市民のためのがん治療の会
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乳歯が抜けたら、捨てずにとっておいて、ストロンチウム-90を調べましょう

『「乳歯保存ネットワーク」「非営利未来型株式会社はは」へのご協力のお願い(1)』


岐阜環境医学研究所所長
「乳歯保存ネットワーク」運営委員
「非営利未来型株式会社はは」代表取締役
松井英介
福島原発事故により多くの人工放射性物質が自然環境に放出されたが、その一つにストロンチウム90(Sr-90)がある。 このSr-90はカルシウム(Ca)と類似した体内動態であり、造骨活性の盛んな成長期の子どもに特に取り込まれ、骨や歯に蓄積し、ベータ線を放出し続けます。 事故後、Sr-90に関しては全くまともな測定が行われていないが、最近やっと乳歯を使ったSr-90の測定体制が整ったことから、皆さんのご支援を頂きたく、ご紹介させて頂きます。 以前より、松井英介氏は内部被ばくの危険性を指摘し、福島原発事故後に『見えない恐怖―放射線内部被曝―』(旬報社、2011年6月刊)の著書も出版していますが、当会にも寄稿して頂いており、下記の玉稿も参考として頂ければ幸いです。
がん医療の今>No79 20110810
 「低線量内部被曝による健康障害」
がん医療の今>No.102 20120509 & No.103 20120516
 「散染による内部被曝の拡大にストップを(1)」
 「散染による内部被曝の拡大にストップを(2)」

北海道がんセンター名誉院長 西尾 正道

核の時代を生きる

私は、放射線医学と呼吸器病学を専門とする臨床医でしたので、井戸川克隆前双葉町町長が、私を町の医学・放射線アドバイザーに任命されました。 その結果、毎週のように福島県各地の仮設住宅を訪ね、避難した町民の方がたの相談に応じる機会に恵まれました。

ご存知のように、双葉町は福島県の自治体で唯一、役場ともども県外に移り住んだ町です。 それは井戸川さんの英断でした。 当初中部地方への移住も考えられたそうですが、なかなか町民の同意が得られず、温かく迎えてくれた埼玉県加須市に落ち着いたのです。

しかし、突然の出来事だったし全町民との連絡は取れず、その結果福島県各地や茨城県つくば市に住むことになった方も少なくなかったのです。 町民の方がたは離ればなれになってしまいました。 事故を起こした東電福島第一原発の立地自治体である大熊町には、国が避難用のバスを手配しました。 しかし、大熊町のすぐ北に位置し事故当初風下になったため、最も激烈な放射能汚染を受けた双葉町は放置されました。 そのため、町民はそれぞれ自分で自家用車など移動手段を工夫し、ガソリンスタンドで長時間待つことを余儀なくされながら、移動せざるを得ませんでした。 その間町民は外で過ごす時間も長く、余分の被ばくを強いられることになりました。

私はこれまでに2回、双葉町現地を訪ねました。 福島県内で最も激しく放射性物質によって汚染された双葉町は、200年前に建てられた古い農家を含め多くの家はそのままわずかな損傷だけで残っているのですが、 放射線量が高く、とても帰って住める状況にはありません。

「核と人類は共存できない」

広島原爆によって右眼を奪われた哲学者・森瀧市郎さんは、「核と人類は共存できない」という言葉を残しました。

またそれは、市郎さんの著書のタイトルにもなっています1)。 この本の冒頭「核絶対否定への歩み」と題された第1章本文の前に、市郎さんは次のような短文を掲げています。

「いまの私は、いつ、どこでも『核絶対否定』をためらいもなく口にする。 しかし、かつては核の『平和利用』にバラ色の未来を望んだ。 私の反核の意識が、どんな軌跡をたどっていまのようになってきたのか、日記などをたどってふりかえってみたい」。

また、巻末には、市郎さんの次女・春子さんが「解説に替えて」と題して、次のように記述しています。 「・・・1994年1月の森瀧の死去の直後の3月に出版された『核絶対否定への歩み』を再編集した改訂版である」。 と、市郎さんの前掲短文を紹介し、次のようにつづけています。 「・・・と述べ、赤裸々に自己の原子力の平和利用との関わりに向きあい総括している。 その追求の中で、1954年頃から原子力平和利用についてのプロパガンダが日米の権力、資本により意図的に組織され、1960年代後半から原発が建設されはじめ、 あっという間に原発大国日本がつくり上げられていったのかを明らかにしている」。

春子さんは、「世界核被害者フォーラム事務局」を務めていますが、 父市郎さんとともに、世界各地のさまざまな核被害者との交流を深める実体験を通じて、 次のような認識に到達したことが、私にはとても印象的です。 「ウラン採掘が核利用サイクルの入り口であるなら。 ウランの核兵器製造、原子力平和利用の過程で生じる放射性廃棄物・核のゴミを軍事転用した劣化ウラン兵器は核利用の出口の問題である」1)P227

放射性微粒子による内部被曝

放射線を出す放射線源・核が身体の外にあるか身体の内部にあるかによって、人体への影響は大きく左右されます。 外部にある場合の被曝を外部被曝、内部にある場合の被曝を内部被曝といいます。

放射線源が身体の外にあって外から放射線を浴びる外部被曝の場合、線源から離れれば被曝を避けることができますが、 体内に取り込まれ、各臓器に放射性微粒子が沈着した場合、繰り返し至近距離から照射される放射線による被曝を、避けることはできません。 私たちが内部被曝による健康影響に注目しなければならない所以です。

外部被曝の代表例は、広島・長崎の原爆から放射された中性子線とガンマ線、おもにガンマ線による被曝です。 また、私たちが日常経験する、医療用エックス線による被曝です。

内部被曝の代表的なものは、1950年代から70年代に盛んに行われた大気圏内原水爆実験によって地球規模で大気中にばらまかれ、 また海水・淡水・土壌・生態系を汚染した、種々の人工核微粒子による影響です。 そして、世界各地で行われるようになった原子力発電が日常的に生み出す人工核微粒子による影響です。 そして、チェルノブイリや福島原発事故のように、原発が一旦事故を起こせば、人工核微粒子やガス状核物質による影響は地球規模の大惨事になります。 就中、極めて毒性の強い人工核微粒子を呼吸や飲食によって身体の中に取り込んだ結果ひきおこされる内部被曝による人体影響・未来世代への影響が、深刻なのです。

内部被曝を無視してはならない

放射線の影響は、被曝した微少領域、すなわち各臓器・組織・細胞・DNAの領域で評価する必要があります。 ところがこれまで内部被曝の影響は、日本でも、無視されてきました。 国際的に最も権威があるとされている国際放射線防護委員会(ICRP)が、内部被曝を無視してきたからです2)

1950年から71年までICRPの内部被曝線量委員会の委員長を務め、 すべての放射性核種の最大許容濃度(MPC)値を定めたカール・Z・モーガン(Karl Z. Morgan)さんは、後に出版した著書3)の中で、次のように述べています。

「ICRPは、原子力産業界の支配から自由ではない。 (中略)ICRPの活動あるいは出版物を少し検討すると、この組織がかつて持っていた崇高な立場を失いつつある理由がわかる」3)

2016年3月26日「乳歯保存ネットワーク」発足記念の集いでは、イタリア国籍でスイス在住のジャーナリストで映像作家ヴラディーミル・チェルトコフ(Wladimir Tchertkoff)さんを迎え、 ドキュメンタリー映画「真実はどこに」上映の後、特別講演をお願いしました。 彼は、チェルノブイリ大惨事の影響を克明に明らかにした著書の中で、上記モーガンさん代表とする第二委員会を紹介し、次のように綴っています。

「人体の細胞や内臓がどれくらいの内部被ばくを受ける可能性があるのか、リスクを評価し、また、どのような方法論や数値を用いて基準値を定めるのかについて、意見が極端に分かれた」 「このときをもって、放射線リスク評定システムの理論は封印された」 「執行委員会の圧力の下、理論が組み立てられた」 「このようにして出来上がったリスク評価モデルは、低線量の被ばくをあつかうことはできず、また、体内に不均等に吸収された放射線量に対応していない。つまり内部被ばくに対して正確に適用できるものではないのだ」4)

ICRPと国際原子力機関(IAEA)、そして世界保健機関(WHO)

ICRPは、国際原子力委員会(IAEA)、国連科学委員会(UNSCEAR)など国連安全保障理事会の下で活動する国連機関、 そして世界保健機関(WHO)と密接に連携をとりながら活動してきましたが、 3.11東電福島第一原発事故以降福島県に拠点をおき、すべての事故対応を取り仕切ってきたIAEAに注目しましょう。

1959年5月28日にIAEAとWHOとの間で締結された合意書WHO12-40は、核の関する双方の合意のない研究や調査を禁止しています5)。 換言すると、WHOはIAEAに相談することなく、核による健康影響を調査・研究することができないのです。

2012年12月15-17日郡山市で開かれたIAEA主催の国際閣僚会議では、IAEAと外務省、福島県、福島県立医大各々との間で協定が交わされました。 その内容は、上記IAEA・WHO間の協定と似ていましたが、罰則が定められた点でより厳しいものでした。 外務省、福島県、福島県立医大はそれぞれIAEAによって猿轡をはめられたと表現する人もいます。 すなわち、例えば福島医大が独自に核による子どもの健康影響を調査しようとしても、IAEAによって手足を縛られた状態になったというわけです。

ECRRの外部被曝モデルと内部被曝モデル

ECRR(European Committee on Radiation Risk、欧州放射線リスク委員会)は、 1997年ヨーロッパ議会のグリーン・グループによって開催されたブリュッセル会議での議決に基づいて設立されたNGOです。

グリーン・グループは、核廃棄物をリサイクル利用することへの規制が、欧州議会内にないことに懸念を抱き、 人工放射能(man-made radioactivity)がもたらす健康影響に科学的アドバイスを求めました。 その会議では、低レベル放射線がもたらす健康影響については激しい意見対立があり、 その克服のためには、公式の調査がなされるべきであるということになりました。

議論の結果、新しく設立されることになったのが、ECRR(欧州放射線リスク委員会)と名づけられた主体でした。 ECRRの検討課題は、従来の科学に関するいかなる事柄についても仮定を設けてはならず、 ICRP、国連科学委員会(UNSCEAR)、欧州委員会(European Commission)からの独立性を保たなければならないとされました。

ECRRが設立されて間もなく、欧州議会内の科学的選択肢評価(STOA; Scientific Option Assessment)機構が、 公衆と労働者に対する電離放射線被曝の「基本的安全基準」について話し合うための会合をブリュッセルで開催しました(1998年2月5日)。 この会合で、カナダの著名な科学者ロザリー・バーテルさん(Rosalie Bertell)は、冷戦期を通じて核兵器と原子力発電を開発してきたという歴史的な理由から、 ICRPは原子力産業に都合の良いように偏向しており、低レベル放射線と健康の領域における彼らの結論や勧告はあてにならないと主張しました6)

ECRRが2003年に発表した勧告

この勧告のもっとも重要な部分を、以下に紹介します。この内容は2010年勧告にも継承されています。ぜひとも、お目通しください。

人工の核物質によって内部被曝した人たちに、がんや白血病などのリスクが増加しているという疫学的証拠があります2)。 この疫学データと、ICRPリスクモデルとの間には乖離があります。 ちなみに、ICRPもEDRRと同じNGOです。 ICRP は、原爆被爆者の主としてガンマ線による急性外部被曝の結果を、細胞や組織中の複数の核微粒子点線源からの、アルファ線・ベータ線による慢性的な内部被曝に適用してきました。 しかし、人間の臓器・組織・細胞は均一であるとの仮定のもとに全身被曝を平均化するICRPのモデルは、細胞レベルで生じる局所的な被曝影響には適用できません。 体内にある核微粒子による健康影響を評価するには、内部被曝の疫学的証拠を優先させるべきなのです。

ECRRは、実効線量の計算に2つの新しい荷重係数を取り入れました。 それは、生物学的および生物物理学的な荷重係数です。 体内の複数の核微粒子点線源からの放射線による、細胞レベルでの電離密度と時間的・空間的な分割に対応できるものです。 またその係数は、異なった線質の放射線(アルファ線、ベータ線およびガンマ線)による異なった電離密度に対応できます。

それによって、体外からの急性放射線全身被曝を平均化するICRPの外部被爆モデルに対して、 互いに相容れないモデルとして、体内に入った小さな粒状核物質による内部被曝モデルを対置したのです(図1)。


図1 ECRRの外部被曝モデルと内部被曝モデル
図1 ECRRの外部被曝モデルと内部被曝モデル

バイスタンダー効果  電離(イオン化)放射線による分子の切断

私たち生き物を含む自然界は様々な分子でできています。 その分子を切断する力をもった放射線を、電離(イオン化)放射線といいます。

私たちのからだは、60兆個もの細胞からできています。 卵子の精子の出会いのときはそれぞれ一個です。 脳、神経、心臓、肝臓、腎臓、眼、耳、筋肉、骨、生殖器官などすべての臓器が、さまざまな働きをもった細胞からできています。 これらの細胞たちが力をあわせて、私たちのからだの中をよい状態に保っているのです。

細胞はおもにタンパク質でできていますが、その約70%(新生児では80%)を水が占めています。 水がなければいのちは生まれませんでした。 水は私たちのいのちの営みに不可欠必須なものです。 従って私たちのからだを一定の温度に保ち、安定した状態をつくる上で、皮膚と粘膜はとても大切です。

このいのちの源である細胞をつくっているのは分子です。

その分子の、原子と原子を結びつけている電子を外す、つまり私たちのからだをつくっている分子を切断する力を、電離放射線は持っています。 つまり、水やタンパク質の分子を切断して、水やタンパク質でないものにしてしまう力を持っているのです。


図2 バイスタンダー効果 イオン化放射線による分子の切断
図2 バイスタンダー効果 イオン化放射線による分子の切断

ということは、水の分子が放射線によって切断されると、私たちのからだの細胞の中に毒ができるということなのです。 この毒が、細胞核の中にあるDNA、核内DNAにキズをつけます。細胞内外の胎内環境をかく乱するのです(図2)。

人間は治す力を持っていますが、こうした影響でからだにいろんな症状や病気が起きる、 そしてとくに子どもはおとなより放射線に敏感で影響を受けるということがわかっています。 胎児は放射線感受性が、成人に比べると極めて高いことを、学校で教えるべきです。

ストロンチウム90とは

原発事故によって自然生活環境に放出されたさまざまな人工核種の微粒子は、その種類によって沈着する臓器・器官が異なります。 例えば、ヨウ素131は甲状腺に、セシウム137は骨格筋や心臓にという具合です。

カルシウムに化学的性質がよく似たストロンチウムは、食品や空気から体内に取り込まれると、骨や歯に蓄積されます。 物理学半減期は約29年セシウム137と似ていますが、骨や歯に蓄積すると、なかなか身体の外へ排出されず、何十年もそこに留まってベータ線という放射線をまわりの細胞やDNAに照射しつづけるのです。

骨の中には、有害物質から身体を守り健康を保つために働いている、リンパ球や白血球、赤血球や血小板など血液の成分を生み出す骨髄があります(図3)。 ストロンチウム90が出すベータ線は、この骨髄に深刻な影響を与え、白血病や免疫不全の原因となるのです。

図3を見てください。

図3左は、12歳の少年の骨髄生検組織像です。骨組織(ピンクの部分)のまわりに骨髄・造血組織があります。 骨組織には、破骨細胞(→)と造骨細胞(⇒)が見られます。これらの細胞は、骨形成期の子どもには普通に観察されます。

図3右は、52歳男の骨髄生検組織像。骨梁(ピンクの部分)の辺縁はなめらかで、周囲に骨髄・造血組織があります。

図3:正常骨髄組織像(Foucar K et al. Diagnostic Pathology Blood and Bone Marrow, Second Ed. (2014) Amirsys, Inc. から引用)
図3:正常骨髄組織像(Foucar K et al. Diagnostic Pathology Blood and Bone Marrow, Second Ed. (2014) Amirsys, Inc. から引用)

骨髄細胞の細胞核(濃い紫の部分)の大きさは数~十数マイクロメートル(μm、1μm=1/1000mm)。 骨組織(骨梁)に沈着したストロンチウム90が照射するβ線の飛程は体内では数mm(数1000μm)ですから、β線は、数100個~1000個もの骨髄細胞を貫くことになります。 しかもこれが何十年もつづきます。乳歯を調べることによって、骨髄への影響を、かなり正確に推定することができるのです。

乳歯へのストロンチウム90の蓄積

赤ちゃんの歯は、お母さんのお腹でいのちが芽生えて5~6週間経った頃からできはじめ、生まれて6~8か月経つと生えてきます。 福島原発事故で大気中に放出された放射性物質の一つであるストロンチウム-90(Sr-90)は、お母さんのお腹の中で乳歯にも蓄積されます。


図4 歯の発達 胎生18週(4ヵ月)

最初の乳歯萌出 下顎乳中切歯 生後6ヵ月
文献7)から引用

生後2年で乳歯列完成。 生後6年、第1大臼歯(6歳臼歯)が生えてくると、乳歯は抜け始めます。 乳歯は上下各10本づつ計20本。 一般に、6歳になると切歯(前歯)から順に抜けはじめ、12歳で臼歯(奥歯)が抜けます(7)図4)。

乳歯を保存し、ストロンチウム90を調べる

2011年3月11日の東電福島第一原発大惨事からすでに6年8ヵ月。 事故現場からは今も大量の人工核物質が放出され、自然・生活環境を汚染しつづけています。

それら人工核物質のひとつに、ストロンチウム90 があります。 ストロンチウム90 は、体内でカルシウムとよく似た動きをします。 呼吸や飲食によって身体に取り込まれると、骨や歯に蓄積され、何十年もの長い間、出ていきません。 その結果、白血病や免疫不全をひきおこし、さまざまな病気の原因となります。 すでに半世紀以上前、アメリカのお母さんや研究者は、乳歯の中のストロンチウム90 の増加につれて、 子どものがんや白血病が増えていることを明らかにし、大気圏内核実験を止めさせました(図5)。

図5 1954年-70年セントルイスの乳歯中(0-4歳)のストロンチウム90(Picocurie/gr)
図5 1954年-70年セントルイスの乳歯中(0-4歳)のストロンチウム90(Picocurie/gr)

ストロンチウム90 は、大気圏内核実験が盛んに行われるようになった1950 年代から、日本各地でもどれだけ降り注いだかが測定されました。 同時に乳歯中のストロンチウム90 も調べられ、乳児の栄養の違い(母乳、人工、混合)によって、 乳歯のストロンチウム90 の蓄積量に差があることも明らかにされました(図6)。

図6 日本における放射性降下物および日本人乳歯中のストロンチウム90(1957-67)

ヨーロッパ諸国でも、同様の研究結果が得られました。

図7 スイスでは1950年代からストロンチウム90(Sr-90)が継続的に測定されてきた. 草、土、穀物、牛乳、乳歯、椎骨中の Sr-90測定値の推移 1950年最初に手がけられたのが乳歯であった
図7 スイスでは1950年代からストロンチウム90(Sr-90)が継続的に測定されてきた. 草、土、穀物、牛乳、乳歯、椎骨中の Sr-90測定値の推移 1950年最初に手がけられたのが乳歯であった

スイスでは国家プロジェクトとして、1950年代から、全国各地の測定所で、ストロンチウム90(Sr-90)が継続的に測定されてきました。 現在も測定をつづけているのが、ローザンヌとバーゼルの研究所です。

図7は、スイスのバーゼル州立研究所で測定されてきた草、土、穀物、牛乳、乳歯、椎骨中の Sr-90測定値の推移を示しています。注目すべきは、1950年、最初に手がけられたのが乳歯だということです。以来68年間、途切れることなく測定は続けられてきました。そのほか、粉ミルクをはじめ子どもの口に入る各種の食べ物に含まれるストロンチウム90のデータが集積されています。これだけ長期にわたってストロンチウム90の測定を継続してきたのは、私の知る限り、スイスだけです。私たちは、今後ともスイスに学び、バーゼル州立研究所との協働を密にしながら、活動していく心づもりです(図7&8)。

このバーゼル州立測定所所長マルクス・ツェーリンガーさんは、全くボランティアで、好意をもって、私たち「乳歯保存ネットワーク」が依頼した日本各地の子どもたち二百数十人の乳歯のストロンチウム90を測定されました。ただ、これらの乳歯は、3.11東電原発大惨事以前に生まれた子どもたちのものですので、3.11原発大惨事後に生まれた子どもたちの、ちょうどいま抜け始める乳歯の測定が重要です。

図8 スイスのバーゼル州立研究所で測定されてきた乳歯・牛乳・諸食品など
図8 スイスのバーゼル州立研究所で測定されてきた乳歯・牛乳・諸食品など

人間だけが例外ではない

3.11東電福島第一原発大惨事後、東北大学の研究者は、ウシ・ブタ・野生ネズミ・サルを調べ、 とくに若い動物の歯にストロンチウム90 が顕著に蓄積していることが明らかにしました。 その値は高濃度汚染地ほど高くなっています(図9)。

図9 福島第一原発事故警戒区域におけるウシの歯と骨のストロンチウム90とセシウム137
図9 福島第一原発事故警戒区域におけるウシの歯と骨のストロンチウム90とセシウム137

同じようなことがヒトにも起こっている可能性があります。そのことを私たちは大変心配しています。

ところが、この、乳歯に含まれるストロンチウム90 の測定を、3.11原発大惨事後、日本政府も福島県「県民健康調査」検討委員会も行っていません。同委員会では、乳歯を測定するよう提案がありましたが、まだ実現していません。

3.11原発大惨事が自然生活環境にまき散らした人工核物質をていねいに調べ、放射線の健康影響がわかるようにすべきです。乳歯は、胎児や子どもの内部被曝を知るうえで、きわめて重要な証拠試料です。乳歯の測定によって、ストロンチウム90 がどのくらい体内に取りこまれているかがわかります。

私たち自身の測定データをもとに話し合い、子どもたちのいのちと健康を守り、病気の予防に役立てることができます。


以下、次週に続く


松井 英介(まつい えいすけ)

岐阜県立医科大学卒業後、岐阜大学医学部放射線医学講座助手、講師、助教授。 1981-82年 ベルリン市立呼吸器専門病院Heckeshorn病院留学。医学部退官後、愛知県犬山中央病院放射線科部長を経て、岐阜環境医学研究所・座禅洞診療所を開設、所長、現在に至る。 この間、呼吸器疾患の画像および内視鏡診断と治療、肺がんの予防・早期発見、集団検診ならびに治療に携わる。
厚生労働省『肺野微小肺がんの診断および治療法の開発に関する研究』等、肺がんの診断・治療法の確立に関する研究委員、日本呼吸器学会特別会員・専門医、日本がん検診・診断学会評議員、日本呼吸器内視鏡学会特別会員・指導医・専門医、東京都予防医学協会学術委員など。
日本気管支学会第一回大畑賞(2001年)、第13回世界気管支学会・気管食道学会 最優秀賞(2004年)。
「Handbuch der inneren Medizin IV 4A」(1985年 Springer-Verlag)、「胸部X線診断アトラス5」(1992年 医学書院)、「新・画像診断のための解剖図譜」(1999年 メジカルビュー社)、「気管支鏡所見の読み」(2001年 丸善)など執筆。
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