市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
これがセカンドオピニオンだ No.1
全摘を亜全摘に、亜全摘を切らずに(1)

『がん治療体験記、私の場合』


市民のためのがん治療の会会員 石川 賢一

今回のケースは相談時にはまだ48歳という働き盛りの建築士の方で、いつものように患部を撮って送っていただいた写真を見て、余りの進行度合いに驚いたと同時に、これは手術なら全摘に近く、そうなれば命は救えても社会的な活動はできなくなると思い、なんとしても切らずに治してあげたいものだと思った。こういう判断がセカンドオピニオンの肝と言えよう。

まずは西尾先生のご意見を伺ったところ、小線源の組織内照射では無理で、これは不破先生の動注と放射線照射以外にないということになり、不破先生にご相談した。

セカンドオピニオンと言ってもがん診療連携拠点病院などにはがん相談支援センターが設置されており、その他の医療施設でも「セカンドオピニオン外来」なども開設され、量的にはかなりセカンドオピニオンを扱うところは増えたが、今やその質が問われる時代になったと思う。

そこで今回のように、相談者の社会的な活動などを考えてのベストの情報提供をすることが大切であるという見地から、「がん医療の今」の中に「これがセカンドオピニオンだ」シリーズを開始することとした。

もちろん個人情報としても最も保護しなければならない情報であり、ご本人のご了解を頂いてのことであり、このケースでは石川さんはみなさんのご参考に資するのであれば、名前でも写真でも公開して結構ですとのことでご協力を頂けた。石川さんには深く感謝いたします。

口腔がんは5大がんなどに比べれば少ないが、それでも年間6000人前後は罹患しているようで、舌がんはそのうちの半分ぐらいを占めていると言われる。そのほとんどの方が切除手術を受け、命は助かってもQOLは大きく損なわれる。本稿が一人でも多くの同じような苦しみに悩む方の参考となれば、望外の喜びである。

なお、本稿は「平成28年第5回「市民のためのがん治療の会」講演会要旨(2)」として当会ニュースレター平成29年1月発行号(通巻53号)に掲載されたものに写真等を加えたものである。

まずは患者さんのお話しをお届けし、次週に、主治医の不破先生の解説を掲載することとした。



これは、がん治療成功体験記であり、これからがん治療を受けようとしている患者さんやこれからがんに罹患するかもしれない多くの方々のお役に立てればと思い筆を執った次第です。初期治療に於いて納得の行く結果を得られなかった方々及び親族等身近な方々をがんで亡くされたご家族の方々には不快な箇所も在るかも知れませんが、ご容赦下さい。


私が舌の異変に気付いたのは、今から3年前の2013年9月の事。週末の朝食に良く食べていた和辛子を塗ったトーストサンドを食べた所、右舌の裏側に激しい痛みを感じました。尋常な痛みでは無かった為洗面所の鏡で見てみると、白く小さな小豆大の出来物がありました。舌癌ではと直感しましたが、怖さの余り忘れようと思いました。丁度その頃別件で病院へ行く機会があったのですが、その事を医師に聞く勇気は有りませんでした。

その頃は、全身に渡る湿疹に苦しんで9年目、毎晩よく眠れない日が9年も続き、又慣れない仕事が集中していた時期でもあり、直前1年間は極度の緊張の日々が続いていた時でもありました。平日は余り笑えず、緊張と恐怖で心拍数も上がり気味といった連続で、「こんな生活が続くとガンになるんだよなー。」と思っていた矢先の事でした。

それからは、辛い物を食べる時は左側で食べる様にし、それ以外は全く普通に過ごしていましたが、小さな出来物はびらん状に変化。しかし舌そのものの痛みは無く、翌年2014年の7月頃は、辛い物も染みなくなり余り気にしなくなっていました。しかしそれも一時の事で、同年9月頃からは食事中の痛みが再発し、12月の頃にはびらん状の部分も大分大きくなっていました。

私は年に2回、5月と11月頃歯の定期検診を受けていますが、歯科医師からは何も指摘が無く、又自身右下奥歯の歯根が極度に傷んでいる事を認識しており、もしかしたらそれが原因で異変が起きたかも知れないとも考え、その箇所の再治療をお願いしました。すると舌の爛れた箇所が歯の被せ物を取った箇所からはみ出す事により圧迫感や痛みが和らぎましたが、傷んだ部分が徐々に大きくなり出しました。歯根の神経を抜いた箇所への薬剤注入の治療の為、約半年間右奥歯2本分が殆ど無い状態が続き、食事は頭を左へ傾け左側の歯だけで食べる日が続きました。

2015年4月、舌だけで無く右側の顎の下も少し膨れ、半年前より明らかに悪化している事に気付いていましたが、以前より恐怖心が増大し、益々病院へ行く気にはなれませんでした。6月に入ると舌そのものが異常に痛み出し、また顎下の膨らみもはっきりと認識できる程に大きくなっていました。これは明らかに舌ガンであり、又朝起きても食後痛くてうずくまる日が続いた為、近所の総合病院の口腔外科を受診する決心がつきました。


写真左は患部、右は顎の方の大きなリンパ節転移(写真提供:不破先生)

「今日は舌癌である事を確認しに来ました。」と、私は平然としていましたが、いざ「外に家族の方がいらしたら中に入って頂けますか?」と医師から言われた時は衝撃を受けました。親切にもその医師は、そこの病院で検査をしても実際治療する病院で再検査する事になる為、まずどの様な治療をどこの病院でするかを決めた方が良い事や、病院を転々とする事はいけない事、そして治療する病院とは一生のお付き合いになるかも知れない事などのアドバイスを受けました。そこからがセカンドオピニオンの始まりでした。

都内のある病院では、患部が大き過ぎるため小線源治療は無理な事が判明し口腔外科に回され、そこで舌の2/3の切除と舌の再建手術、左右のリンパ節の切除で計3回の手術になると言われました。成功率は6割で失敗すると会話や食事が出来なくなるが、脳や心臓の手術ではない為死ぬ事は無いと言われましたが、元々舌の切除は考えていなかったため他の病院を当たる事にしました。

東北地方のある病院では、都内でもセカンドオピニオンが受けられるとの事で、陽子線治療による可能性を探ってみた所、担当の医師からはいとも簡単に「治りますよ。」と言われました。「助かったー。」と正直思いましたが、先進医療と言う事もあり費用も多額でしたが、治療期間が2ヶ月と自分にとってはとても長期に思えた為即決は出来ませんでした。とりあえず助かる道は開けたので他に良い方法はないか考えてみようと言う事になりました。

とは言うものの既に8月に入っており、痛みは以前よりも激しくなり思考回路が働かない状態にまで悪化していました。こうなったら舌癌治療の最高権威である西尾正道先生のセカンドオピニオンを受けてみてはどうかとの家族からのアドバイスもあり、また私に代わって電話までしてくれたのですが、その時は既に飛行機に乗って北海道まで行こうと言う気力も体力も無くなっていました。仕事の打ち合わせ以外はひたすら横になる毎日でしたが、見かねた家族がネット検索をしていた所、「市民のためのがん治療の会」にたどり着いたのです。

そこから先はトントン拍子で、携帯で撮影した写真を代表の會田昭一郎さん宛に送った所、3時間後には思いがけずあの西尾先生からのメッセージが届きました。内容は惨憺たるもので、一次治療に失敗すれば確実に命を落とすと言った内容でした。また非切除治療を望むならお勧め出来る医師は、不破信和先生しかおられないと言う内容は正に願ったり叶ったりでした。以前から不破先生のお名前や業績はネット上で拝見しており、現役の舌癌治療の医師では最高の先生と認識しておりましたが、実際そんな先生に直接治療して頂けるのだろうか?伊勢は遠いな~と思ったりもしていましたが、西尾先生のアドバイスで遅まきながら目が覚め、「市民のためのがん治療の会」を通して不破先生のセカンドオピニオンを仰いだところ、「当院で治療可能と思います。」と言う極めて短いお返事が返って来ました。

2015年10月、家族を乗せ車で出発。6時間半かけて伊勢に到着。食事をするより寝ていたいと言う状態だった私が一人で運転しました。又病院から入院の許可の電話を受けたのは伊勢へ向かう車中での事でした。入院の許可が出なかったら、伊勢のホテルから119番通報すれば何とかなると言う図々しい考えでした。これしかないと決断してからは強行なものでした。

2回の全身化学療法及び動注とIMRT照射による治療は延べ3か月に及びました。不破先生の動注は、こめかみ部を切開し動脈を取り出し、そこへシース管なるカテーテルを予め通しておき、その中に更にマイクロカテーテルを挿入する事により舌動脈と顔面動脈のそれぞれに的確に抗がん剤を注入すると言う方式なのですが、私の場合は動脈の一部が奇形の為狭窄しており、それまで不破先生が使ってきた"釣り針式(私が勝手に命名)"のパッシブなマイクロカテーテルを通す事が出来なかったのですが、運良く私の治療の直前に“FUWA TYPE”なる面白いマイクロカテーテルが不破先生の手元に届いたのです。これは先述の物とは違い、手元でマイクロカテーテルの先端を自在に曲げられるアクティブなマイクロカテーテルで、これにより無事私の治療も遂行する事が出来ました。世界で2例目との事ですが、正に多くの幸運の重なりにより私の治療は成功したのです。

「最初診た時は、治らんと思った。」とは、退院後2ヶ月目の検査及び診察時の不破先生のお言葉ですが、入院・治療中何の疑問を抱くことも無く呑気に入院生活を送っていた私には、最初何を言っておられるのか一瞬理解できませんでした。“神の手”は、また一つ不可能を可能にしたと言う事でしょうか。

私の治療に当たって下さった放射線治療科の不破先生、野村美和子先生、そして豊増先生には大変お世話になりました。又、主治医となって下さり、事情も良く分からないまま、わがままな私の為に大至急病室の手配をして下さった、耳鼻科の山田弘之先生にもこの場を借りてお礼申し上げます。その他、耳鼻科の福喜多先生及び福家先生。腫瘍内科の谷口先生。歯科や心療内科及び皮膚科の先生方。放射線技師さん、薬剤師さんや看護師さん達。私は一体どれ程多くの方々に支えられていたのでしょうか。伊勢赤十字病院は、私の記憶に一生残る事でしょう。伊勢と言う土地やそこで関わった穏やかな方々にも感謝です。皆様どうもありがとうございました。そして、私の治療の成功のきっかけを作って下さった、「市民のためのがん治療の会」の會田代表及びスタッフの皆様。又、忘れてならないのは、辛口のセカンドオピニオンで私の目を覚まして下さった西尾先生。本当にどうもありがとうございました。退院後私の取材をして下さった医療ジャーナリストの青木直美さん。週刊文春に掲載して頂きありがとうございました。

最後に、入院中仕事関係、同窓会事務局他多くの方々には多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。特に同窓会事務局の仲間は、退院後初参加の際、事情を知っているにもかかわらず何か特別な言葉掛けをしてくれるでも無く、何事も無かったかの様に一緒に作業をしてくれました。最高の心遣いだと感じました。ジム仲間から、「せっかく命拾いしたんだから、これからは人の為になるような事やってね。」と言われた時は笑いが止まりませんでした。

追伸、

「治療のやり直しはできない」、「がん治療は初回治療がすべて」とまで言われ、病院を転々とする事は良い結果をもたらさない様です。「早く治療しないと死んじゃいますよ。」とまで言う医師がいる中、「他にどの様な治療法があるか検討してみたい。」と訴えられる患者はどれくらい居るでしょうか。がん告知後短期間で、様々な治療法やどこの病院、どの医師が良いのかを調べ又当たってみるのは大変な事です。一人の力では難しい場合もあるでしょう。セカンドオピニオンと言う言葉は聞いた事があっても、どこでどの様に受けたら良いのかすら知らない方も多い事と思います。暗中模索しながらも、最終的に「市民のためのがん治療の会」と出会う事が出来、又良い結果を得られた私としては、その経験を多くの方々の為に役立てたいと考えています。無闇に手当たり次第にセカンドオピニオンを仰いでも同じ様な回答しか返って来ません。皆様には有効なセカンドオピニオンを通して、あなたにとって最善の治療法、最高の医師に出会って欲しいです。


写真提供:不破先生

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