市民のためのがん治療の会
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「がんと闘うな」は無責任な極論

『「がんとの正しい闘い方」を西尾正道医師に訊く (前篇)』


北海道がんセンター名誉院長
市民のためのがん治療の会顧問
西尾 正道
小樽在住のジャーナリスト武智敦子さんの友人ががんで命を落とした。 「がんの放置療法」を唱える近藤誠氏の著書の影響を受け、助かる命を失った。 「がんの放置療法」について問題意識を感じた武智敦子さんから私は新年にインタビューを受け道内で販売されている月刊誌「Hoppo Journal (北方ジャーナル)」の3月号と4月号にインタビュー内容が掲載された。 最近、近藤誠氏は新刊を出版し、またがん患者さんを惑わし、不幸な結果となる人が出る可能性があるため、 今回は同誌の承諾を得て、近藤誠氏の主張の問題点を明らかにするためインタビュー記事を前編と後編の2回に分けて掲載することとした。 なお掲載に当たって、資料写真の説明などの文章を追加させて頂いた。
(「市民のためのがん治療の会」顧問 西尾 正道)
1996年に刊行されベストセラーとなった『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋)。 著者の近藤誠医師はその後も精力的に執筆活動を続け、「がんは放置したほうがいい」「抗がん剤は効かない」などとがん治療の常識を覆す持論を貫き、彼のオピニオン外来は盛況だという。 だが、その一方で、近藤医師を信じ、治るべきがんを放置したため亡くなった患者がいることは紛れもない事実なのだ。 近藤理論を「無責任な極論」と厳しく批判する、北海道がんセンター名誉院長で放射線治療医として3万人以上の患者を診てきた西尾正道氏に、近藤理論(?)の問題点とは何か、賢くがんと闘うためにはどうしたらいいのか―。 「目からウロコ」の西尾医師のインタビューを前編と後編の2回に分けてお届けする。
(武智 敦子)
本稿は月刊誌「Hoppo Journal (北方ジャーナル)」の3月号と4月号に掲載されたインタビュー記事を、「Hoppo Journal (北方ジャーナル)」誌ととりまとめられたジャーナリスト武智敦子さんのご厚意で掲載させていただいた。 なお、「がん医療の今」に掲載するに際し、西尾先生に若干加筆いただいた。
(會田 昭一郎)

マスコミで流布される新説に飛びついて命を落とす患者達

――「がんもどき」は悪化しないので放置してもいいなど、近藤医師が掲げる理論を信じる患者がいるのは、なぜだと思われますか。

西尾  近藤先生はジャーナリズムの世界で名前が売れている医師の1人です。 しかし、ジャーナリズムは「売れればいい」の世界で内容は関係ありません。 エポックメーキング的なものや異端の意見であっても部数が稼げればいいのです。 人間は楽なことを言ってくれる方向になびく傾向があるので、彼のように「がんは放置せよ」と言ってくれる医師がいれば、患者は飛びついてしまいます。 近藤先生を信じ、病気を放置したせいで命を落とした患者さんはたくさんいます。

――乳がん温存療法のパイオニアということですが。

西尾  彼は1980年代の初めに米国に留学し、普及していた温存療法を見てきました。 帰国後、まだ乳房全摘が主流だった日本で「なぜ温存療法をしないのか」とセンセーショナルにぶち上げ話題になった。

ただ、温存療法をめぐっては、国際学会で海外の乳腺外科医から日本の乳房全摘が批判され論議となった経緯があります。 温存療法でも治療成績は変わらないというデータがイタリアやアメリカから出始めていたこともあり、 学会での論議を受け乳腺外科医たちが温存療法に切り替えたから、徐々に普及し始めたのであり、近藤先生が提唱したからではないのです。

――近藤医師は元々放射線の治療医ですが。

西尾  近藤先生は慶応大学病院で週に1回、外来を担当していましたが、乳房温存療法で有名になったため、彼の外来には乳がんの患者しか来なくなった。 温存療法は腫瘍を切除してから、念のため残存乳房に放射線を照射するのが基本です。 近藤先生は、術後の患者に放射線を照射していたので、目に見えるがんや進行がんは治したことがないのではないか。 だから、放射線の臨床医としての力がないし、乳がん以外は診療できない。 乳がんはホルモン依存性のがんで比較的、進行がゆっくりです。 このため、治癒する人が多いし、治癒できなかった人でも長期生存者が多い。

思想家の吉本隆明が、経験だけが思想になるという言葉を残していますが、まさに経験したことだけが自分の身になり、考えを作る。 決して本ではないのです。 近藤先生が歩んだ医者としてのキャリアから考えると、肉眼で見えるがんを治療した経験がないために間違った認識が生まれたのでしょう。

――術後の患者を診ていたばかりに、「がんもどき」や「がんは放置せよ」という持論に至ったと。

西尾  治った人のがんは「がんもどき」で、治らないのは本物のがんだから、放置して経過を見るだけでいい、というのが近藤理論です。 しかし、がんの増大と進行速度は、がん種によって大きく異なります。 病理組織学的には非浸潤がんという転移しにくい、おとなしい性格のものもありますし、がん発生の長いプロセスの中で「がんもどき」に振る舞うものもあります。

がんの勢いを5段階に分け、ゆっくりがんが1、早いがんが5とすれば、乳がんは2~3のレベルです。 ただ、乳がんはホルモン環境に左右されるため、市川海老蔵さんの妻だったフリーアナウンサーの小林麻央さんのように、妊娠などでホルモン環境が変わったため悪化して死亡するケースもあります。 しかし、普通のおとなしい乳がんなら、発症してから10年以上も生きる人もおり、すぐに命取りになるわけではありません。

資料1は近藤理論を信じて放置していたが、6年後に私の外来に相談に来られた乳がん患者さんです。 腫瘍は前胸壁の皮膚に浸潤し出血もみられる。

資料1 乳がんを放置し、その後「がん何でも相談外来」を訪れた患者

甲状腺がんの中で最も多い、乳頭がんも非常にゆっくりしたがんなので、10年生存率は9割、低悪性度の前立腺がんも同様です。 最もゆっくりしたがんは10~20年がかりで発がんし、なおかつ転移する力も弱い。 だから、仮に再発しても何年も生きられるのです。 長い時間をかけて発がんし、発症するがんですが、病理組織診断でがんと分かったものは、放置すれば増大しほぼ確実に進行します。 基本的に病理学的にがんと診断された細胞が放置してもよい「がんもどき」のがんなのか、命取りになるがんなのかはその時点では誰にも判断できないのです。 近藤先生の言う「がんもどき」はスピードが1の進行がゆっくりしたがんの一時点を見ているに過ぎなく、結果論だけで話している無責任な極論なのです。

抗がん剤に関する知識不足が近藤信者を増やす大きな要因

――近藤医師は手術や抗がん剤、がん検診についても否定的です。

西尾  繰り返しになりますが、がんは一律なものではなく、種類によって進み具合が異なります。 がんが見つかっても半年後の手術でよいものもあるし、早急に対応しなければならないものもあるのです。 例えば、食道がんなら深達度が深くなればなるほど、リンパ節転移の頻度も多くなります。放置すれば、進行し治癒率は低くなる。 1期のうちに発見すれば9割が治癒しますが、2期では7割、3期は4割、4期になると1割です。

抗がん剤については白血病や悪性リンパ腫など血液のがんには効果を発揮します。 現在、1期のがんで抗がん剤を使うのは肺がんだけで、術後に再発や転移を少なくする為に補助的に抗がん剤を使うことがガイドライン化されています。 肺がんは転移しやすく、がんの中でも性質が悪い。 念のために抗がん剤を使いますが、それ以外のがんは1期では抗がん剤は使用しません。 1期のがんなら、手術にしても放射線治療にしても、50万円以下で済みます。 それが2期、3期になると術後に抗がん剤が必要となり、治療費も1000万円と桁が二桁違ってきます。 全てのがんで早期に発見して治療すれば治癒確率は高くなりますし、医療費も少なくて済みます。 したがってがん検診も保険診療にすべきだと思います。 さらに私なら検診で1期のがんが見つかったら、3割負担のうち1割を公費負担とし本人は2割でよいとします。 1期で見つけた人へのご褒美です。そうすれば検診率も上がります。

――早期発見、早期治療に勝るものはない。

西尾  私は最近、がん治療においては「適時発見・適切治療」という言葉を使っています。 早期発見といっても、生検(※生体検査。診断のため組織の一部を切り取り顕微鏡などで調べる検査)できないほど小さな腫瘍様の影がCT画像で見つかっても診断は付きません。 それで、3カ月に1度、CT検査で影を観察しましょうということになるが、これは患者さんにとっても好ましいことではない。 医療費はかかるし、医療被曝の問題も出てきます。何よりも確定診断がつくまで頻繁に画像を撮り、長期間、経過を見るのは精神衛生にも良くありません。 転移していない時期に、生検して悪性かどうかを判断できるタイミングが適時発見です。 でも、現実には難しいので言葉としては早期発見という表現でもいいのですが。

――適切治療とは。

西尾  がんだから、何でもかんでも手術するという話にはならず、がんの種類によって治療法の多様な選択肢がありますので、自分が納得する病態に応じた適切な治療が行われるべきなのです。 1センチの肺がんなら、胸腔鏡下で手術する方法もあるし、ピンポイントで腫瘍だけに集中的に放射線を照射する定位放射線治療をやれば9割が治ります。 前立腺がんなら、手術も放射線治療も成績は同じです。

――欧米に比べると日本は、放射線治療が少ないようですが。

西尾  アメリカではがん治療の過程で3分の2の患者さんが放射線治療を受けていますが、日本では3分の1程度です。 しかし最近は、手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」を導入した病院では放射線治療の可能性に関して説明されない傾向です。 外科医は「ダ・ヴィンチ」で手術をしたがるし、病院側も機器の元を取ろうとするからです。

――いわゆる“近藤信者”の患者を診たことはありますか。

西尾  診てきました。あるフランス文学の研究者は、下咽頭がんで相談に来られたが、切除しなくても放射線と化学療法で8割は治るものでした。 放射線を60グレイほど照射すると説明するとたいへん驚かれた。 その人は反原発運動にも携わってきたので、7グレイが致死線量という知識を持っていた。 X線は放射線荷重係数が1だから、7グレイは7シーベルトという解釈をし、60グレイはその10倍近い線量をかけるので、とてもじゃないがそんな治療はできないと、近藤先生のところに行きました。 患部に照射するだけで、体全体にかけるわけではないのに、です。

――がんを放置する道を選んだのですか。

西尾  3カ月ほど経つと痛みが出てきたので、道内の某病院で放射線治療を受け一時的に良くなりました。 抗がん剤を併用すれば良かったのですが、拒否したため再発して亡くなりました。 治るはずの患者さんが、がん治療の正しい知識がないために命を落としたのです。 何回も説得しましたが、これが現実です。 私は近藤信者のような患者さんは診たくありません。 厳しい言い方をすれば、自業自得ともいえます。

――西尾先生は、人の命は医者次第であり、がん治療はロシアンルーレットの世界だと言っておられる。近藤医師を頼る患者さんの根底には、医療や医師に対する不信感があるのではないでしょうか。

西尾  特に日本は、先生にお任せしますという傾向が強かった。 医者は自分の専門領域に固執するため、他に治療の選択肢があっても十分な説明をしてこなかったという問題もあります。

手術をしたが、取りきれなくて抗がん剤を使う医者もいます。 取り残したなら、残存部位にピンポイントで放射線照射すればいいのです。 抗がん剤で完治できるのは、血液のがんなどごく一部で全てのがんに効く抗がん剤はありません。 抗がん剤の効果判定は、著効・有効・不変・無効の4段階あり、著効は触診で腫瘍が触れなくなり画像にも映らなくなった場合。 有効は50%以上縮小、不変は腫瘍のサイズが変わらず、無効は腫瘍が25%以上大きくなった場合です。 著効と有効を合わせた効果を「奏功率」と呼び、厚労省は奏効率が20%以上あれば、抗がん剤として承認します。

――抗がん剤が「効く」というのは、その程度だと。

西尾  抗がん剤は第二次世界大戦中にアメリカが研究していたイベリットガスの一部を変換して合成した薬をがん患者に注射したのが始まりです。 毒性があるため、腫瘍が縮小しても、副作用などに苦しむことが多い。 医者が「抗がん剤が効く」と言っても、患者さんは効果を感じにくい。 この辺りが、医療や医師への不安、不信の原因の一つになっていると思います。 抗がん剤に対する正しい知識が普及していないのです。 だから近藤先生は「抗がん剤は効かない」という極論を唱えるし、抗がん剤治療の効果を実感しない患者さん達も信じてしまうのです。

最善の治療を選択するために大事なセカンドオピニオン

――患者がかんと賢く闘い、納得のいく治療を受けるためにはセカンドオピニオンも重要です。

西尾  北海道がんセンターでは各科で「セカンドオピニオン外来」を設けていますが、この他に私が「がん何でも相談外来」を開設しています。 「がん何でも相談外来」は、診療を受けている医師から診療情報の提供がなく、セカンドオピニオンを受けられない患者さんの相談に応じていますので、紹介状も医療情報の資料など一切必要なく、お話しだけ聞いて対応しています。 治療をやりつくした末期がんの患者さんでは、死生観の摺合せをしたり、その後の生活をどう過ごすかなどの相談にも乗ります。 納得できない治療を受けているなら、治療方針を変えてもらい、場合によっては眼鏡にかなった病院や医師を紹介します。 些細な相談にも応じますが、医療費や医療訴訟、医療機関に関する苦情は対象外です。

――顧問を務めている「市民のためのがん治療の会」はどのような活動をしているのですか。

西尾  私の患者さんであった東京の會田昭一郎さんが、放射線治療の有効性を伝えようと、2004年に立ち上げた患者会です。 2000年代の初めは患者会活動が始まったばかりで、その多くは抗がん剤の早期承認を求める活動をしていました。

会発足後から、代表協力医を務めていましたが、現在は顧問です。 講演会の開催や会報も年4回発行し、がんの最新情報やトピックスを紹介しています。 昨年10月に通巻60号になりなりました。 会報の巻頭言も日本のがん治療の錚々たる人たちが執筆しており、皆さんボランティアです。 会のホームページでも「がん医療の今」と題して、多くの情報を発信しているので、読んでみてください。 なお、近藤誠著書『患者よ、がんと闘うな』に対する論評を医療業界紙「新医療」から依頼されて1996年11月号に論文を掲載しましたが、この論文は「市民のためのがん治療の会」のホームページ上で公開しています。


西尾 正道(にしお まさみち)

1947年函館市出身。札幌医科大学卒業。 74年国立札幌病院・北海道地方がんセンター(現北海道がんセンター)放射線科勤務。 08年4月同センター院長、13年4月から名誉院長。 「市民のためのがん治療の会」顧問。 小線源治療をライフワークとし、40年にわたり3万人以上の患者の治療に当たってきた。 著書に『今、本当に受けたいがん治療』(エムイー振興協会)、 『放射線治療医の本音―がん患者2万人と向き合って』(NHK出版)、 『放射線健康障害の真実』(旬報社)、 『正直ながんの話』(旬報社)、 『被ばく列島』(小出裕章共著・角川学芸出版)、 『患者よ、がんと賢く闘え! 放射線の光と闇』(旬報社)など。 その他、専門学術書、論文多数
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