市民のためのがん治療の会
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『放射線誘発癌に対する放射線治療例の報告』


市民のためのがん治療の会 顧問
北海道がんセンター 名誉院長   西尾正道

1. はじめに

本ホームページ上のがん医療の今(No509)20231121に掲載したごとく、 私は放射性物質を密封した小線源を使用した内部被曝を利用した癌治療をライフワークとしてきたが、そんな放射線治療後に治療した部位から長期の経過後に別の病理組織の癌が発生することがある。 いわゆる『放射線誘発癌』と定義されている発がんである。 チェルノブイリ原発事故の教訓を踏まえて、福島原発事故の半年後から開始された小児甲状腺癌の検査は事故により放出された放射性ヨウ素が甲状腺に取り込まれ、 内部被曝して発がんする可能性を危惧してスクリーニング検査が開始されたものである。 しかし反原発の人達はがんの増殖に関する基本的な知識を欠落し、多発を叫んで、甲状腺癌を扱っている医師と議論する姿勢も無いことには呆れている。

発見できるようになるまでの癌の増殖スピードに関する知識も持って頂きたいし、甲状腺癌の特殊性も知って考えて頂きたいものである。 甲状腺癌は全ての癌種の中で、最もゆっくりした経過で増殖する癌であり、そのため45歳以下の場合はⅠ期とⅡ期だけであり、肺に転移していてもⅡ期扱いとされているのである。 この甲状腺癌の問題に関しては以前に論じたので、下記のURLを参考として正しい知識を得て頂きたいと思っている。 肝心なのは、被曝した福島の人達がどこに住んでいても50年単位でハイリスクグループとして検診できる体制の構築が必要なのだと私は考えている。 甲状腺癌に関しては下記を参考として考えて頂きたい。
No.257+No.258 『原発事故による甲状腺がんの問題についての考察(1),(2)』
http://www.com-info.org/medical.php?ima_20160126_nishio
http://www.com-info.org/medical.php?ima_20160202_nishio
No.452 20210914 『小児甲状腺癌の問題について』
http://www.com-info.org/medical.php?ima_20210914_nishio

基本的に放射線被ばくによる発がんは超膨大に被曝しなければ発がんが生じるリスクは高くないと経験的に実感している。 約3万人の放射線治療例の中で、放射線誘発癌を生じた症例は数例経験したが、全例が小線源治療例であり、診断されるまでに早くても約10年程度の期間を要していた。 原爆投下の経験から、医学の教科書では放射線誘発癌の最短発生は白血病が7年後、固形癌は10年とされている。 白血病では採血で血中に白血病細胞が増加し見つかれば、診断されるので、ある程度がん細胞が増えると診断されるため、7年程度で発見される。 しかし、固形癌の場合は増殖して視診や触診だけでなく、画像診断で腫瘍を見つけるためには相応のサイズとなる必要があり、診断されるまでに10年程度は要するためである。

しかし、最近の画像診断法の進歩により、より小さなサイズの腫瘍も診断可能となっているため、10年以下の期間でも誘発がんを発見できる可能性はある。 しかし、長い臨床経験から実感することは環境因子が関与してがん罹患者は増加し、1975年の全国がん登録で約20万人だった癌患者の登録数が2020年には100万人を超えた。45年間で5倍の罹患者数となっているのである。 また治療した症例を長くFollow upしていると、二つ目の別の癌が生じた人も多く、二重複癌例は約3割、3重複癌は約2割いること実感している。 昔は最初の癌で半数以上が死んでいたが、現在は最初の癌は約2/3は克服し、長生きできる時代となり、別の癌が発生しているのである。 私は20代後半に舌癌で治療した青年が60歳台で死亡するまでの40年間で7つの癌に罹患した症例を経験している。 まさに日本は、人口比で世界一の癌罹患者の比率が高い国となっているのである。 放射線治療した部位から発生した癌は病理組織型が異なれば再発ではなく、放射線誘発癌とされ、基本的な治療は手術的切除である。 しかし手術も困難で他に治癒を期待できる治療法がない場合は放射線治療しかない。 一般的に一度照射した部位への放射線治療は障害発生のリスクが高く、放射線治療は禁忌とされ、再照射という選択はない。 しかし、本稿では他に治癒が期待できない症例に対して再照射で救命できた症例について報告する。

2. 症例1 (T.M、女性)

54歳時の1990年3月に対がん協会の検診で指摘された膣後壁の腫瘍を切除した。 組織診断は平滑筋肉腫であった。 その後経過観察中に再発し、1991年8月に再度切除手術を行い、術後は3剤の抗癌剤(エンドキサン、ドキソルビシン、シスプラチン)を組み合わせたCAP療法を3回行った。 しかし、腫瘍の残存を危惧し、放射線科に術後照射のため紹介されてきた。 術後照射としては膣粘膜だけの病巣であったため、1991年11月にCs-137管状線源を4本縦に配列して直径2cmの筒に入れ、膣内に挿入して腔内照射を行った。 粘膜下5mm深部で3220cGy/46時間(70cGy/h)(1回目1991.11.11~11.13)および(2回目1991.11.18~11.20)に同線量を照射し治療した。 総治療線量としては6440cGy/2分割となる。 資料1はその経過である。

資料1 膣から発生した誘発癌例の臨床経過

その後、経過観察していたが、9年8カ月後の2001年6月に治療した膣に腫瘍が発生し、生検した結果は扁平上皮癌であり、再発ではなく、放射線治療後の誘発癌と診断した。

私が経験した誘発癌例の中でこの症例が最も早く発生した症例である。 9年8カ月後の誘発癌である。 資料2に誘発癌の局所所見を示す。 なお紙カルテ時代の古いカルテであり、見にくいことは勘弁して頂きたい。膣入口部より膣上壁から左側壁に発生した腫瘍で、1時方向(時計回りで1時の短針方向の意味)は厚みのある腫瘍となっていた。 粘膜を這った腫瘍などは画像には写らないため、視診と触診だけで腫瘍の進展範囲を把握し、小線源治療を行った。

資料2 9年8カ月後の誘発癌の局所所見(カルテのスケッチ)

治すための根治的治療は、下半身の切除であるが、以前に米国でもやむなく下半身切除といった究極の手術が行われていたが、こうした治療を受けた患者さんは高率に自殺する結果となり、現在は行われていないということであった。 そのため、半年後には膣・直腸廔、膣・膀胱廔となる危険性が高く、半年後には人工肛門造設と尿路変更が必要となる旨を話し、患者さんに説明した。 その結果、患者さんも了解し放射線の副作用のために膣に穴が開き、膀胱や直腸とつながることを覚悟して治療を行った。 障害覚悟の治療である。 患者さんの生きるための究極の決断に敬意を感じ、私も絶対に治そうと思った。治療の内容を資料3に示す。

資料3 誘発癌に対する小線源治療

膣内に10mlの注射筒(直径18mm)の外側に5cm長のイリジウム(Ir-192)wire状線源を5本貼り付け膣内に挿入し、更に外陰部から膣の左側の粘膜下にイリジウムワイヤー状線源を6本刺入した。 更に右側にはセシウム針を4本刺入して、66Gy/44時間の線量を投与した。 その後、予測していたとおり、半年後の2001年12月に膀胱-膣-直腸廔となり、人工肛門造設術と尿路変更術を行った。 下腹部右側に回腸導管に尿路変更したもの(回腸導管ストーマ)、左下腹部にはS状結腸の人工肛門(S状結腸ストーマ)を造設した。 身体障害者福祉法の4級相当である。 更に、2013年7月には左肺上葉に小桔節が出現したため、胸腔鏡下手術で摘出した。 摘出した病変は平滑筋肉腫の転移であった。 幸い転移はここだけで納まり、経過観察していたら、2017年7月には尿管癌が見つかり左腎尿管摘出術を施行した。 更に2017年11月には第5胸椎の骨転移も見つかり、放射線治療を行った。 3重複がんの例であり、遠隔転移もあった症例であるが、現在、86歳となったが、何とか生活している。 まさに30年以上の癌闘病の人生である。 しかし、頭がしっかりしていて、生きていること自体が意味があるのだとつくづく思うのである。

3. 症例2 (T.S. 女性)

2例目の症例は1987年4月に74歳の時にⅡ期の舌癌でセシウム針による組織内照射で治療した女性である。 治癒して当たり前の症例だったので、当時の初診時の写真は残っていないが、16年後に90歳となり、2003年3月に同部位に腫瘍が発生し受診してきた。

病理組織診断は扁平上皮癌であり、初回時と同様なので再発の可能性もあるが、治療した舌の部分に16年後に発生した癌であり、臨床的判断として放射線誘発癌と判断した。 資料4に経過を示す。 局所麻酔下で切除手術をしたが、切除治療後2004年5月(91歳)に口腔底に再発してきた【資料4(C)】。 基本的に治療は切除治療であり、90歳という高齢であったが、再度切除した【資料4(D)】。

資料4 臨床経過

その後、2007年7月(94歳)となり、再発して来院してきた。 【(資料5(A),(B)】に示す状態であり、外科治療では舌亜全摘+再建術が必要となり、超高齢のため手術は困難と判断し、やむなく障害発生を覚悟して、他に治療法が無いため、再度Cs-137針を使用して組織内照射を行った【(資料5(C)】。 再度の組織内照射を行った5カ月後に潰瘍が発生したが【資料5(D)】、半年以上経過して粘膜が再生してきて痛みは軽減してきたため、15カ月後の2008年10月で経過観察を打ち切った。

資料5 術後再発後の経

札幌より遠く離れた地方に在住しており、来院するのも大変な労力であることや100歳となったことから、『何か困ったことがあったら来てください』と言って経過観察を打ち切った。 基本的に私は最後まで看取る姿勢で診療を行っていたが、次回の予約を取らなかった数少ない症例の一人である。 こうした同一部位への再照射は禁忌であり、一般的に行うことはないが、低線量率の小線源治療だったことら、可能だったのではないかと考えている。


西尾 正道(にしお まさみち)

1947年函館市出身。札幌医科大学卒業。 74年国立札幌病院・北海道地方がんセンター(現北海道がんセンター)放射線科勤務。 2008年4月同センター院長、13年4月から名誉院長。 「市民のためのがん治療の会」顧問。 「いわき放射能市民測定室たらちね」顧問。 内部被曝を利用した小線源治療をライフワークとし、40年にわたり3万人以上の患者の治療に当たってきた。 著書に『がん医療と放射線治療』(エムイー振興協会)、 『がんの放射線治療』(日本評論社)、 『放射線治療医の本音-がん患者-2万人と向き合ってー』( NHK出版)、 『今、本当に受けたいがん治療』(エムイー振興協会)、 『放射線健康障害の真実』(旬報社)、 『正直ながんの話』(旬報社)、 『被ばく列島』(小出裕章共著・角川学芸出版)、 『患者よ、がんと賢く闘え!放射線の光と闇』(旬報社)、 『被曝インフォデミツク』(寿郎社)、など。 その他、専門学術書、論文多数。
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