたのを記憶しています。
2024年はこのピロリ菌発見から40年の節目の年です。 この40年の間にピロリ菌の存在は胃潰瘍や胃がんの治療戦略への貢献から、今では胃がん予防にさらに力が注がれるようになっています。 この40年で、ピロリ菌が胃癌を引き起こすかなり強力な因子であることの立証と、治療(除菌)を行うことが、胃癌の予防につながるということのかなり強い証拠が出揃ってきました。 この分野では日本の研究が役に立っています。
2001年に著名なニューイングランドジャーナル誌に1526名の胃潰瘍や十二指腸潰瘍をもつピロリ菌感染者とピロリ菌非感染者を約8年間追跡調査した結果が日本から報告され、 ピロリ菌を持つ人は約3%に胃癌が発生したのに対して、非感染者には発生せず、特に胃炎が進行した場合には発がんのリスクが高いことが報告されました。[1]
2008年には、ランセット誌に、早期の胃癌の治療をしたのちに、ピロリ菌の除菌を行う効果を確かめる臨床試験(RCT)の結果が報告され、 除菌を行った場合は行わなかった場合に比べて、3年間の観察期間では胃癌の発生のリスクが約3分の1になることが示されています。[2]
同様の研究の結果が相次いで報告され、胃癌リスクの高い患者にはピロリ菌除菌によって将来の胃癌が抑制されることが確固となりました。 また、胃癌の発症リスクや死亡のリスクは人種や国・地域によって大きく異なっていることが知られています。 日本や韓国などのアジア圏は特に胃癌のリスクの高い地域です。 これらの地域では、何らかの症状を持っていたり、胃癌を発症したりしたことのない、いわゆる無症候性の人でも、 ピロリ菌に感染している場合には除菌を行った方が、将来的な胃癌のリスクは低下することが報告されています。[3]
このように、ピロリ菌が胃潰瘍や胃癌の原因であるという解明から、徐々にその治療効果が明らかになってきました。 このような研究の流れを受けて、日本の医療での治療も変化をしています。 2000年には胃潰瘍・十二指腸潰瘍がある場合に、2010年に早期の胃癌の内視鏡治療後にピロリ菌の除菌が保険適応となりました。 2013年にピロリ菌による胃炎に対して保険適応が認められるようになり、ピロリ菌を有する人は誰でも保険診療で除菌治療を受けることができるようになりました。 このように考えるとピロリ菌の除菌治療が浸透してからはわずかに10年程度と言えるわけです。
今年は有名な医学雑誌にも40年の節目ということで、ピロリ菌に関する様々な論考が寄せられています。
例えば最も著名な医学雑誌であるランセット誌には 「40 years after the discovery of Helicobacter pylori: towards elimination of H pylori for gastric cancer prevention(ヘリコバクター・ピロリの発見から40年:胃がん予防のためのピロリ除菌に向けて)」 という論文が掲載されました。 かつてピロリ菌は世界の成人の53%以上が感染していると考えられていました。 現在はその割合は44%程度に減少していると思われていますが、いまだに世界の関心の強い感染症なのです。 この論考の中で、今後の研究の課題として”誰にいつ検診を行うべきか”、”どのように検診を行うべきか”という項目が挙げられています。
この点で、日本の胃がん対策・ピロリ菌検診は先駆的な取り組みを行っています。 私は縁あって、胃癌撲滅とピロリ菌対策に市をあげて取り組んでいる、横須賀市医師会の水野靖大先生と数年来、若年者のピロリ菌検診の対策に一緒に尽力させていただいています。 横須賀市は2019年から市内全ての中学2年生に尿検体を用いたピロリ菌の検診を提供しています。
日本ヘリコバクター学会の調べによると、現在では100を超える自治体が同様の検診を提供していますが、横須賀市はこの検診の取り組みを早くから導入した自治体の1つです。 2019年から2021年の3年間で6270人の生徒が検診を受診し、合わせて73名が除菌治療を受けました。 感染率は約1.2%程度と推定されています。
中学生へピロリ菌検診を提供することにはいくつかの理由があります。
1つは除菌の効果は年齢が若い方が良いと思われていることです。 先述したようにピロリ菌に感染している場合でも、特に胃炎の進行がある場合にはより発がんのリスクが高くなると知られています。 記念的に進行する胃炎は早くにピロリ菌除菌を行うことで効果的に進行を止められると考えられています。
2つ目は全員に検診の機会を提供しやすいということです。 日本では成人になってから胃がん検診を受ける機会はありますが、例えば40歳を超えて提供される検診は、職業形態や健康関心度合い等によって、参加状況に大きな格差があることが知られています。 日本では義務教育で中学生までは同じ世代のほぼ全員にアプローチすることができることから、この世代への介入が試みられています。
3つ目は中学生ではほとんど胃癌を発症している例がないということです。 成人の場合、ピロリ菌の検査を受ける場合には現在内視鏡検査をまず受けることが義務付けられています。 これはすでに胃癌を発症している可能性があるためですが、中学生の年齢での胃癌の発症はほとんどありません。
4つ目はピロリ菌感染は一定程度の年齢を超えると再感染を起こしにくいためです。 一般にピロリ菌は幼少期に感染し、その後持続感染をすると考えられています。 一度免疫が完成した後には新規の持続感染や、再感染を起こしづらいと考えられています。 このため、この世代でピロリ菌の感染を拾い上げ、除菌することが将来の胃癌予防に有用と考えられているわけです。
一方で、このような取り組みには課題もあります。
1つは中学生のような若い世代にがんのことを捉えてもらうことは難しいということです。 一般的に身体が丈夫で病気にもかかりにくい中学生の時点で、保護者の方も含めて将来の”がん”の話に興味を持ってもらうことは簡単ではありません。 横須賀市でも初年度の検診の参加率は56%と高いものではありませんでした。 徐々に参加率は増加し、現在では86%を上回るようになっています。 アンケート調査によって本人や保護者のピロリ菌や胃がんに対する認識や理解度を測ることで、このようなギャップを乗り越える方法を模索しています。
2022年に私たちが618名の中学生保護者に行ったアンケート調査[4]では、86.4%の方が子供に対するピロリ菌検診の実施を支持していました。 理由としては”そのような機会があるなら受けたい”、”ピロリ菌の検査は必要だと思う”、”費用の負担がないため”、”家族がピロリ菌の検査を受けたことがあるから”といったものでした。 子供に対するピロリ菌検診の保護者の間での支持は非常に高いことが分かります。
ではなぜ受診率が高くないのかという疑問がありますが、実際に保護者の方に電話などでお話を伺うと、 「このような検診はぜひ続けて欲しい」という声をもらう一方で、検体を出し忘れてしまう、仕事が忙しくて病院に連れて行けないなどの理由で検査を逃していることがあるようでした。 中学生という普段医療に関わりにくい世代に、どのように検診を提供するかについては、このような利便性も含めて制度を整える必要があると実感しています。
日本の若い世代では感染率が減少しているピロリ菌ですが、胃癌の撲滅に向けては、検診参加率の増加の方法や最適な検診の枠組みづくりなどまだまだ取り組んでいかないことが多いと思っています。
引用文献
- 1. Uemura N, Okamoto S, Yamamoto S, Matsumura N, Yamaguchi S, Yamakido M, et al. Helicobacter pylori infection and the development of gastric cancer. N Engl J Med. 2001;345: 784–789.
- 2. Fukase K, Kato M, Kikuchi S, Inoue K, Uemura N, Okamoto S, et al. Effect of eradication of Helicobacter pylori on incidence of metachronous gastric carcinoma after endoscopic resection of early gastric cancer: an open-label, randomised controlled trial. Lancet. 2008;372: 392–397.
- 3. Ford AC, Yuan Y, Moayyedi P. Helicobacter pylori eradication therapy to prevent gastric cancer: systematic review and meta-analysis. Gut. 2020;69: 2113–2121.
- 4. Saito H, Uchiyama T, Matsuoka M, Kakiuchi T, Eguchi Y, Tsubokura M, et al. Parental Knowledge and Attitudes Towards Helicobacter Pylori Screening in Adolescents: A School-Based Questionnaire Study Among Guardians of Junior High School Students in Yokosuka City, Japan. J Gastrointest Cancer. 2024. doi:10.1007/s12029-024-01082-y
内科医、医学博士 2015年東京大学医学部卒 2022年9月福島県立医科大学大学院修了
北見赤十字病院で初期研修医を行ったのち、2017年に一般財団法人厚生会 仙台厚生病院 消化器内科、2022年6月より相馬中央病院 内科勤務
2019年2月の米国医学会雑誌内科版(JAMA Internal medicine)への論文発表を始め、日本の医学会の利益相反問題の研究に取り組む。 一般診療では上部・下部内視鏡検査をはじめ、消化器内科診療全般の修練を行ない、仙台厚生病院では内視鏡AI研究にも取り組んだ。